先日の冨山和彦氏の本の中で、ぴあ社の社外取締役をしていて、ライブ・エンターテインメント市場は、リーマンショックや東日本大震災を挟んだこの期間、基本的に一貫して緩やかに成長してきた成長産業だと論じていて、ポール・マッカ―トニーの2万円近い10万枚のチケットがほぼ即日完売し、コンサート会場には日本各地のLの生活圏から熱烈なファンが足を運ぶ。と書いている。
日本は明らかに「モノ」の消費市場としては、成熟段階に入っているが、「コト」消費の時代の到来で、サービス産業にも、「成長」のフレーバーが加わって来る。
一般に消費社会が成熟段階に来ると、人々の消費はより文化的なもの、より無形の体験的なものにシフトするが、日本もいよいよ本格的にその段階に入りつつある予感がある。
歌舞伎のような古典芸能であれ、ポール・マッカートニー・・・であれ、ライブ・エンターテインメントサービスの経済的な本質は、Lの世界である。生である以上、その場所で、その瞬間でしか楽しめないのだから。
その成長を加速するドライバーの一つが、時間に余裕が出て来た団塊の世代を中心とした中高年層で、同じく「楽しむこと」を提供する旅行・観光産業も好調で、稼働率商売の旅館や交通機関の収益改善にはいい影響を与えつつある。
と言うのである。
さて、そうであろうか。
インターネットを叩けば、その関係の調査や白書、講演講義なども掲載されている。
読む余裕もないので端折らざるを得ないのだが、SankeiBizが、「拡大するライブエンタメ市場 いまやレコード産業の売上に匹敵」と言う記事で、「ライブエンターテインメント市場への関心が高まっている。産業としての広がりに目を付けた専門展示会も登場するなど、ビジネスとしても注目の分野になってきた。」と報じている。
「アリーナやドーム球場を使った人気アーティストのライブが開かれ、連日超満員」だとか、
「アニメ関連音楽を中心にしたライブや、声優らが集うイベント、アニメ作品を題材にしたミュージカル」だとかの記述が主体で、
結論として、
「家や通勤・通学の途中で音楽を聞くよりも、体験として音楽を楽しもうとする人が増えている現れで、ポール・マッカートニーやザ・ローリング・ストーンズといった、入場料は高額でも数万人規模の会場を満杯にするアーティストが続々ライブを行ったことも、売上増に大きく寄与したという。
資金に余裕があって、時間の使い方も自由な年輩層が好むアーティストの大型ライブが重なったことも幸いした。ライブ会場でグッズやCDを何万円も買い込む客も多く、ライブエンターテインメントがパッケージも含めた音楽市場というものを、新たに形成しつつあるようだ。」と報じている。
以前には、韓流ブーム関連ライブが、大変な盛況だと言われたことがあるし、この前の紅白を見ても、福山雅治やサザンオールスターズのコンサート会場のスケールに圧倒されるが、これらは、総て、私の関わりのあるライブ・エンターテインメントの世界からは、程遠い別世界の話である。
私が良く行く日本古典芸能の舞台では、月単位の公演が続く歌舞伎や文楽と、一回限りの能や狂言、演芸などとでは、一纏めには議論できないが、まず、チケットが即日完売と言うような公演は非常に少なく、集客には、かなり、どこの劇場や公演団体も苦労しているのではないかと思う。
私の記憶では、即刻チケットが完売で、取得が困難であったのは、昨年五月の東京国立劇場での国立文楽劇場開場30周年記念七世竹本住大夫引退公演であった。
4月の大阪での同じ引退公演の方は、楽にチケットが取得できた。
歌舞伎座新開場 杮葺落四月大歌舞伎の場合でも、チケットは、容易に取得できた。
能と狂言の場合には、どんな公演でも、一回限りであり、国立能楽堂の場合、627席しかないのだが、国立能楽堂主催の公演は、月に4~5回実施されるが、チケットが即刻完売と言うケースは、余程特別な舞台でない限りそれ程ないように思う。
聞くところによると、他の能楽堂では苦戦しているようで、満席に出来るのは、国立能楽堂くらいだと言うことである、
