今回の能「藤戸」は、能を発見するⅣ――供養の場に残る老母―と銘打つ特別公演で、出来るだけ、オリジナルに近い形に戻しての演出で、前シテ/漁師の母(山本順之)が、後場にも退場せずに舞台に残り、後シテ/漁師の霊(浅見真州)として、何時もと違って、別のシテが登場する。
また、老母とともに、その漁師の子(孫)が子方(馬野訓聰)で登場して、老母とともに後場まで居残る。
天野文雄教授の説明では、今度の上演詞章では、一部を下掛りの詞章に拠り、後ジテ登場の囃子も下掛りの太鼓が入る「出端」とし、アイの文句も演技も通常の「送り込み」ではない形に改めた。と言うことのようである。
前に、一度だけ、藤戸の舞台を観たが、殆ど記憶はなく、私には、難しいことは分からない。
銕仙会の藤戸の解説によると、
”口封じのために氷の如き刃で貫かれ、千尋の底に沈められた男の亡霊から聞こえてくる、無力で悲痛な民の声。”
佐々木盛綱が、漁師の導きで、馬で渡れる誰も知らない浅瀬を渡り戦功を立てて、頼朝より児島を賜って赴任する。民に訴訟はないかと振れると、そこへ、老婆が現れて、盛綱が、秘密の漏洩を恐れて口封じのために、わが子を刺殺して死骸を浮州の岩の窪み深くに隠したと難詰して同じように殺せと迫る。盛綱は、隠し遂せず、事の次第を語り、漁師の弔いと妻子の世話を約束する。
後場では、盛綱が管弦講を営むうちに、浪間から、後ジテ/漁師の霊が現れて、盛綱が自分の導きによって武勇を上げて恩賞を賜ったにも拘らず、自分は冷たい刃を浴びせられて海に捨てられたと事件を再現して尽きせぬ怨み辛みを吐露して激しく迫る。しかし、一同の弔いを受けて成仏得脱して消えて行く。
この曲は、世阿弥の子元雅作だと言うのが一般論のようだが、最初から殆ど最後まで、美しい舞もなければ優雅なシーンも皆無であり、実に暗い舞台である。
この能の前に、天野教授の司会で、馬場あき子さんとワキ方福王茂十郎師との鼎談があり、馬場さんが、戦後、人気曲として上演されていたと、思い出を交えながら、藤戸について語っていた。
太平記の舞台では、下級武士が主体だったが、源平の頃は、上級武士を扱うことが多く、盛綱が、法事としては最高位の管弦講を催すと言うのは、敬意の現われであって、庶民の漁師母子の怨みよりも、祈りの方にも意を用いて、この能が書かれたのではなかろうかと、優しい解釈をされていた。
また、今回のように、漁師の母孫が加わり、多くの人々が弔うことになり、「祈り」と言う色彩が一層濃くなると、天野教授は言う。
戦後、人気があったと言う発言に、一寸、気になったのだが、恐らく、息子たちや家族が、戦争で戦死したり亡くなった多くの人々が観ていたと思うのだが、この漁師の母と言う立場なら、どのような思いで鑑賞していたのであろうか。
案外、恨みか祈りかの答えは、このあたりにあるように思っている。
今回の観世流の舞台は、観世銕之丞師が後見にたち、シテ/漁師の母の山本順之師も後ジテ/漁師の霊の浅見真州師も、銕仙会所属であり、バージョンは違っても、参考になると思って、銕仙会の解説や銕之丞師の本を読んでみた。
先に記したように、”無力で悲痛な民の声”と言う表現でも分かるように、恨みに比重が置かれている。
銕仙会の解説の最後に、次のように記されていて、興味深い。
みどころ
本作では、戦争の悲惨さと、権力者に対して非力な民の悲しみが描かれています。(中略)口封じのために民を殺害することは、当時の常套的な戦いの手段であり、仕方の無かったことであるとは言いながらも、その悲惨さ、運命に対してどうすることもできない民の悲しみを描いたところに、本作の特徴があるといえましょう。
本作では、終曲部で男が成仏の身を得るところを除いては、救いのない、暗い舞台が展開されてゆきます。前場で領主・盛綱に詰め寄る老母の悲痛さ、後場で氷のような刃で刺し通される男の亡霊の苦しみ…、本作はこうした、救われない者の悲劇で貫かれています。だからこそその中で、人々は救いを求めてゆくのであり、そういった絶望的境涯からの「祈り」が、本作のテーマとなっていると言えましょう。
「絶望的な境涯からの「祈り」が、本作のテーマ」と述べているように、これ以上どうしようもないギリギリの境涯からの祈りであって、馬場さんの説く様な、優しさはない。
もう一つ興味深いのは、銕之丞師が、「能のちから」で、
”壁のシミのような、人間のぬぐいきれない記憶”と言う表現で述べているくだりである。
