熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場二月文楽・・・「近頃河原の達引」

2014年02月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん・・・」のセリフでポピュラーな文楽「近頃河原の達引」。
   今回は、「四条河原の段」と「堀川猿廻しの段」だけだが、このセリフは、後半の段で、寛治の三味線にのって津駒大夫が、紋壽の遣うおしゅんに語らせ、苦しい胸の内を、勘壽の伝兵衛にかき口説く。

   浄瑠璃好きの大店の旦那が、お稽古をしているのを耳にタコが出来る程聞いたニキビだらけの丁稚が、御用の途中に口遊む・・・そんな情景を彷彿とさせるような台詞である。
   先日、能には縁のなかった庶民が、謡だけを楽しむ「謡講」、すなわち、広い畳敷きの座敷を障子や御簾で仕切って聴衆から見えないようにして演者が謡った様式の上演形態が流行ったと言うことで、国立能楽堂で上演されたのだが、古典芸能は、色々な形で、庶民の間で生き続けているのである。

   今回の舞台の概要は、次の通り。
   祇園の遊女おしゅん(紋壽)を巡って争っていた井筒屋伝兵衛(勘壽)が、おしゅんの身請け話で煮え湯を飲まされていた横淵官左衛門(玉志)が、大事な茶壺を割ってしまったので、怒り心頭に達して殺してしまう。
   一方、おしゅんは、お尋ね者となった伝兵衛との関わりを心配されて京の堀川の実家に帰されて、目を患う母(文昇)と兄・猿廻しの与次郎(玉女)と暮らしている。
   母兄は、思いつめた伝兵衛が、家に来て刃傷沙汰にならないか、心中しないかと心配して、おしゅんに退き状を書かせる。
   そこへ、伝兵衛が訪ねて来て、退き状を見せられ裏切られたと口惜しさに泣くのだが、それは、退き状ではなくて、今度の不幸は自分故に起きたことで、女の道を立て通すために、伝兵衛と運命を共にすると言うおしゅんの書置きだった。
   二人の心情を察した母兄は、おしゅんに女の道を立てさせるために、出来るだけ逃げ延びて欲しいと伝兵衛に頼み、与次郎が、番の猿を廻して、門出の祝いとするのである。

   ところで、前述のおしゅんのセリフだが、書置きを読んで、義理を立て抜くおしゅんの貞節を知った伝兵衛が、罪を犯したのは自分で死は免れぬ身だが、共に死んでは母兄二人の嘆き、咎のないおしゅんは命長らえて後世を弔ってくれと言ったのに対して、「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん・・・」とおしゅんは、必死になって命の叫びを吐露したのである。
   「・・・そも逢い掛かる始めより末の末まで云い交わし、・・・一緒に死なして下さんせ」と隠せし剃刀取り直す・・・
   心中を覚悟したおしゅんの心情を察した母が、鳥類畜類でも、子の可愛さに変わりはないもの・・・親御様の嘆き必定であろうから、いづくいかなる国の果て、山の奥にも身を忍び、逃れてくれと拝み頼む。
   金の切れ目が縁の切れ目の筈の色里とは全くかけ離れたおしゅんの貞節、心中すると分かっていながら逃避行を許さざるを得ない母と兄の断腸の悲痛を、あまねく語って澱みのない津駒大夫の語りと寛治の三味線が、人形を泣かせ慟哭させて胸を締め付ける。

   浄瑠璃本を読んでいないので分からないのだが、「歌舞伎見物のお供」によると、この心中の顛末は、
    二人は、聖護院の森を目指して落ちていくのだが、悪人の横淵官左衛門の同僚の侍が、横淵の悪事を暴いたので、伝兵衛はおとがめナシとなり、心中直前に与次郎が助けに来て、おしゅんも身請けされると言うことである。

   この段で興味深いのは、少し頭が弱いが実直そのもので母思い妹思いの兄の与次郎で、一寸、チャリ気味の演技を、玉女が器用に遣っていて面白い。
   幕切れ近くの、祝言の代わりに与次郎が演じる猿回しの、男女の猿の、愉快な、しかし、実にもの悲しい姿が秀逸で、番の猿を両手に持って、実際の小猿がじゃれて愛の交感を演じているような黒衣の遣い手の手腕も大したものである。
   運命を噛みしめながら泣いている伝兵衛とおしゅんは、俯いたままで、軽快な三味線にのっておどる猿回しを見ていないのが、哀歓を誘って切ない。

   私は、紋壽の「文楽・女方ひとすじ―おつるから政岡まで 」(11年前にアマゾンにブックレビューを書いている)を読んでから、紋壽のファンで、今回も、最初から最後まで、紋壽の遣うおしゅんを注視していた。
   冒頭から影のある悲劇のヒロインを、愛おしみながらしっとりと遣っていて、感動的であった。

   ところで、この段の前半は、住大夫の浄瑠璃と錦糸の三味線であった。
   冒頭は、母親が近所の娘に三味線を教えるシーンで、男女の心中を歌った地歌「鳥辺山」で、二人の行く末を暗示するのだが、帰ってきた猿廻しの与次郎が、目の患いに苦労をかけると泣く母に無理に商売繁盛を装って安心させ、追われる身となった伝兵衛と別れるよう説得されて退き状を書くおしゅん、貧しいながらもお互いを思いやりながら必死になって生きている三人の姿を語る部分は、嵐の前の静けさと言うか、しみじみと人生を語っていて感慨深い。
   ・・・しばしこの世を仮蒲団、薄き親子の契りやと、枕に伝ふ露涙、夢の浮世と諦めて、更け往く
   住大夫の語る浄瑠璃は、ずっしりと胸に響いて感動を呼ぶ。

   さて、この演目の前に、「七福神宝の入船」と言う目出度いプログラムがあって、宝船に乗った七福神が、酒盛りの余興に、夫々が得意とする芸を披露すると言う愉快な舞台を見せてくれた。
   同類の歌舞伎の舞台よりも、コンパクトで大げさでないところが良い。
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