下巻は、20世紀初年からブッシュ大統領まで。
まず、第二次世界大戦中の日系アメリカ人に対する処遇。
他国から非難を浴びて当然の、野蛮極まりない人種差別そのもの、
1942年に、あのローズベルトが、西海岸に住むすべての日系アメリカ人を逮捕せよ、と陸軍に命じ、日系アメリカ人全員が、家から追われ、内陸部の奥地につくられた仮設の建物へ送られ、3年以上も、まるで、捕虜のようにその施設に隔離されていたと言う。
また、日本の終戦について、なぜ、アメリカは、天皇制維持と言う日本の要望を受け入れて、核兵器を使うことなく戦争を終わらせようとしなかったのか、あまりにも多くの資金と労力を原爆開発へ注ぎ込んだために使用せざるを得なかったのであろうか、それとも、ソ連が計画通り日本へ攻め入る前に、戦争を終結させたかったからであろうか、と疑問を呈している。天皇制の維持については、アメリカがこれに同意していたら日本は戦いを止めていただろうが、アメリカは拒否して戦闘は続けられたと言っている。
私は、ウォートン・スクールに居た時に、アメリカ人学生と何度も、米軍の原爆投下につて議論したが、大方の学生は、邪悪な戦争を終結させるためだと言っていたが、今でも、腹が立っており、絶対許せない、アメリカの人道主義は飾り物かと詰問したのを覚えている。
さて、今日の電子版で、
時事通信社が、”繰り返す人種差別の歴史=米、トランプ政権下で分断加速-強制収容の日系人が警鐘”を報じている。
米政府が第2次大戦中の日系人の強制収容を「重大な過ち」と認めて謝罪して、レーガン元大統領が1988年、市民の自由法に署名して、生存している元収容者に各2万ドルの補償金を支払った。「市民の自由法」成立から10日で30年。
しかし、トランプ大統領は一部イスラム圏の国民の入国を禁止。アフリカや中米諸国を「便所のような国」と侮蔑し、さらなる移民規制を模索しており、こうした風潮は社会にも拡散し、ヘイトクライム(憎悪犯罪)は増加の一途をたどる。
米社会における強制収容の記憶は薄れつつあり、トランプ政権は2019会計年度予算教書で、日系人収容所跡地や米先住民墓地の保存事業に交付される補助金を廃止した。さらに、国定史跡の国定史跡に指定されているハワイ・オアフ島のホノウリウリ強制収容所などの見直し・縮小も進める。と言うのである。
次の写真は、首都ワシントンの連邦議会議事堂近くの公園にある、2羽の鶴が自由を求め、体に巻き付いた有刺鉄線から脱しようともがく様子を表現した高さ約4メートルの銅像だが、日系人収容の歴史を伝える記念碑。

さて、この下巻は、20世紀全般を扱っているので、二度の世界大戦とその狭間の狂乱と大恐慌、公民権運動、ベトナム戦争、ウォーターゲート事件、アフガン・イラク戦争等々、アメリカの激動期について触れているのだが、やはり、迫力のあるのは、「立ち上がる黒人と公民権運動」「反戦から女性解放運動、そして1960年代のインディアンたち」「1970年代後半からの反戦運動や労働運動」と言った章での、弱者たちの民主主義への戦いであろう。
勿論、軍産複合体の暗躍や増え続ける軍事費、世界最大の武器輸出国アメリカの死の商人ぶり、それに、経済格差拡大の悲惨な現状など、カレントトピックスも漏れなく記述しているが、例えば、世界の公共財を支えて来たパックス・アメリカーナやヨーロッパの戦後復興を主導したマーシャル・プランなどと言ったアメリカの明るい貢献面などは、全く、触れておらず、やはり、タイトル通り、people's historyなのである。
興味深いのは、1992年は、コロンブスが、アメリカ大陸を発見した500周年記念日だったが、例年の祝祭とは違って、贈物と友情で出迎えた先住民を捕まえて奴隷にしたり虐殺した男を誉め称えることに広く抗議の声が挙げられて、各地で、コロンブスを非難するイベントが相次いだと言う。
