熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

初春大歌舞伎・・・吉右衛門と鷹之資の「連獅子」ほか

2012年01月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回、私が楽しみにしていた舞台は、中村富十郎一周忌追善狂言の「連獅子」であった。
   後ろ盾を失った歌舞伎役者の子供の境遇は、天から地への激変で、それ程、厳しく熾烈なものであることは、猿之助の本や、芝翫のドキュメントなどで語られていたので、富十郎の子息鷹之資の将来を心配していたのだが、同じく先代を早くに亡くして苦労した吉右衛門だからであろう、しっかりと父親代わりの後見役であろうか、一緒に、連獅子を踊っていて、正に、感激であった。
   聖路加病院の日野原先生と富十郎の対談を読んだのだが、その中で、富十郎が90歳になった時に丁度鷹之資が20歳になり、初代富十郎の生誕300年祭なので、その時まで長生きして、富十郎を継がせたいと言っているのを思い出したのだが、当時は、70歳で長男をもうけた精力絶倫とも言うべき富十郎であるから大丈夫だと思ったのだが、人生は無常である。

   2005年顔見世興行の時に、鷹之資の披露口上があったのだが、その時の演目で、幸四郎と染五郎が連獅子を舞ったのだが、これも、何かの縁であろうか。
   この連獅子は、獅子が、自分の子獅子を、千尋の谷底へ突き落として、自力で登ってきた強い子獅子だけを育てると言う伝説を舞踊に仕立てたもので、特に、親子の役者が演じれば、正に、感動ものなのだが、鷹之資は、亡き父を思い、吉右衛門は、富十郎に成り代わったつもりで、二人とも万感の思いを胸に秘めて舞い続けたのであろうと思う。
   やはり、歳には勝てないのであろうか、激しく優雅な毛振りの後、吉右衛門は呼吸をやや乱して奮闘ぶりを見せていたが、鷹之資の方は、けろりと爽やかな顔をしていた。
   富十郎の芸の継承の一端か、多少、稚拙さはあっても実に優雅で流れるような鷹之資の舞姿は、流石であり、先の元禄忠臣蔵での細川内記での颯爽とした姿など、大器の片りんを見せていて頼もしい。
   
   マーロン・ブランドが、71歳で、アンソニー・クイーンが81歳で子供を儲けたと、こと細かく富十郎が語り「男性が70台で子供をもうけることは、もちろん生理的に可能ですよ、その機会が少ないだけで。」と日野原先生が応えていたが、いずれにしろ、普通では考えられないような稀有のケースであるから、栴檀は双葉より芳しと言うし、天下の名優富十郎の忘れ形見の鷹之資であるから、歌舞伎界としても、大切に育てて欲しいと思っている。
   
   ところで、新橋演舞場の歌舞伎の「夜の部」の最初は、「矢の根」で、三津五郎が、中々颯爽とした豪快な曽我五郎を演じていて見ものであった。
   五郎が家で大きな矢の根を、父の敵、工藤祐経を討つために研いでいて、そのうち寝込んでしまうと、夢の中に兄の十郎(田之助)が現れて「工藤の館に捕まっているから助けに来てくれ」と言い残して消える。五郎は驚いて跳ね起き、通りがかった馬子から奪った馬に乗って、十郎を救いに駆け出す。 と言う単純な芝居で、いわば、隈取をして典型的な荒事スタイルで、三津五郎が見得を切り続けると言う舞台である。

   さて、最後の演目は、「め組の喧嘩」で、実際に、1805年3月に起きた町火消し「め組」の鳶職と江戸相撲の力士たちの乱闘事件を題材にして、派手な町火消し達と力士達の喧嘩を見せる芝居。
   男と男の命をかけた真剣勝負を粋にそしてユーモラスに描いた世話物の人気作だと言うのだが、私にしてみれば、どう気風が良くて粋で恰好良いのか分からないのだが、劇場では、ヤンヤの喝采である。

   話そのものが、極めて稚拙と言うか、つまらないことから喧嘩が始まって、大の大人たちが命を懸けて争うと言うことなのだが、火事と喧嘩は江戸の華と言うくらいのもので、太平天国で惰眠を貪っていた江戸庶民にしてみれば、事件や揉め事自体が、恰好のカレント・トピックスであり、娯楽であったのであろう。
   歌舞伎ファンには、そんなことを言うのなら見るなと怒られそうだが、いなせな鳶の者の生活が描写された世話物の傑作だと言うけれど、話の中身が詰まらないと思って見ていると、いくら、意欲的な舞台であっても、すんなりと、芝居の良さが入って来ない。

   主人公のめ組の頭・辰五郎(菊五郎)だが、品川の料亭で、力士の四ッ車大八(左團次)とめ組の若い者がささいなことから口論喧嘩となり仲裁に入るが、同席の武士に「力士と鳶風情では身分が違う。」と言われて腹を立てて、その後、芝居小屋でも四ツ車たちと喧嘩が再燃し、遺恨に思って、品川郊外の八つ山下で四ッ車を襲撃する。
   女房のお仲(時蔵)に意気地がないから離縁すると家出されそうになり、居合せた兄弟分の亀右衛門(團蔵)にも非難されたので、辛抱していた辰五郎だが、ついに以前から用意していた離縁状を逆に突き付けて、町火消しの意地から命がけの喧嘩を決意していたと心中を語り、喜んだお仲たちに見送られて颯爽と神明社に向かう。
   結局、神明社内で辰五郎ひきいる町火消しと九竜山・四ッ車ら力士との派手な大喧嘩が展開されるのだが、町奉行と寺社奉行の法被を重ね着した喜三郎(梅玉)の仲裁で、矛を収めて幕となる。
   
   実際のめ組の喧嘩事件とは、多少違った芝居での展開ではある。それに、辰五郎が、お仲にけしかけられる前に、喜三郎に会っていて、喧嘩を止められていたので、最初は逡巡していたのだが、しかし、どう考えても、喧嘩の種は、力士との争いを引き金にした町人火消しへの武士の差別発言で、それを遺恨に持って自分から進んで仕掛けて行った喧嘩であり、町火消しの頭としての風格も面目もあったものではない。
   確かに、菊五郎演じる辰五郎は、粋で貫録のある恰好の良い鳶頭であり、菊之助演じる柴井町藤松も中々いなせで颯爽として魅せてくれ、妻の方から喧嘩をけしかける等論外としても時蔵のお仲の気風の良さも爽やかで良いのだが、話に拘ると、どこか、私には白々しくなってしまう。
   これとは別に、力士を演じた四ツ車大八の左團次と九竜山浪右衛門の又五郎は、中々、面白い良い味を出していた。

   興味深いのは、火消しは江戸町奉行、相撲側は寺社奉行と、それぞれを管轄する役所が違うので、止めに入った喜三郎が二枚の法被を着ていたのだが、その後の実際のお裁きは、事件の発端が火消し側にあり、非常時以外での使用を禁じられていた火の見櫓の早鐘を私闘のために使用したなどで、町火消しに厳しかったようだが、力士側に音羽山と言う冷静沈着なスポークスマン的力士がいて、中に入って力士をなだめたり訴訟の仲立ちをしたと言う話が残っていて、今も昔も、有能な管理者が組織には必須だと言うことを物語っていて面白い。
コメント
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