曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』を台本にした歌舞伎だが、28年もの年月をかけて著した長編小説で、全106冊を終えたのは1842年だと言う長大なストーリーを、たったの4時間くらいの通し狂言にしているので、かなり無理がある。
しかし、うまく纏まっていて、江戸文学の常套手段の「勧善懲悪」「因果応報」を旨とした怪奇趣向の話だが、派手な見せ場やスペクタクル展開の舞台が見せて魅せてくれて、新春早々のお芝居としては、まずまずの出来である。
この物語だが、
結城の戦いに敗れた里見義実が、安房へ落ち延び、安房国滝田の城主に治まるのだが、隣国の館山城主安西景連の攻撃にあう。
愛犬八房に、敵将景連の首を取って来れば、娘の伏姫を与えると言ってしまったので、その功績で、伏姫は仕方なく、八房を連れて富山の洞窟に籠る。
伏姫は、絶対に体を許さなかったが、八房の気を感じて懐妊してしまったので、身の純潔を証するため、、自害して果てるのだが、この時、役の行者から授かった護身の数珠から八つの玉が飛び散って、この八方へ飛んだ八つの仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉を持った八犬士が生まれ出でて、里見家を再興すると言う話である。
実際の物語は、伏姫は、八房を寄せ付けず、洞窟に籠って仏道三昧で、許婚の金碗大輔が、鉄砲で八房を撃ち殺すのだが、この歌舞伎では、伏姫に挑みかかろうとした八房を、伏姫が、抵抗しながら刺し殺すと言う展開になっていて、八房の獣性を見せているのが面白い。
一般的な知識しかなかったので、本を読もうと思ったのだが、岩波文庫でも、相当大部であるし、結局、安西篤子の南総里見八犬伝」を読んだ。
この集英社のわたしの古典全集は、その方面の作家や学者など女流の第一人者が執筆しているので、信頼でき、これまで、他の古典でも、結構、お世話になっている。
とにかく、八人も犬士が登場してくるし、他にも登場人物が多くて非常に複雑な物語なのだが、この歌舞伎の主要な役者たちが演じる八犬士の部分を、そこを主体に抽出してきたようなストーリー展開となっていると言えようか。
尾上菊之助の信乃を筆頭に、菊五郎の道節、時蔵の毛野、松緑の現八、亀三郎の小文吾と言ったところである。
物語性のあるのは、序幕の武蔵と二幕目の下総くらいで、他の幕は、上演時間も短くて、話の辻褄合わせと舞台を見せると言った感じになっていて、所謂、江戸歌舞伎の手法である。
しかし、いずれにしろ、省略と説明なしの舞台展開が多いので、殆ど予備知識なしに見ている観客は、十分に筋が追えないのではないかと思うし、私など、船虫や庚申山の妖猫退治など他にも面白い話があって、どの部分を選ぶか、歌舞伎化には、かなり、苦労したのではないかと思っている。
冒頭から主役は、菊之助の信乃で、日頃の女形の素晴らしさの魅力には、やや欠けるのだが、凛々しい若武者ぶりを見せていて、許嫁浜路(梅枝)との色模様や、芳流閣での犬飼現八(松緑)との大屋根上の派手な組討など、大車輪の活躍である。
菊五郎の演じる犬山道節は、家伝の書のお蔭で火遁の術を使うと言う忍者まがいの芸当ができるので、この歌舞伎の呼び物である迫力抜群の爆発音と光を伴って紙吹雪が客席まで飛び散る、派手な舞台を揺るがすような大火焔の中から登場したり、敵陣へ乗り込むので、八犬士の頭領格となっている。
歌舞伎の舞台だからであろう、特別に浮かび上がらせた座長役者の役どころだと思うのだが、この通し狂言の舞台の魅力を支えている。
時蔵の犬坂毛野は、本来の女田楽師として登場して、父の仇である馬加大記舘に乗り込んで、華麗な舞を披露しながら、囚われの身の小文吾を助け、大記(團蔵)を討つ。
この毛野は、美女と見紛うほどの田楽師で、小文吾に結婚を申し込んだので、小文吾も女性だと信じて承諾したと言う馬琴の設定が面白い。
小文吾の亀三郎は、信乃と現八とを結び合わせると言う役どころだが、豪快な立ち回りと剛毅な演技が素晴らしい。
現八の松緑も中々の好演だが、もう一つの役どころである悪役の綱乾左母二郎は、本来の性格俳優ぶりを遺憾なく発揮して、信乃の名刀村雨をすり替えたり、浜路をかどわかして連れ去り、嫁にならぬと抵抗するのを殺してしまうと言った役どころも、アクの強い演技ながら面白い。
信乃をのけ者にしたい意地の悪い大塚蟇六の團蔵と女房亀笹の萬次郎夫婦の中々味のある芸達者ぶりや、足利成氏の彦三郎の威厳と重みのある演技など、脇役陣の活躍も素晴らしい。
信乃を思い続けて死んで行く健気で薄幸の浜路を演じる娘役の梅枝は、実に感性豊かな演技をしていて感動的である。
一寸出だが、冒頭の重要な役どころの伏姫を演じた尾上右近も、瑞々しくて毅然とした美しさが光っている。
最後になったが、八犬士の宿敵である扇谷定正の左團次は、貫録と風格十分。
肝心の討伐には至らず、またの機会に戦場でと言う歌舞伎の常套手段で八犬士と舞台に勢揃いして見得を切り、手拭い撒きをして幕と言う結末。
どうも、スペクタクル舞台を観て楽しむ歌舞伎だったようで、何らかのストーリー展開を期待して見ていた私には、一寸異質な舞台であった。
