祇園祭礼信仰記の「金閣寺」は、幸四郎や團十郎などの重鎮の舞台で、雪姫も玉三郎と言った頂点を極めた女形の舞台を観て来たのだが、今回は、一挙に、役者たちが若返って、松本大膳が染五郎、此下東吉が勘九郎、雪姫が七之助と言う陣容で、溌剌とした舞台を見せていた。
後の「蜘蛛の拍子舞」で、坂田金時で豪快な押戻しを演じた染五郎が、ここでも、中々堂に入った大悪の大膳を、スケールの大きさを感じさせる素晴らしい演技で、新境地を見せてくれた。
それに、東吉の勘九郎の風格と言い、雪姫の七之助の初々しさと言い、多少、若さを感じるのだが、初春の素晴らしい幕開けを演じていて素晴らしい。
軍平の男女蔵、鬼藤太の廣太郎の面白さ、それに、存在感を示した直信の笑也、慶寿院尼の門之助などの脇役陣の活躍も見逃せない。
随分前に、幸四郎の茂兵衛、雀右衛門のお蔦で、長谷川伸の「一本刀土俵入り」を観たことがあるように思う。
上州勢多群の駒形を故郷とする侠客がモデルだと言われている物語だが、しみじみした人間味が全編に流れていて、味のある芝居である。
渡世人となった茂兵衛は、幸四郎の本来の役どころなので違和感がないのだが、冒頭の空腹でふらつきながら登場する朴訥そのもので誠実一途の取的は、イメージをはるかに超えた風貌ながら、中々、雰囲気が出ていて魅せてくれる。
それに、魁春のお蔦が、正に、直球勝負で、あばずれ酌婦の哀愁を漂わせながら情の深さと人の良さ優しさを滲ませていて、最後に普通の妻母に戻る姿を、淡々と演じていて素晴らしい。
博労の親分波一里儀十の歌六と、お蔦の夫船印彫師辰三郎の錦之助は、正に、地で行ったような適役で、本領発揮と言うところであろう。
水戸街道の取手の茶屋旅籠・我孫子屋の二階の窓にもたれて酌婦お蔦が酔いをさましているところへ、空腹でふらふらしながら取的の茂兵衛が通りかかる。
総てを失って天涯孤独となった茂兵衛が、破門された相撲の親方のところへもう一度入門をゆるしてもらおうと江戸へ向かう途中で、亡き母に報いようと誠心誠意の茂兵衛に心を打たれたお蔦は、持っている金全部と櫛、簪まで茂兵衛に与えて立派な横綱になるようにと励ます。茂兵衛は、この親切を生涯忘れないと誓って江戸へと旅立つ。
十年後、渡世人となった茂兵衛が、お蔦を尋ねてやって来ると、あの時お蔦が歌っていた小原節の歌声が聞こえたので、居所を知る。
細々と暮らすお蔦と娘のお君のところへ、行方知れずであったイカサマに手を出して追われている夫の辰三郎が帰って来ており、そこへ、博労の親方・儀十たちが乗り込んでくる。
茂兵衛が、お蔦家族をかばって、博労たちをたたきのめして、「お行きなさんせ、・・・仲よく丈夫でおくらしなさんせ。」と促して、
「お蔦さん、棒切れを振り廻してする茂兵衛のこれが、十年前に、櫛かんざし、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見て貰う駒形の、しがねえ姿の、土俵入りでござんす。」
「蜘蛛の拍子舞」は、玉三郎の独壇場の舞台。
源頼光と家臣四天王たちによる妖怪土蜘蛛退治を題材にした舞踊劇で、能の「土蜘蛛」に登場する胡蝶を土蜘蛛に変えたような妖艶な舞台であり、玉三郎の美しい白拍子妻菊から恐ろしい女郎蜘蛛の精へと変身を遂げる素晴らしい舞姿が、見所であろう。
渡辺綱の勘九郎と源頼光の七之助が華を添え、坂田金時の染五郎が、豪快な押戻しで荒事を見せる。
もののけが現れるという廃墟のようになった御所の検分にやって来た源頼光と綱たちの前に、美しい白拍子妻菊が現れて、頼光たちを色仕掛けで誑かそうと一緒に踊るのだが、実は、蜘蛛のもののけで、オドロオドロシイ蜘蛛に変身して暴れ回ると言う話。
1時間ほどの舞踊劇で、華麗な踊りの後の立ち回りと押戻し、ストーリー性は全くないが、見ていて楽しい。
正月なので、歌舞伎座全体が明るく華やかな雰囲気だったが、観劇途中に、体調不良で運び出されたり退出する人が出ていたが、これも、社会全体の老齢化の象徴であろうか。
私など、歌舞伎や文楽に行けば、能や狂言、落語やシェイクスピアにも行くと言った節操のない観劇愛好家にとっても、歳の所為か、4~5時間続く歌舞伎の舞台は、演目によっては、多少、ダレを感じることがある。
