7日の「定例公演」のプログラムは、
狂言 音曲聟(おんぎょくむこ) 茂山 逸平(大蔵流)
能 千手(せんじゅ) 髙橋 忍(金春流)
能「千手」は、言うならば、南都焼き討ちで、東大寺大仏殿を炎上させた平家の平重衡と千手の前との儚い恋物語とも言うべき曲だと言えば、不謹慎であろうか。
重衡は、平家物語において、かなり、登場していて、この能の舞台となるシーンについては、巻の十の「平重衡の街道下り」「平重衡の申し開き」に続いて「千手」で、殆ど舞台通りに語られている。
他には、一ノ谷の合戦での「平重衡の生け捕り」、南都を焼き討ちにした「南都炎上」、そして、木津川畔にて斬首された「平重衡の最期」などで、他にも叙述があろうかも知れないが、私は知らない。
さて、主人公の千手は、頼朝がその器量に感服して歌人才人と崇められ文武両道に秀でて牡丹花に譬へられた重衡を、心底愛していたのであろう。平家物語の「千手」は、次の文章で終わっており、重衡の死を知った千手は、出家して善光寺に入って一心不乱に菩提を弔ったと言う。
「千手前は中々物思ひの種とや成りにけん `されば中将南都へ渡されて斬られ給ひぬと聞えしかばやがて様を変へ濃墨染に窶れ果てて信濃国善光寺に行ひ澄ましてかの後世菩提を弔ひ我が身も往生の素懐を遂げけるとぞ聞えし」
能の舞台では、
シテ千手の前の素晴らしい「序の舞」の後、興に乗った重衡が琵琶を弾じ、千手が玉琴を爪弾いて合奏し、
地謡「峯の松風通ひにけり、琴を枕の、短か夜のうたた寝、夢も程なく、東雲もほのぼのと、明け渡る空の」
シテ「あさまにもなりぬべき」
さらりと、しかし、実に情感豊かに、愛の交歓が謡われ舞われていた。
高橋忍の小面のシテ千手の前は、実に優雅で美しく、山川綱雄のツレ平重衡の凛々しく泰然自若とした舞姿が、絵となっていて、感動的であった。
全く余談だが、平家物語の前述の「平重盛の海道下り」を読んでいると、重衡は、池田の宿で、宿の女主人・熊野(ゆや)の娘・侍従のもとに泊まり、素晴らしい一首を送られてびっくりすると言う挿話が語られていて、能「熊野」の”如何にせむ都の春も惜しけれど 馴れし吾妻の花や散るらぬ”が紹介されていて、ここが原典だと知らなかったので興味深かった。
そして、「千手」の次が、私の好きな章の一つである「横笛」と言う儚い恋に泣いた乙女の物語であり、つくづく、平家物語の奥深さ豊かさを感じて感激する。
手元にある「平家物語」は、岩波の日本古典文學大系の平家物語上下で、1963.4.22読了と言うメモ書きがあるから、京都の学生時代に、これらと源氏物語などを小脇に抱えて、京都や奈良など関西の古社寺や歴史遺産などを歴史散歩していた頃である。
当時は、物語を追いながら、仏像や建築、庭園や絵画などを中心に鑑賞していたので、最近になって、やっと、日本の古典や古典芸能を通じて、日本の伝統や文化芸術を別な視点から見る機会が増えてきた。
この平家物語にしてもそうだが、その素晴らしさ偉大さが、しみじみと分かりかけて来たのは、恥ずかしいけれど、ごく最近のことで、能や狂言の鑑賞が一躍かっていることは明瞭である。
さて、狂言の「音曲聟」は、京都茂山家の舞台で、いつ観て聴いても、楽しい。
人生駆け出しのフレッシュマンが、聟入りの作法を知らないので、先輩に聞きに行って、からかわれて、無茶苦茶な作法、この曲では音曲で挨拶すると言う作法を教えられて、舅と頓珍漢な初対面を繰り広げて、観客を笑いに巻き込むと言う話である。
シテ・/聟の逸平が、アド/教え手の仙三郎に教えを乞い、アド/太郎冠者の宗彦の仲立ちで、アド/舅の七五三に面会し、聟と舅が浮かれて、舞台で謡い舞い踊ると言う愉快な狂言である。
もとより、NHKの朝ドラで達者な芸を見せている人気者の逸平が、素晴らしい声音でパンチの利いた溌溂とした舞台を見せるので、観客は大喜びでその反応も良く、それに、父親の七五三との相性が良いのでその掛け合いは抜群で、とにかく面白い。
それに、いたずら心の仙三郎の冴えた芸、真面目腐って笑わせる兄の宗彦の剽軽さ、とにかく、茂山家のお豆腐狂言グループの狂言は、流石である。
