国家が成長し、あるいは、衰退するためには、色々な要因が考えられるが、著者たちは、包括的な政治・経済制度が繁栄とのつながりがあると考えている。
所有権を強化し、平等な機会を創出し、新たなテクノロジーとスキルへの投資を促す包括的経済制度は、収奪的制度よりも経済成長に繋がり易い。収奪的制度は多数の持つ資源を少数者が搾り取る構造で、所有権を保護しないし、経済活動へのインセンティブも与えない。
包括的経済制度は、包括的政治制度に支えられ、かつ、これを支える。
包括的政治制度とは、政治権力を幅広く多元的に配分し、ある程度の政治的中央集権化を達成でき、その結果、法と秩序、確実な所有権の基礎、包括的市場経済が確立されるような制度である。
一方、収奪的政治制度は、権力を少数の手に集中させるために、その少数がみずからの利益のために収奪的経済制度を維持発展させることに意欲を燃やし、手に入れた資源を利用して自分の政治権力をより強固にする。収奪的経済制度は、収奪的政治制度と結びついて相乗効果を発揮して、益々、国家を窮地に追い込んで悲惨な状態を顕現する。
これが、著者たちの基本的な見解であり、冒頭、アメリカとメキシコの国境を跨いで併存するレガノス市の景観が、アメリカ側とメキシコ側とでは如何に違うかを写真で示していて興味深い。
尤も、収奪的な政治・経済制度と経済成長が両立しないと言う訳ではなく、どんなエリートでも搾取するものを増やすためにできるだけ成長を促進したがるので、最低限度の政治的中央集権化が達成されておれば、ある程度は成長が可能だが、問題は、そのような収奪的制度下の成長は、持続しないと言う。
まず第一に、持続的経済成長を維持するためには、イノベーションが必要であり、イノベーションは創造的破壊を伴うので、経済界に新旧交代を引き起こし、政界や経済界で確立されている力関係を破壊するので、エスタブリッシュメントが抵抗し、芽生えたどんな成長要因も短命に終わる。
第二に、収奪的制度を支配する層が、社会の大部分を犠牲にして莫大な利益を得られるのなら政治権力は垂涎の的となり多くの集団や個人が闘って社会が政治的に不安定になる。
からだと言うのである。
これは、ソ連のケースを考えれば納得がいく。
そして、興味深いことに、著者たちは、中国は収奪的政治制度下にあるので、成長は持続的成長を齎さず、いずれ活力を失うと示唆している。
さて、有史以来、収奪的制度がごく普通だったはずだが、どうして、旧弊を打破して、イギリスを筆頭に、包括的制度へ移行できた社会があるのはどうしてであろうか。
歴史的偶然と言うべきか、大幅な経済改革の必要条件である大幅な制度改革が実現するのは、既存の制度と決定的な岐路が相互に作用した時だと言う。
決定的な岐路とは、一部あるいは多くの社会で既存の政治・経済の均衡が崩されるような大きな出来事のことで、14世紀にヨーロッパの大半で人口のおよそ半分を死に至らしめたペスト、西洋の多数の人々に莫大な利益の機会を生んだ大西洋貿易航路の開通、世界中で経済構造の急激かつ破壊的な変化の可能性を齎した産業革命などである。
当然、歴史には必然は有り得ないので、夫々の国の興亡は、小さな相違と偶然の積み重ねであって、制度的浮動を通じて決定的な岐路に重要な役割を果たすのは、歴史的プロセスである。
西洋の歴史的転換は、封建制度が独自の筋道を辿って奴隷制度に取って代わり、やがて君主の権力を弱めるに至ったこと、西暦1000年代に入ってから数世紀間にヨーロッパで商業上の自治を保つ独立した都市が発展したこと、ヨーロッパの君主が海外貿易を脅威と受け取らず、妨げようとしなかったこと、封建秩序を揺るがしたペストの到来・・・etc. 後退や前進を繰り返しながら、イギリスの名誉革命を経ながら、包括的政治制度と包括的経済循環の相乗効果による好循環を繰り返して、成長発展を持続してきたのである。
ところで、前述したのはこの本の主要点の要約だが、決してこれらの論点に固守せずに、色々な側面から世界史的な視点で国家の発展興亡について論じていて、私としては、個々の国家の歴史的展開や経済発展論としての世界史の総括と言う面からアプローチしたので、非常に、興味深く読ませて貰った。
総括的政治制度と総括的経済制度の好循環を繰り返して民主主義的な成長発展を遂げてきたイギリスやアメリカの軌跡やその違いだけをとっても、経済成長のみならず、文化文明論としても面白く、
そして、同じ新大陸の植民地国家でありながら、何故、アメリカが成長発展して、スペインやポルトガルに植民地として搾取され続けたラテン・アメリカが、独立後も悪循環に陥って経済的後背地に甘んじているのかと言った問題についても、包括的政治経済理論で分析しており、このように一本筋の通った理論展開で歴史を見ると、結構興味深いことが分かる。