コロンブスをめぐる論争が活気づき、伝統重視体制派の知識人の、アメリカの歴史は無人の荒野へのヨーロッパ文明の展開だと言う歴史観を見直して、新しい物語―――コロンブスはインディアンを虐殺し、黒人は自由を否定され、女性は不平等な扱いに苦しんで来た―――が語られ始めて、新しい潮流を押し止められなくなった。と言うのである。
アフガニスタンを例に挙げれば、この攻撃は、民主主義も平和も齎すことはなく、テロ組織を弱体化させることもなければ、アメリカの放った暴力は中東の人々の怒りを買い、更なるテロリストを出してしまった。
イラクにしても、核爆弾の製造を計画し、大量破壊兵器を隠し持っているとフセインを非難し続けたが、一切その痕跡が見つからぬでっち上げ、国連憲章違反を押し切って単独で戦争を仕掛けたのも、すべからく、イラクの地中にある石油が欲しいが故の戦争。「イラクの自由作戦」は、イラクに民主主義も安全も、むろん自由も齎さなかったし、危険な、イスラム国家を生んでしまったのである。
ゴアとの大統領選挙で、フロリダでの陰謀めいた処理で当選したブッシュには厳しく、”戦争好きでの、人権を踏みにじる大統領ブッシュ”と言って、ハリケーン・カトリーナ悲劇を絡ませて強烈に非難。
何故、ジンは、この本を書いたのか、
最終章「人々が選ぶアメリカの未来」で、
まず、「アメリカ合衆国憲法」の前文では、われわれ人民がこの憲法をつくったのだと述べられているが、実際に憲法を起草したのは、特権階級に属する55人の白人男性で、自分たちの特権を守ってくれる強力な中央政府を必要としたためのものであって、まさに、今日まで、政府と言うものは、権力を持った富裕な者の要求を満たすために利用されてきた。こうした事実は、われわれ全員、富める者も貧しき者も中産階級の者も、みんな同じものを求めている、とほのめかすような言葉によって隠蔽されてきた。として、
また、抵抗の歴史は封印されてきたのだが、実は、社会を変えて来たのは、自分たちの声を轟かせる方法を見出した黒人、女性、インディアン、若者、労働者と言った人々だったのだと言っている。
最後に、現在、二つの勢力が未来を勝ち取ろうと戦っていて、
ひとつは、立派な制服を着こんで、暴力的で戦争を好み、自分と違った人間を差別し、地球の素晴らしい財産をため込み、うそつきと殺人者に権限をゆだねている集団。
もうひとつは、身なりはつつましいが生気に満ちて、抵抗の歴史を持ち”戦争マシーン”に平和的な方法であらがい、人種差別に抗議し、様々な文化を受け入れ、おわりのない戦争にますます反対の声をあげる集団。
未来を手に入れるのはどちらか、読者に選択を迫っている。
読後感としては、非常に良い本だとは思うが、一通り、アメリカの歴史を熟知した人間が読むべき本で、この本をストレートの読めば、やはり、アメリカ史を誤解するかも知れないと思う。
(追記)産経に、”原爆投下でチャーチル英首相が7月1日に最終同意署名 1945年の秘密文書”記事が掲載されていて、
米国が核兵器開発に成功しても英国が同意しなければ使用できないなどと定めた43年8月の「ケベック協定」に基づき、英政府内で検討を重ねた結果、チャーチルは容認を決断し、45年7月1日、「オペレーショナル ユース オブ チューブ・アロイズ」(米国が日本に原爆を使用する作戦)に署名し、英首相官邸はこの最終判断を同2日付で公式覚書としたと言う。
また、別のファイル(PREM3/139/9)によると、7月24日のポツダム会談でチャーチルは、44年9月にトルーマンの前任のフランクリン・ルーズベルトと日本への原爆使用を密約した「ハイドパーク協定」を持ち出し、「警告なしで使用すべきだ」とトルーマンに迫った。と言う。