私が言いたいのは、落語や漫才など、かなり、アプローチがし易くて比較的楽に楽しめる演芸やお笑いの舞台は別として、能や狂言などは勿論のこと、歌舞伎や文楽などに行って、楽しもうと思えば、それなりの経験や準備が必要であって、誰でもが、金や暇が出来たので、少しは、文化的な世界に触れようと思って、簡単に気が向いて行くであろうかということである。
大阪市が、文楽補助金を廃止して、事業ごとの申請方式に変えたが、ことの発端で、橋下市長が、文楽を初めて見に出かけた時に、2度と行かないと言ったと報じられていたが、かなりの人の反応も、それに近いのではないかと言う気がしないでもない。
能や狂言は、少し事情が違うが、歌舞伎や文楽は、江戸時代など当時は庶民の娯楽であったから難しいものでもないから、行って楽しめば良いのだとよく言われるが、今や、古典芸術化していて、初心者にとっては、イヤホーンガイドの助けなり、それなりの鑑賞回数をこなしていないと、中々、すんなりと楽しめない。
何かの拍子に好きになってリピーターになると言うことがあるかも知れないが、暇と金の出来た団塊の世代が、すぐに、歌舞伎や文楽のファンになって、劇場に通い始めるなどとは、到底考えられないのである。
ある上場企業役員経験者のOB団体で、歌舞伎文楽同好会が定期的に鑑賞会を開いており、会員の夫婦連れでの参加がかなりあるが、少なくとも、このように、何かの仕掛けがない限り、新規鑑賞者の動員は難しいであろうと思う。
ジャンルは違うが、シェイクスピア戯曲も、シェイクスピアの台詞通りに原曲に忠実な公演舞台を楽しもうと思えば、これも、かなりの鑑賞経験や勉強が必要であろうし、オペラにしても、好きな人にとっては、たまらなく魅力的かも知れないが、興味のない人にとっては、殆ど苦痛だと言う。
随分前に、ロンドンにいた時に、アンネ=ゾフィー・ムターがロンドン交響楽団で協奏曲を弾くコンサートや、ロイヤル・オペラの「蝶々夫人」に行けなくなって、何人かに、あげるから代わりにと頼んだがダメで、興味のない人には、むしろ、迷惑・・・そんなものである。
私自身、趨勢としては、冨山説に、それ程異論はないが、それなりの舞台設定なり、創意工夫なり、企業努力がないと、簡単に、ライブ・エンターテインメントが、Lの救世主には成り得ないと思っている。
日本は明らかに「モノ」の消費市場としては、成熟段階に入っているが、「コト」消費の時代の到来で、サービス産業にも、「成長」のフレーバーが加わって来る。
一般に消費社会が成熟段階に来ると、人々の消費はより文化的なもの、より無形の体験的なものにシフトするが、日本もいよいよ本格的にその段階に入りつつある予感がある。
歌舞伎のような古典芸能であれ、ポール・マッカートニー・・・であれ、ライブ・エンターテインメントサービスの経済的な本質は、Lの世界である。生である以上、その場所で、その瞬間でしか楽しめないのだから。
その成長を加速するドライバーの一つが、時間に余裕が出て来た団塊の世代を中心とした中高年層で、同じく「楽しむこと」を提供する旅行・観光産業も好調で、稼働率商売の旅館や交通機関の収益改善にはいい影響を与えつつある。
と言うのである。
さて、そうであろうか。
インターネットを叩けば、その関係の調査や白書、講演講義なども掲載されている。
読む余裕もないので端折らざるを得ないのだが、SankeiBizが、「拡大するライブエンタメ市場 いまやレコード産業の売上に匹敵」と言う記事で、「ライブエンターテインメント市場への関心が高まっている。産業としての広がりに目を付けた専門展示会も登場するなど、ビジネスとしても注目の分野になってきた。」と報じている。
「アリーナやドーム球場を使った人気アーティストのライブが開かれ、連日超満員」だとか、
「アニメ関連音楽を中心にしたライブや、声優らが集うイベント、アニメ作品を題材にしたミュージカル」だとかの記述が主体で、
結論として、
「家や通勤・通学の途中で音楽を聞くよりも、体験として音楽を楽しもうとする人が増えている現れで、ポール・マッカートニーやザ・ローリング・ストーンズといった、入場料は高額でも数万人規模の会場を満杯にするアーティストが続々ライブを行ったことも、売上増に大きく寄与したという。