狂言 音曲聟(おんぎょくむこ) 茂山 逸平(大蔵流)
能 千手(せんじゅ) 髙橋 忍(金春流)
能「千手」は、言うならば、南都焼き討ちで、東大寺大仏殿を炎上させた平家の平重衡と千手の前との儚い恋物語とも言うべき曲だと言えば、不謹慎であろうか。
重衡は、平家物語において、かなり、登場していて、この能の舞台となるシーンについては、巻の十の「平重衡の街道下り」「平重衡の申し開き」に続いて「千手」で、殆ど舞台通りに語られている。
他には、一ノ谷の合戦での「平重衡の生け捕り」、南都を焼き討ちにした「南都炎上」、そして、木津川畔にて斬首された「平重衡の最期」などで、他にも叙述があろうかも知れないが、私は知らない。
さて、主人公の千手は、頼朝がその器量に感服して歌人才人と崇められ文武両道に秀でて牡丹花に譬へられた重衡を、心底愛していたのであろう。平家物語の「千手」は、次の文章で終わっており、重衡の死を知った千手は、出家して善光寺に入って一心不乱に菩提を弔ったと言う。
「千手前は中々物思ひの種とや成りにけん `されば中将南都へ渡されて斬られ給ひぬと聞えしかばやがて様を変へ濃墨染に窶れ果てて信濃国善光寺に行ひ澄ましてかの後世菩提を弔ひ我が身も往生の素懐を遂げけるとぞ聞えし」
能の舞台では、
シテ千手の前の素晴らしい「序の舞」の後、興に乗った重衡が琵琶を弾じ、千手が玉琴を爪弾いて合奏し、
地謡「峯の松風通ひにけり、琴を枕の、短か夜のうたた寝、夢も程なく、東雲もほのぼのと、明け渡る空の」
シテ「あさまにもなりぬべき」
さらりと、しかし、実に情感豊かに、愛の交歓が謡われ舞われていた。
高橋忍の小面のシテ千手の前は、実に優雅で美しく、山川綱雄のツレ平重衡の凛々しく泰然自若とした舞姿が、絵となっていて、感動的であった。
全く余談だが、平家物語の前述の「平重盛の海道下り」を読んでいると、重衡は、池田の宿で、宿の女主人・熊野(ゆや)の娘・侍従のもとに泊まり、素晴らしい一首を送られてびっくりすると言う挿話が語られていて、能「熊野」の”如何にせむ都の春も惜しけれど 馴れし吾妻の花や散るらぬ”が紹介されていて、ここが原典だと知らなかったので興味深かった。
そして、「千手」の次が、私の好きな章の一つである「横笛」と言う儚い恋に泣いた乙女の物語であり、つくづく、平家物語の奥深さ豊かさを感じて感激する。
手元にある「平家物語」は、岩波の日本古典文學大系の平家物語上下で、1963.4.22読了と言うメモ書きがあるから、京都の学生時代に、これらと源氏物語などを小脇に抱えて、京都や奈良など関西の古社寺や歴史遺産などを歴史散歩していた頃である。
当時は、物語を追いながら、仏像や建築、庭園や絵画などを中心に鑑賞していたので、最近になって、やっと、日本の古典や古典芸能を通じて、日本の伝統や文化芸術を別な視点から見る機会が増えてきた。
この平家物語にしてもそうだが、その素晴らしさ偉大さが、しみじみと分かりかけて来たのは、恥ずかしいけれど、ごく最近のことで、能や狂言の鑑賞が一躍かっていることは明瞭である。
さて、狂言の「音曲聟」は、京都茂山家の舞台で、いつ観て聴いても、楽しい。
人生駆け出しのフレッシュマンが、聟入りの作法を知らないので、先輩に聞きに行って、からかわれて、無茶苦茶な作法、この曲では音曲で挨拶すると言う作法を教えられて、舅と頓珍漢な初対面を繰り広げて、観客を笑いに巻き込むと言う話である。
シテ・/聟の逸平が、アド/教え手の仙三郎に教えを乞い、アド/太郎冠者の宗彦の仲立ちで、アド/舅の七五三に面会し、聟と舅が浮かれて、舞台で謡い舞い踊ると言う愉快な狂言である。
もとより、NHKの朝ドラで達者な芸を見せている人気者の逸平が、素晴らしい声音でパンチの利いた溌溂とした舞台を見せるので、観客は大喜びでその反応も良く、それに、父親の七五三との相性が良いのでその掛け合いは抜群で、とにかく面白い。
それに、いたずら心の仙三郎の冴えた芸、真面目腐って笑わせる兄の宗彦の剽軽さ、とにかく、茂山家のお豆腐狂言グループの狂言は、流石である。