午前中は、雨上がりでもあったので、冬のバラの剪定と、つるバラの誘引を行った。
1年前に移転した時に、旧宅の庭に残したり、人に上げたりして、殆ど手放したので、鎌倉に持ってきたのは、イングリッシュ・ローズを主体にして、たった9鉢。
それなりに、庭の植栽が整った庭なので、庭植えは、シャルル・ド・ゴールの行燈仕立てだけで、今のところ、ばらを植える空間がなく、当分、10号鉢くらいの鉢植えで、通す以外にはない。
ハイブリッド・ティーは、思い切り切り詰めて、フロリバンダは、やや、軽く適当に、イングリッシュ・ローズは、3分の1程度切り詰めて、形を整える程度にした。
つるバラは、オベリスク仕立てなので、適当に間延びした枝などを間引いて、残りの伸びた枝を、ぐるぐる巻きにした。
寒肥をやって、薬剤散布をすれば、一応、冬の世話は終わりである。
午後、遅く神田神保町に出かけて、久しぶりに、古書店を回った。
やはり、紙媒体の出版物の斜陽傾向が止まらないのであろうか。
古書店の撤退と言うのか、消えて行ったり、経営者が変わったりと、最近は、移動が激しいような感じである。
古書店で買ったのは、1996年出版の
ノーマン・レブレヒト著「巨匠神話 誰がカラヤンを帝王にしたのか」
定価3,400円が、1,080円。第4刷だから、結構売れた本のようである。
原書は、1991年刊で、20年以上も前のものだが、ハンス・フォン・ビューローから、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルターを経て、ラトル、ヴェルザー=メストまで、
とにかく、私が買って聞いた最初のレコードが、トスカニーニやワルターあたりからで、多くは、欧米に居た頃の大指揮者の話なので、、私にとっては懐かしい限りであり、それらの人たちの興味深い話題のオンパレードであるから、古書だったが、殆ど使用感がなかったので、喜んで買った。
三省堂で買ったのは、NHK出版新書の
ジョン・W・ダワー&ガバン・マコーマック著「転換期のにっぽんへ」
ダワーの大著「敗北を抱きしめて 」は、まだ、積読なのだが、以前から読もうと思っていたのを忘れていて、新書コーナーを回っていて、気が付いて買ったのである。
まだ、「対米従属」を続けるのか?と帯に大書された知日派の大家の警告の書で、帰りの車内で読み始めたのだが、面白い。
夕刻は、国立能楽堂で、定例公演。
大蔵流狂言「成上り」、金剛流能「山姥」である。
能は、世阿弥作と言われており、「山姥」の登場だが、俗に言われている山姥とは違って、正に、自然と一体になったような神性を帯びた山姥で、都で名を馳せた曲舞の名手・百魔山姥(ツレ/豊嶋晃嗣)が謡い、本物の山姥(後シテ/豊嶋三千春)が舞うシーンが素晴らしい。
梅原猛さんが、「能を観る」と「世阿弥の恋」で、この山姥を解説しているが、この都一の名人である百魔山姥の舞いも、真の山姥の舞にくらべれば、取るに足らない。世阿弥が、人気絶頂の能役者である自分の芸も真の芸になっているのかどうか、自己批判の曲だと言えようと言っているのが興味深い。
北参道からメトロに乗って、東横線で横浜へ。
大船経由で、自宅についたのは、11時前。
1年前に移転した時に、旧宅の庭に残したり、人に上げたりして、殆ど手放したので、鎌倉に持ってきたのは、イングリッシュ・ローズを主体にして、たった9鉢。
それなりに、庭の植栽が整った庭なので、庭植えは、シャルル・ド・ゴールの行燈仕立てだけで、今のところ、ばらを植える空間がなく、当分、10号鉢くらいの鉢植えで、通す以外にはない。
ハイブリッド・ティーは、思い切り切り詰めて、フロリバンダは、やや、軽く適当に、イングリッシュ・ローズは、3分の1程度切り詰めて、形を整える程度にした。
つるバラは、オベリスク仕立てなので、適当に間延びした枝などを間引いて、残りの伸びた枝を、ぐるぐる巻きにした。
寒肥をやって、薬剤散布をすれば、一応、冬の世話は終わりである。
午後、遅く神田神保町に出かけて、久しぶりに、古書店を回った。
やはり、紙媒体の出版物の斜陽傾向が止まらないのであろうか。
古書店の撤退と言うのか、消えて行ったり、経営者が変わったりと、最近は、移動が激しいような感じである。
古書店で買ったのは、1996年出版の
ノーマン・レブレヒト著「巨匠神話 誰がカラヤンを帝王にしたのか」
定価3,400円が、1,080円。第4刷だから、結構売れた本のようである。
原書は、1991年刊で、20年以上も前のものだが、ハンス・フォン・ビューローから、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルターを経て、ラトル、ヴェルザー=メストまで、
とにかく、私が買って聞いた最初のレコードが、トスカニーニやワルターあたりからで、多くは、欧米に居た頃の大指揮者の話なので、、私にとっては懐かしい限りであり、それらの人たちの興味深い話題のオンパレードであるから、古書だったが、殆ど使用感がなかったので、喜んで買った。
三省堂で買ったのは、NHK出版新書の
ジョン・W・ダワー&ガバン・マコーマック著「転換期のにっぽんへ」
ダワーの大著「敗北を抱きしめて 」は、まだ、積読なのだが、以前から読もうと思っていたのを忘れていて、新書コーナーを回っていて、気が付いて買ったのである。
まだ、「対米従属」を続けるのか?と帯に大書された知日派の大家の警告の書で、帰りの車内で読み始めたのだが、面白い。
夕刻は、国立能楽堂で、定例公演。
大蔵流狂言「成上り」、金剛流能「山姥」である。
能は、世阿弥作と言われており、「山姥」の登場だが、俗に言われている山姥とは違って、正に、自然と一体になったような神性を帯びた山姥で、都で名を馳せた曲舞の名手・百魔山姥(ツレ/豊嶋晃嗣)が謡い、本物の山姥(後シテ/豊嶋三千春)が舞うシーンが素晴らしい。
梅原猛さんが、「能を観る」と「世阿弥の恋」で、この山姥を解説しているが、この都一の名人である百魔山姥の舞いも、真の山姥の舞にくらべれば、取るに足らない。世阿弥が、人気絶頂の能役者である自分の芸も真の芸になっているのかどうか、自己批判の曲だと言えようと言っているのが興味深い。
北参道からメトロに乗って、東横線で横浜へ。
大船経由で、自宅についたのは、11時前。