資金に余裕があって、時間の使い方も自由な年輩層が好むアーティストの大型ライブが重なったことも幸いした。ライブ会場でグッズやCDを何万円も買い込む客も多く、ライブエンターテインメントがパッケージも含めた音楽市場というものを、新たに形成しつつあるようだ。」と報じている。
以前には、韓流ブーム関連ライブが、大変な盛況だと言われたことがあるし、この前の紅白を見ても、福山雅治やサザンオールスターズのコンサート会場のスケールに圧倒されるが、これらは、総て、私の関わりのあるライブ・エンターテインメントの世界からは、程遠い別世界の話である。
私が良く行く日本古典芸能の舞台では、月単位の公演が続く歌舞伎や文楽と、一回限りの能や狂言、演芸などとでは、一纏めには議論できないが、まず、チケットが即日完売と言うような公演は非常に少なく、集客には、かなり、どこの劇場や公演団体も苦労しているのではないかと思う。
私の記憶では、即刻チケットが完売で、取得が困難であったのは、昨年五月の東京国立劇場での国立文楽劇場開場30周年記念七世竹本住大夫引退公演であった。
4月の大阪での同じ引退公演の方は、楽にチケットが取得できた。
歌舞伎座新開場 杮葺落四月大歌舞伎の場合でも、チケットは、容易に取得できた。
能と狂言の場合には、どんな公演でも、一回限りであり、国立能楽堂の場合、627席しかないのだが、国立能楽堂主催の公演は、月に4~5回実施されるが、チケットが即刻完売と言うケースは、余程特別な舞台でない限りそれ程ないように思う。
聞くところによると、他の能楽堂では苦戦しているようで、満席に出来るのは、国立能楽堂くらいだと言うことである、
私が言いたいのは、落語や漫才など、かなり、アプローチがし易くて比較的楽に楽しめる演芸やお笑いの舞台は別として、能や狂言などは勿論のこと、歌舞伎や文楽などに行って、楽しもうと思えば、それなりの経験や準備が必要であって、誰でもが、金や暇が出来たので、少しは、文化的な世界に触れようと思って、簡単に気が向いて行くであろうかということである。
大阪市が、文楽補助金を廃止して、事業ごとの申請方式に変えたが、ことの発端で、橋下市長が、文楽を初めて見に出かけた時に、2度と行かないと言ったと報じられていたが、かなりの人の反応も、それに近いのではないかと言う気がしないでもない。
能や狂言は、少し事情が違うが、歌舞伎や文楽は、江戸時代など当時は庶民の娯楽であったから難しいものでもないから、行って楽しめば良いのだとよく言われるが、今や、古典芸術化していて、初心者にとっては、イヤホーンガイドの助けなり、それなりの鑑賞回数をこなしていないと、中々、すんなりと楽しめない。
何かの拍子に好きになってリピーターになると言うことがあるかも知れないが、暇と金の出来た団塊の世代が、すぐに、歌舞伎や文楽のファンになって、劇場に通い始めるなどとは、到底考えられないのである。
ある上場企業役員経験者のOB団体で、歌舞伎文楽同好会が定期的に鑑賞会を開いており、会員の夫婦連れでの参加がかなりあるが、少なくとも、このように、何かの仕掛けがない限り、新規鑑賞者の動員は難しいであろうと思う。
ジャンルは違うが、シェイクスピア戯曲も、シェイクスピアの台詞通りに原曲に忠実な公演舞台を楽しもうと思えば、これも、かなりの鑑賞経験や勉強が必要であろうし、オペラにしても、好きな人にとっては、たまらなく魅力的かも知れないが、興味のない人にとっては、殆ど苦痛だと言う。
随分前に、ロンドンにいた時に、アンネ=ゾフィー・ムターがロンドン交響楽団で協奏曲を弾くコンサートや、ロイヤル・オペラの「蝶々夫人」に行けなくなって、何人かに、あげるから代わりにと頼んだがダメで、興味のない人には、むしろ、迷惑・・・そんなものである。
私自身、趨勢としては、冨山説に、それ程異論はないが、それなりの舞台設定なり、創意工夫なり、企業努力がないと、簡単に、ライブ・エンターテインメントが、Lの救世主には成り得ないと思っている。