これは、おやじが良く行っていた言葉で、ただの怨みとか、ただの悲しみではなくて、それがブーメランのように自分に帰ってきてしまう。人間的であるが故に人間的な苦しみに陥っている、弔って成仏できるような種類の思いではなく、ずっと中途半端なやるせない思いが人間の中にヘドロのように澱んで行くようなドラマ。それを表現することが、この『藤戸』には必要ではないかと思います。と述べている。
人間が抱いている、はっきりした言葉にならない想いというものを舞台の上で具現化できて、お客様にも、銕之丞の『藤戸』はなぜかすごく嫌なんだけれどもすごく身につまされる、と感じていただける能にしたい。とも言う。
銕之丞師の説明で、もっと注目すべきは、前シテの漁師の母を、三里塚闘争の農家のお母さんのようなイメージにダブらせていた人もいただろうとして、
前シテは、明らかに権力を持つ人間に自分の息子を殺された母親であり、褒美・お金にひかれてしたたかに生きようと盛綱側に味方して息子を殺されたと言う慙愧の心があるのではないか、そうなら、息子を殺されたと訴えるおばあさんも、じつは人生に対しては確信犯の側面を持っている。
(12月の吉右衛門の「弥作の鎌腹」の百姓の弥作もそうだが、平々凡々と暮らしていた庶民が、何かの拍子に予期せぬ悲劇に見舞われることが良くあるのだが、この場合にも、本来、どちら側にも加担しない筈の貧しくても平安だった庶民が、一方に加担したばかりに、悲劇に見舞われる、そんな人間の弱さ悲しさを言うのであろうか。)
ぼくは、そんな『藤戸』について、そんなことを、親父とか伯父の栄夫とか、いろいろな人が議論をしていたのを聞きながらそこに居た感じがします。と言っていることである。
だから、後ジテの殺された息子も、恨みがましく盛綱に詰め寄るが、相手を取り殺そうというよりも、自虐的と言うか自嘲的と言うか、中途半端で殺されちまっておかしいよね、と言った自傷的で、ニヒルな後ろめたさと言ったものがあると言うのである。
私自身は、後ジテを、成田空港開設反対政治運動の三里塚闘争の殺された闘士と言う考え方などは出来ないが、もし、諦観があるとすれば、悔しいが、人生と言ったものはそう言ったものかも知れない、年貢の納め時かも知れない、と言う諦めだろうと思う。
いずれにしろ、どのように、この能「藤戸」を解釈するかは、個人個人の問題であろう。
しかし、殺せと詰め寄る前シテの迫力、恨み骨髄に徹して挑みかかろうとする後ジテの権幕、そして、それに必死になって対抗しようとするワキ盛綱(福王茂十郎)の毅然たる身構えなど、緊張する場面もあり、楽しませて貰った。
また、老母とともに、その漁師の子(孫)が子方(馬野訓聰)で登場して、老母とともに後場まで居残る。
天野文雄教授の説明では、今度の上演詞章では、一部を下掛りの詞章に拠り、後ジテ登場の囃子も下掛りの太鼓が入る「出端」とし、アイの文句も演技も通常の「送り込み」ではない形に改めた。と言うことのようである。
前に、一度だけ、藤戸の舞台を観たが、殆ど記憶はなく、私には、難しいことは分からない。
銕仙会の藤戸の解説によると、
”口封じのために氷の如き刃で貫かれ、千尋の底に沈められた男の亡霊から聞こえてくる、無力で悲痛な民の声。”
佐々木盛綱が、漁師の導きで、馬で渡れる誰も知らない浅瀬を渡り戦功を立てて、頼朝より児島を賜って赴任する。民に訴訟はないかと振れると、そこへ、老婆が現れて、盛綱が、秘密の漏洩を恐れて口封じのために、わが子を刺殺して死骸を浮州の岩の窪み深くに隠したと難詰して同じように殺せと迫る。盛綱は、隠し遂せず、事の次第を語り、漁師の弔いと妻子の世話を約束する。
後場では、盛綱が管弦講を営むうちに、浪間から、後ジテ/漁師の霊が現れて、盛綱が自分の導きによって武勇を上げて恩賞を賜ったにも拘らず、自分は冷たい刃を浴びせられて海に捨てられたと事件を再現して尽きせぬ怨み辛みを吐露して激しく迫る。しかし、一同の弔いを受けて成仏得脱して消えて行く。
この曲は、世阿弥の子元雅作だと言うのが一般論のようだが、最初から殆ど最後まで、美しい舞もなければ優雅なシーンも皆無であり、実に暗い舞台である。
この能の前に、天野教授の司会で、馬場あき子さんとワキ方福王茂十郎師との鼎談があり、馬場さんが、戦後、人気曲として上演されていたと、思い出を交えながら、藤戸について語っていた。
太平記の舞台では、下級武士が主体だったが、源平の頃は、上級武士を扱うことが多く、盛綱が、法事としては最高位の管弦講を催すと言うのは、敬意の現われであって、庶民の漁師母子の怨みよりも、祈りの方にも意を用いて、この能が書かれたのではなかろうかと、優しい解釈をされていた。
また、今回のように、漁師の母孫が加わり、多くの人々が弔うことになり、「祈り」と言う色彩が一層濃くなると、天野教授は言う。
