熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

二月花形歌舞伎・・・「心謎解色糸」

2014年02月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この「心謎解色糸」は、歌舞伎の常套ストーリーとも言うべき赤城家の家宝「小倉の色紙」探索をめぐっての物語で、これに3組の男女の恋が絡んだ19世紀初頭の四世鶴屋南北の世話物であるが、これに、シェイクスピアのロメオとジュリエットばりの挿話が、ジャパニーズ・バージョンとして登場するのが興味深い。
   国立劇場や前進座では上演されているようだが、歌舞伎座では初めてで、男女の恋に絡めて殺しやずっこけた庶民の知恵を働かせたドタバタ喜劇など、南北節が随所で健在である。
   これを、若くて溌剌とした染五郎、松緑、菊之助、七之助が、左七と小糸、綱五郎とお房、九郎兵衛とお時という3組の男女となって、時にはしっとりと、時には愛憎丸出しで、舞台狭しと熱演しているのであるから、大いに、楽しませてくれる。

   文化デジタルライブラリーによると、この歌舞伎は、
   江戸時代の古い歌謡を集めた『松の落葉』という本に「糸屋むすめ」という小唄があり、その書替え狂言だと言うことで、本町二丁目の糸屋の21歳と20歳のふたりの娘を歌ったものに、新たに「お房・綱五郎」と「小糸・左七」という、2組の男女の物語が創作追加されている。
   
   冒頭は、借金の型で身ぐるみ剥がれた深川仲町の売れっ子芸者・小糸(菊之助)が、鳶のお祭り左七(染五郎)に助けられて、その気風の良さに惚れて、左七の掛けたひとつ夜着に左七を誘い入れて、裸のふたりは体を寄せ合い「聖天のにこごり」と唱えて、振られた敵役・山住五平太(松也)に見せつけて、イラつかせる。
   この濡れ場が最初の見どころだが、染五郎と菊之助の粋な姿が絵になっている。

   
   次の「糸屋の娘お房(七之助)と本荘綱五郎(松緑)」の物語だが、初演の前の年に、山の手に住む旗本の次男坊が墓を掘り起こして、女性の死体を犯したという実際に起こった猟奇的な事件を取り込んでいて、話の展開が面白い。
   易者になった浪人の本庄綱五郎に、その行動を重ね合わせる。婚礼の杯で毒薬を飲まされて死んだ糸屋の娘・お房に100両の金を持たせて埋葬されたと知った綱五郎は、金欲しさに掘り起こそうとすると、お房が仮死状態なのに気付いて、丁稚が落として拾った気付け薬を飲ませると、お房は息を吹き返す。
   この時、ヒシャクでは飲ませられないので、水を口に含んで口移しで飲ませるところが、第二の見せ場で、元々、お房は、店先で易者をやっている綱五郎にゾッコンであったから、二人は夫婦約束をしてハッピーエンドの濡れ場。

   最後は、半時九郎兵衛(染五郎)と女房お時(七之助)の物語だが、綱五郎とお房が小石川の浪宅で夫婦暮らしをしているところへ、そこへ半時九郎兵衛の女房お時がやってきて、綱五郎に色仕掛けで迫り、九郎兵衛が現れて、墓場で拾った片袖をネタにして、金を強請ろうとするが、お時の腕の彫り物から、糸屋の長女・小糸と判明し、許嫁の綱五郎を捨てて駆け落ちしたので、九郎兵衛が間男だと分かり、立場が逆転。

   その前に、、左七が、重臣石塚弥三郎(錦吾)の息子で、父が紛失した小倉の色紙の行方を探していることを知って、嫌な五平太が怪しいので、小糸は、不本意ながら、すり寄るために、左七に満座の前で愛想尽かしをしたので、怒り心頭に達した左七が、橋の袂で小糸を待ち伏せして殺害するのだが、小糸の書置きを見て真意を知って、左七は、出刃包丁で腹を切って死ぬ。
   この小糸殺しの場も、この歌舞伎の見せ場で、絵になっていて面白い。

   ところで、先のロミオとジュリエット風の花嫁の仮死事件だが、お房に下心のある番頭左五兵衛(松之助)が店乗っ取りをも企んで、医者に薬を調合させて三々九度のお神酒に細工をするのだが、この二人のドタバタや、医者に薬を託された丁稚與茂吉(玉太郎)のコミカル・タッチの演技が面白い。
   恰好良く良い役を演じる主役の花形役者を、陰で支える芸達者な脇役のコミカルかつ軽妙なコント風の演技が、舞台を引き締めている。

   そう言った意味では、最後の舞台で登場する安野屋十兵衛の歌六や女房おらいの秀太郎のベテラン役者の何との言えない渋くて重みのある芸が光っていて、実に爽やかで良い。
      
   また、笹薮の場で、半時九郎兵衛が、たった1両の金のために実の娘とは知らずに鳥追いの娘・お君を殺すのだが、後に、九郎兵衛とお時が、親であることを知って改心する。
   ところで、先の一両の入ったお守り袋を盗もうとするところは、あの仮名手本忠臣蔵の、「二つ玉の段」で、後ろの稲むらからイキナリ斧定九郎の手が伸びて、与一兵衛が刺されて死ぬのだが、そっくり同じ格好で手が出るところなど、まったく、パロディそのものである。

   もう一つのこの歌舞伎でのパロディは、墓場での仮死状態の娘を再生するシーンで、遅れてやって来た番頭の左五兵衛が、墓標が換えられているのを知らずに、愛しいお房だと思って、棺桶の中から死体を出して、綱五郎がお房にしたように、老婆の死体に口移しで薬を飲ませるシーンで、後で真相を知って嫌悪を訴える番頭に観客は爆笑。
   このあたりの、南北の西洋戯曲技法ばりの近代的な作劇技法が面白い。

   とにかく、古典である筈の狂言が、若くて溌剌としてパンチが効いた役者によって、実に軽快なムードで蘇った感じで、楽しませて貰った。
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