相変わらずのマンネリ舞台とは違って、文楽のように、斬新なシェイクスピア戯曲の新作などが、出て来ると楽しいのだが。
後の「蜘蛛の拍子舞」で、坂田金時で豪快な押戻しを演じた染五郎が、ここでも、中々堂に入った大悪の大膳を、スケールの大きさを感じさせる素晴らしい演技で、新境地を見せてくれた。
それに、東吉の勘九郎の風格と言い、雪姫の七之助の初々しさと言い、多少、若さを感じるのだが、初春の素晴らしい幕開けを演じていて素晴らしい。
軍平の男女蔵、鬼藤太の廣太郎の面白さ、それに、存在感を示した直信の笑也、慶寿院尼の門之助などの脇役陣の活躍も見逃せない。
随分前に、幸四郎の茂兵衛、雀右衛門のお蔦で、長谷川伸の「一本刀土俵入り」を観たことがあるように思う。
上州勢多群の駒形を故郷とする侠客がモデルだと言われている物語だが、しみじみした人間味が全編に流れていて、味のある芝居である。
渡世人となった茂兵衛は、幸四郎の本来の役どころなので違和感がないのだが、冒頭の空腹でふらつきながら登場する朴訥そのもので誠実一途の取的は、イメージをはるかに超えた風貌ながら、中々、雰囲気が出ていて魅せてくれる。
それに、魁春のお蔦が、正に、直球勝負で、あばずれ酌婦の哀愁を漂わせながら情の深さと人の良さ優しさを滲ませていて、最後に普通の妻母に戻る姿を、淡々と演じていて素晴らしい。
博労の親分波一里儀十の歌六と、お蔦の夫船印彫師辰三郎の錦之助は、正に、地で行ったような適役で、本領発揮と言うところであろう。
水戸街道の取手の茶屋旅籠・我孫子屋の二階の窓にもたれて酌婦お蔦が酔いをさましているところへ、空腹でふらふらしながら取的の茂兵衛が通りかかる。
総てを失って天涯孤独となった茂兵衛が、破門された相撲の親方のところへもう一度入門をゆるしてもらおうと江戸へ向かう途中で、亡き母に報いようと誠心誠意の茂兵衛に心を打たれたお蔦は、持っている金全部と櫛、簪まで茂兵衛に与えて立派な横綱になるようにと励ます。茂兵衛は、この親切を生涯忘れないと誓って江戸へと旅立つ。
十年後、渡世人となった茂兵衛が、お蔦を尋ねてやって来ると、あの時お蔦が歌っていた小原節の歌声が聞こえたので、居所を知る。
細々と暮らすお蔦と娘のお君のところへ、行方知れずであったイカサマに手を出して追われている夫の辰三郎が帰って来ており、そこへ、博労の親方・儀十たちが乗り込んでくる。
茂兵衛が、お蔦家族をかばって、博労たちをたたきのめして、「お行きなさんせ、・・・仲よく丈夫でおくらしなさんせ。」と促して、
「お蔦さん、棒切れを振り廻してする茂兵衛のこれが、十年前に、櫛かんざし、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見て貰う駒形の、しがねえ姿の、土俵入りでござんす。」
「蜘蛛の拍子舞」は、玉三郎の独壇場の舞台。
源頼光と家臣四天王たちによる妖怪土蜘蛛退治を題材にした舞踊劇で、能の「土蜘蛛」に登場する胡蝶を土蜘蛛に変えたような妖艶な舞台であり、玉三郎の美しい白拍子妻菊から恐ろしい女郎蜘蛛の精へと変身を遂げる素晴らしい舞姿が、見所であろう。
渡辺綱の勘九郎と源頼光の七之助が華を添え、坂田金時の染五郎が、豪快な押戻しで荒事を見せる。
もののけが現れるという廃墟のようになった御所の検分にやって来た源頼光と綱たちの前に、美しい白拍子妻菊が現れて、頼光たちを色仕掛けで誑かそうと一緒に踊るのだが、実は、蜘蛛のもののけで、オドロオドロシイ蜘蛛に変身して暴れ回ると言う話。
1時間ほどの舞踊劇で、華麗な踊りの後の立ち回りと押戻し、ストーリー性は全くないが、見ていて楽しい。
正月なので、歌舞伎座全体が明るく華やかな雰囲気だったが、観劇途中に、体調不良で運び出されたり退出する人が出ていたが、これも、社会全体の老齢化の象徴であろうか。
私など、歌舞伎や文楽に行けば、能や狂言、落語やシェイクスピアにも行くと言った節操のない観劇愛好家にとっても、歳の所為か、4~5時間続く歌舞伎の舞台は、演目によっては、多少、ダレを感じることがある。
相変わらずのマンネリ舞台とは違って、文楽のように、斬新なシェイクスピア戯曲の新作などが、出て来ると楽しいのだが。