正月なので、何時ものように、綺麗な羽子板が飾れていた。
書道家武田双雲さんの書や房州うちわなども展示されていて面白かった。




しかし、うまく纏まっていて、江戸文学の常套手段の「勧善懲悪」「因果応報」を旨とした怪奇趣向の話だが、派手な見せ場やスペクタクル展開の舞台が見せて魅せてくれて、新春早々のお芝居としては、まずまずの出来である。
この物語だが、
結城の戦いに敗れた里見義実が、安房へ落ち延び、安房国滝田の城主に治まるのだが、隣国の館山城主安西景連の攻撃にあう。
愛犬八房に、敵将景連の首を取って来れば、娘の伏姫を与えると言ってしまったので、その功績で、伏姫は仕方なく、八房を連れて富山の洞窟に籠る。
伏姫は、絶対に体を許さなかったが、八房の気を感じて懐妊してしまったので、身の純潔を証するため、、自害して果てるのだが、この時、役の行者から授かった護身の数珠から八つの玉が飛び散って、この八方へ飛んだ八つの仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉を持った八犬士が生まれ出でて、里見家を再興すると言う話である。
実際の物語は、伏姫は、八房を寄せ付けず、洞窟に籠って仏道三昧で、許婚の金碗大輔が、鉄砲で八房を撃ち殺すのだが、この歌舞伎では、伏姫に挑みかかろうとした八房を、伏姫が、抵抗しながら刺し殺すと言う展開になっていて、八房の獣性を見せているのが面白い。
一般的な知識しかなかったので、本を読もうと思ったのだが、岩波文庫でも、相当大部であるし、結局、安西篤子の南総里見八犬伝」を読んだ。
この集英社のわたしの古典全集は、その方面の作家や学者など女流の第一人者が執筆しているので、信頼でき、これまで、他の古典でも、結構、お世話になっている。
とにかく、八人も犬士が登場してくるし、他にも登場人物が多くて非常に複雑な物語なのだが、この歌舞伎の主要な役者たちが演じる八犬士の部分を、そこを主体に抽出してきたようなストーリー展開となっていると言えようか。
尾上菊之助の信乃を筆頭に、菊五郎の道節、時蔵の毛野、松緑の現八、亀三郎の小文吾と言ったところである。
物語性のあるのは、序幕の武蔵と二幕目の下総くらいで、他の幕は、上演時間も短くて、話の辻褄合わせと舞台を見せると言った感じになっていて、所謂、江戸歌舞伎の手法である。
しかし、いずれにしろ、省略と説明なしの舞台展開が多いので、殆ど予備知識なしに見ている観客は、十分に筋が追えないのではないかと思うし、私など、船虫や庚申山の妖猫退治など他にも面白い話があって、どの部分を選ぶか、歌舞伎化には、かなり、苦労したのではないかと思っている。
冒頭から主役は、菊之助の信乃で、日頃の女形の素晴らしさの魅力には、やや欠けるのだが、凛々しい若武者ぶりを見せていて、許嫁浜路(梅枝)との色模様や、芳流閣での犬飼現八(松緑)との大屋根上の派手な組討など、大車輪の活躍である。
菊五郎の演じる犬山道節は、家伝の書のお蔭で火遁の術を使うと言う忍者まがいの芸当ができるので、この歌舞伎の呼び物である迫力抜群の爆発音と光を伴って紙吹雪が客席まで飛び散る、派手な舞台を揺るがすような大火焔の中から登場したり、敵陣へ乗り込むので、八犬士の頭領格となっている。
歌舞伎の舞台だからであろう、特別に浮かび上がらせた座長役者の役どころだと思うのだが、この通し狂言の舞台の魅力を支えている。
時蔵の犬坂毛野は、本来の女田楽師として登場して、父の仇である馬加大記舘に乗り込んで、華麗な舞を披露しながら、囚われの身の小文吾を助け、大記(團蔵)を討つ。
この毛野は、美女と見紛うほどの田楽師で、小文吾に結婚を申し込んだので、小文吾も女性だと信じて承諾したと言う馬琴の設定が面白い。
小文吾の亀三郎は、信乃と現八とを結び合わせると言う役どころだが、豪快な立ち回りと剛毅な演技が素晴らしい。
現八の松緑も中々の好演だが、もう一つの役どころである悪役の綱乾左母二郎は、本来の性格俳優ぶりを遺憾なく発揮して、信乃の名刀村雨をすり替えたり、浜路をかどわかして連れ去り、嫁にならぬと抵抗するのを殺してしまうと言った役どころも、アクの強い演技ながら面白い。
信乃をのけ者にしたい意地の悪い大塚蟇六の團蔵と女房亀笹の萬次郎夫婦の中々味のある芸達者ぶりや、足利成氏の彦三郎の威厳と重みのある演技など、脇役陣の活躍も素晴らしい。
信乃を思い続けて死んで行く健気で薄幸の浜路を演じる娘役の梅枝は、実に感性豊かな演技をしていて感動的である。
一寸出だが、冒頭の重要な役どころの伏姫を演じた尾上右近も、瑞々しくて毅然とした美しさが光っている。
最後になったが、八犬士の宿敵である扇谷定正の左團次は、貫録と風格十分。
肝心の討伐には至らず、またの機会に戦場でと言う歌舞伎の常套手段で八犬士と舞台に勢揃いして見得を切り、手拭い撒きをして幕と言う結末。
どうも、スペクタクル舞台を観て楽しむ歌舞伎だったようで、何らかのストーリー展開を期待して見ていた私には、一寸異質な舞台であった。
正月なので、何時ものように、綺麗な羽子板が飾れていた。
書道家武田双雲さんの書や房州うちわなども展示されていて面白かった。