戦後、人気があったと言う発言に、一寸、気になったのだが、恐らく、息子たちや家族が、戦争で戦死したり亡くなった多くの人々が観ていたと思うのだが、この漁師の母と言う立場なら、どのような思いで鑑賞していたのであろうか。
案外、恨みか祈りかの答えは、このあたりにあるように思っている。
今回の観世流の舞台は、観世銕之丞師が後見にたち、シテ/漁師の母の山本順之師も後ジテ/漁師の霊の浅見真州師も、銕仙会所属であり、バージョンは違っても、参考になると思って、銕仙会の解説や銕之丞師の本を読んでみた。
先に記したように、”無力で悲痛な民の声”と言う表現でも分かるように、恨みに比重が置かれている。
銕仙会の解説の最後に、次のように記されていて、興味深い。
みどころ
本作では、戦争の悲惨さと、権力者に対して非力な民の悲しみが描かれています。(中略)口封じのために民を殺害することは、当時の常套的な戦いの手段であり、仕方の無かったことであるとは言いながらも、その悲惨さ、運命に対してどうすることもできない民の悲しみを描いたところに、本作の特徴があるといえましょう。
本作では、終曲部で男が成仏の身を得るところを除いては、救いのない、暗い舞台が展開されてゆきます。前場で領主・盛綱に詰め寄る老母の悲痛さ、後場で氷のような刃で刺し通される男の亡霊の苦しみ…、本作はこうした、救われない者の悲劇で貫かれています。だからこそその中で、人々は救いを求めてゆくのであり、そういった絶望的境涯からの「祈り」が、本作のテーマとなっていると言えましょう。
「絶望的な境涯からの「祈り」が、本作のテーマ」と述べているように、これ以上どうしようもないギリギリの境涯からの祈りであって、馬場さんの説く様な、優しさはない。
もう一つ興味深いのは、銕之丞師が、「能のちから」で、
”壁のシミのような、人間のぬぐいきれない記憶”と言う表現で述べているくだりである。
これは、おやじが良く行っていた言葉で、ただの怨みとか、ただの悲しみではなくて、それがブーメランのように自分に帰ってきてしまう。人間的であるが故に人間的な苦しみに陥っている、弔って成仏できるような種類の思いではなく、ずっと中途半端なやるせない思いが人間の中にヘドロのように澱んで行くようなドラマ。それを表現することが、この『藤戸』には必要ではないかと思います。と述べている。
人間が抱いている、はっきりした言葉にならない想いというものを舞台の上で具現化できて、お客様にも、銕之丞の『藤戸』はなぜかすごく嫌なんだけれどもすごく身につまされる、と感じていただける能にしたい。とも言う。
銕之丞師の説明で、もっと注目すべきは、前シテの漁師の母を、三里塚闘争の農家のお母さんのようなイメージにダブらせていた人もいただろうとして、
前シテは、明らかに権力を持つ人間に自分の息子を殺された母親であり、褒美・お金にひかれてしたたかに生きようと盛綱側に味方して息子を殺されたと言う慙愧の心があるのではないか、そうなら、息子を殺されたと訴えるおばあさんも、じつは人生に対しては確信犯の側面を持っている。
(12月の吉右衛門の「弥作の鎌腹」の百姓の弥作もそうだが、平々凡々と暮らしていた庶民が、何かの拍子に予期せぬ悲劇に見舞われることが良くあるのだが、この場合にも、本来、どちら側にも加担しない筈の貧しくても平安だった庶民が、一方に加担したばかりに、悲劇に見舞われる、そんな人間の弱さ悲しさを言うのであろうか。)
ぼくは、そんな『藤戸』について、そんなことを、親父とか伯父の栄夫とか、いろいろな人が議論をしていたのを聞きながらそこに居た感じがします。と言っていることである。
だから、後ジテの殺された息子も、恨みがましく盛綱に詰め寄るが、相手を取り殺そうというよりも、自虐的と言うか自嘲的と言うか、中途半端で殺されちまっておかしいよね、と言った自傷的で、ニヒルな後ろめたさと言ったものがあると言うのである。
私自身は、後ジテを、成田空港開設反対政治運動の三里塚闘争の殺された闘士と言う考え方などは出来ないが、もし、諦観があるとすれば、悔しいが、人生と言ったものはそう言ったものかも知れない、年貢の納め時かも知れない、と言う諦めだろうと思う。
いずれにしろ、どのように、この能「藤戸」を解釈するかは、個人個人の問題であろう。
しかし、殺せと詰め寄る前シテの迫力、恨み骨髄に徹して挑みかかろうとする後ジテの権幕、そして、それに必死になって対抗しようとするワキ盛綱(福王茂十郎)の毅然たる身構えなど、緊張する場面もあり、楽しませて貰った。