上下700ページくらいの翻訳本だが、久しぶりに、面白い経済発展論を読んだと思っている。
所有権を強化し、平等な機会を創出し、新たなテクノロジーとスキルへの投資を促す包括的経済制度は、収奪的制度よりも経済成長に繋がり易い。収奪的制度は多数の持つ資源を少数者が搾り取る構造で、所有権を保護しないし、経済活動へのインセンティブも与えない。
包括的経済制度は、包括的政治制度に支えられ、かつ、これを支える。
包括的政治制度とは、政治権力を幅広く多元的に配分し、ある程度の政治的中央集権化を達成でき、その結果、法と秩序、確実な所有権の基礎、包括的市場経済が確立されるような制度である。
一方、収奪的政治制度は、権力を少数の手に集中させるために、その少数がみずからの利益のために収奪的経済制度を維持発展させることに意欲を燃やし、手に入れた資源を利用して自分の政治権力をより強固にする。収奪的経済制度は、収奪的政治制度と結びついて相乗効果を発揮して、益々、国家を窮地に追い込んで悲惨な状態を顕現する。
これが、著者たちの基本的な見解であり、冒頭、アメリカとメキシコの国境を跨いで併存するレガノス市の景観が、アメリカ側とメキシコ側とでは如何に違うかを写真で示していて興味深い。
尤も、収奪的な政治・経済制度と経済成長が両立しないと言う訳ではなく、どんなエリートでも搾取するものを増やすためにできるだけ成長を促進したがるので、最低限度の政治的中央集権化が達成されておれば、ある程度は成長が可能だが、問題は、そのような収奪的制度下の成長は、持続しないと言う。
まず第一に、持続的経済成長を維持するためには、イノベーションが必要であり、イノベーションは創造的破壊を伴うので、経済界に新旧交代を引き起こし、政界や経済界で確立されている力関係を破壊するので、エスタブリッシュメントが抵抗し、芽生えたどんな成長要因も短命に終わる。
第二に、収奪的制度を支配する層が、社会の大部分を犠牲にして莫大な利益を得られるのなら政治権力は垂涎の的となり多くの集団や個人が闘って社会が政治的に不安定になる。
からだと言うのである。
これは、ソ連のケースを考えれば納得がいく。
そして、興味深いことに、著者たちは、中国は収奪的政治制度下にあるので、成長は持続的成長を齎さず、いずれ活力を失うと示唆している。
さて、有史以来、収奪的制度がごく普通だったはずだが、どうして、旧弊を打破して、イギリスを筆頭に、包括的制度へ移行できた社会があるのはどうしてであろうか。
歴史的偶然と言うべきか、大幅な経済改革の必要条件である大幅な制度改革が実現するのは、既存の制度と決定的な岐路が相互に作用した時だと言う。
決定的な岐路とは、一部あるいは多くの社会で既存の政治・経済の均衡が崩されるような大きな出来事のことで、14世紀にヨーロッパの大半で人口のおよそ半分を死に至らしめたペスト、西洋の多数の人々に莫大な利益の機会を生んだ大西洋貿易航路の開通、世界中で経済構造の急激かつ破壊的な変化の可能性を齎した産業革命などである。
当然、歴史には必然は有り得ないので、夫々の国の興亡は、小さな相違と偶然の積み重ねであって、制度的浮動を通じて決定的な岐路に重要な役割を果たすのは、歴史的プロセスである。
西洋の歴史的転換は、封建制度が独自の筋道を辿って奴隷制度に取って代わり、やがて君主の権力を弱めるに至ったこと、西暦1000年代に入ってから数世紀間にヨーロッパで商業上の自治を保つ独立した都市が発展したこと、ヨーロッパの君主が海外貿易を脅威と受け取らず、妨げようとしなかったこと、封建秩序を揺るがしたペストの到来・・・etc. 後退や前進を繰り返しながら、イギリスの名誉革命を経ながら、包括的政治制度と包括的経済循環の相乗効果による好循環を繰り返して、成長発展を持続してきたのである。
ところで、前述したのはこの本の主要点の要約だが、決してこれらの論点に固守せずに、色々な側面から世界史的な視点で国家の発展興亡について論じていて、私としては、個々の国家の歴史的展開や経済発展論としての世界史の総括と言う面からアプローチしたので、非常に、興味深く読ませて貰った。
総括的政治制度と総括的経済制度の好循環を繰り返して民主主義的な成長発展を遂げてきたイギリスやアメリカの軌跡やその違いだけをとっても、経済成長のみならず、文化文明論としても面白く、
そして、同じ新大陸の植民地国家でありながら、何故、アメリカが成長発展して、スペインやポルトガルに植民地として搾取され続けたラテン・アメリカが、独立後も悪循環に陥って経済的後背地に甘んじているのかと言った問題についても、包括的政治経済理論で分析しており、このように一本筋の通った理論展開で歴史を見ると、結構興味深いことが分かる。
上下700ページくらいの翻訳本だが、久しぶりに、面白い経済発展論を読んだと思っている。