熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場二月文楽・・・「本朝廿四孝」ほか

2014年02月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   13日の豪雪のために、チケットをふいにした舞台だったが、どうしても観たくて、再びチケットを求めて劇場に出かけた。
   やはり、素晴らしい舞台で、僅か2時間と少しの時間だったが、楽しませて貰った。

   この口絵写真の、赤姫姿の八重垣姫(簑助)が、壁に掛けられた亡くなった勝頼(玉女)の絵姿に向かって、十種香を焚いて回向をしているシーンは、余りにも有名だが、芝居の冒頭としては、実に良く出来ていると思っている。

   今回の「十種香の段」と「奥庭狐火の段」のストーリーは、次の通り。
   足利将軍が、長尾謙信と武田晴信の争いを謀反の兆しと恐れて、子供の八重垣姫と勝頼を縁組させるのだが、将軍が暗殺されたために、勝頼は殺される。
   この亡くなった筈の勝頼を絵姿だけで恋い焦がれる八重垣姫の姿が、件の冒頭シーンなのだが、実は、死んだ勝頼は替え玉で、勝頼が花作りの蓑作(玉女)として謙信の家来となって現れ、その姿があまりにも勝頼に似ているので、激しい恋心に捉われてアタックする。
   八重垣姫の腰元となって潜入している武田方の濡衣(文雀)は、一部始終を知っており、素振りの怪しさに気付いた八重垣姫が、蓑作との仲立ちを頼むと、濡衣が諏訪法性の兜と引き換えに仲立ちに応じたので、蓑作の正体に気付いて、二人は出会えたことを喜び、激しく恋に落ちる。
   それを一部始終承知の謙信(勘壽)が現れて、塩尻の景勝への使いを勝頼に命じて出立させ、後から刺客を送り出す。
   勝頼を殺害するつもりだと悟った八重垣姫は泣いて謙信に縋るが、謙信は拒絶して、濡衣をも捕縛する。
   勝頼を助けたい一心の八重垣姫は、奥庭の祭壇に祀られた諏訪法性の兜を手に取り、押し頂いて祈り続ける。
   兜には、諏訪明神の使いの白狐が宿り、八重垣姫(勘十郎)は、その白狐の霊力で諏訪湖を渡り勝頼のもとへ危機を知らせに駆けつけて行く。

   恋愛結婚が普通の現代の若者には、会ったことも見たこともない、絵姿の美しさだけに惚れて恋い焦がれると言う発想が、中々、理解されないであろうが、その恋に身を焦がす八重垣姫が唯一登場すると言うこの二つの段だけが、非常にポピュラーで、文楽でも歌舞伎でも、頻繁に演じられている。
   この二つの段は、長尾家と武田家の諏訪法性の兜を巡っての争いがストーリーの本筋だが、テーマは、八重垣姫の勝頼への激しい恋心である。
   狂おしい程の激しい八重垣姫の恋、狂恋が、父親を裏切ってでも愛しい勝頼の命を救いたいと言う必死の思いが、諏訪法性の兜を触媒にして、神の使いの白狐の霊が乗り移ると言う奇跡を生む。
   その象徴が、冒頭の簑助が遣う八重垣姫の正に初々しくて何の穢れもない後振りの崇高な姿である。

  
   前回は、両段とも八重垣姫を簑助が演じたが、今回は、奥庭狐火の段の、狐が乗り移った八重垣姫の激しい舞台は、前回、左を遣っていた勘十郎に任せた。
   赤姫姿の八重垣姫が、瞬時に、狐の霊力が乗り移って白い衣装に変わる早変わりは、あっという間の瞬間であったが、沢山の白狐が宙を舞うなど、この段は、正に、人形であればこその演技が随所に鏤められていて、激しく躍動する三味線にのって、勘十郎の至芸が、文楽の醍醐味を味わわせてくれて素晴らしい。

   勿論、前段の「十種香の段」の簑助の八重垣姫、それに、人間国宝文雀が遣う濡衣、そして、玉女の勝頼、勘壽の謙信も、正に、人を得て、素晴らしい舞台を見せている。
   嶋大夫の浄瑠璃と富助の三味線の情緒連綿とした熱演があってこその舞台であることは、当然なのだが、これだけ、演者が揃うと、芝居の凄さ感動は、極に達する。

   濡衣の「・・・あれが誠の勝頼様。ちゃつとお逢ひなさいませ」と、突きやられてはさすがにも始めの怨み百分の一
   「聞こえませぬ」が精一杯
   後は互ひに抱き付き、つい濡初めに
   濡衣も、心ときつくおりからに
   父謙信の声として「蓑作はいづれにゐる、・・・」
   
   床本は、これだけの表現だが、勝頼と知って縋り付く八重垣姫を勝頼が抱きしめる濡れ場は、ほんの一瞬、すぐに、イラついた謙信が登場する。  
   しっかと抱き合い、合わせた顔を、勝頼が扇を広げて隠し、側にいる濡衣は、見ちゃおれないと言わんばかりに顔を背ける・・・
   このあたりの大夫の語りも意味深だが、とにかく、人形の濡れ場とは思えないようなリアルさで、感動的である。

   最初から最後まで、簑助のこの段での八重垣姫のパーフォーマンスは、高貴なお姫様の魅力全開である。
   それに、控えめだが毅然とした濡衣の文雀が、また、堪らなく上手い。
   去年、文楽劇場から日本橋駅へとぼとぼと歩いていた文雀師を見ているので、この濡衣の初々しさ、色香や品の良さが、何処から出て来るのか、感動している。

   とにかく、素晴らしい舞台である。
   前半に上演された「御所桜堀川夜討」の「弁慶上使の段」も、実に、充実した凄い舞台だったが、これでも、空席が目立って残念であった。
   文楽協会の必死の努力にも拘らず、入場者が既定数に達しなかったので、大阪市の補助金が削減されると報道されていた。
   高度な文化芸術は、ひ弱な花であって、大切に育てないと枯れてしまう.
コメント
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