日本では、偉大な政治家として尊敬されているローズベルトやチャーチルは、実は、日本国民のことなど考えていなかったと言う衝撃的な事実も、日本の学校で教えるべきである。
まず、第二次世界大戦中の日系アメリカ人に対する処遇。
他国から非難を浴びて当然の、野蛮極まりない人種差別そのもの、
1942年に、あのローズベルトが、西海岸に住むすべての日系アメリカ人を逮捕せよ、と陸軍に命じ、日系アメリカ人全員が、家から追われ、内陸部の奥地につくられた仮設の建物へ送られ、3年以上も、まるで、捕虜のようにその施設に隔離されていたと言う。
また、日本の終戦について、なぜ、アメリカは、天皇制維持と言う日本の要望を受け入れて、核兵器を使うことなく戦争を終わらせようとしなかったのか、あまりにも多くの資金と労力を原爆開発へ注ぎ込んだために使用せざるを得なかったのであろうか、それとも、ソ連が計画通り日本へ攻め入る前に、戦争を終結させたかったからであろうか、と疑問を呈している。天皇制の維持については、アメリカがこれに同意していたら日本は戦いを止めていただろうが、アメリカは拒否して戦闘は続けられたと言っている。
私は、ウォートン・スクールに居た時に、アメリカ人学生と何度も、米軍の原爆投下につて議論したが、大方の学生は、邪悪な戦争を終結させるためだと言っていたが、今でも、腹が立っており、絶対許せない、アメリカの人道主義は飾り物かと詰問したのを覚えている。
さて、今日の電子版で、
時事通信社が、”繰り返す人種差別の歴史=米、トランプ政権下で分断加速-強制収容の日系人が警鐘”を報じている。
米政府が第2次大戦中の日系人の強制収容を「重大な過ち」と認めて謝罪して、レーガン元大統領が1988年、市民の自由法に署名して、生存している元収容者に各2万ドルの補償金を支払った。「市民の自由法」成立から10日で30年。
しかし、トランプ大統領は一部イスラム圏の国民の入国を禁止。アフリカや中米諸国を「便所のような国」と侮蔑し、さらなる移民規制を模索しており、こうした風潮は社会にも拡散し、ヘイトクライム(憎悪犯罪)は増加の一途をたどる。
米社会における強制収容の記憶は薄れつつあり、トランプ政権は2019会計年度予算教書で、日系人収容所跡地や米先住民墓地の保存事業に交付される補助金を廃止した。さらに、国定史跡の国定史跡に指定されているハワイ・オアフ島のホノウリウリ強制収容所などの見直し・縮小も進める。と言うのである。
次の写真は、首都ワシントンの連邦議会議事堂近くの公園にある、2羽の鶴が自由を求め、体に巻き付いた有刺鉄線から脱しようともがく様子を表現した高さ約4メートルの銅像だが、日系人収容の歴史を伝える記念碑。

さて、この下巻は、20世紀全般を扱っているので、二度の世界大戦とその狭間の狂乱と大恐慌、公民権運動、ベトナム戦争、ウォーターゲート事件、アフガン・イラク戦争等々、アメリカの激動期について触れているのだが、やはり、迫力のあるのは、「立ち上がる黒人と公民権運動」「反戦から女性解放運動、そして1960年代のインディアンたち」「1970年代後半からの反戦運動や労働運動」と言った章での、弱者たちの民主主義への戦いであろう。
勿論、軍産複合体の暗躍や増え続ける軍事費、世界最大の武器輸出国アメリカの死の商人ぶり、それに、経済格差拡大の悲惨な現状など、カレントトピックスも漏れなく記述しているが、例えば、世界の公共財を支えて来たパックス・アメリカーナやヨーロッパの戦後復興を主導したマーシャル・プランなどと言ったアメリカの明るい貢献面などは、全く、触れておらず、やはり、タイトル通り、people's historyなのである。
興味深いのは、1992年は、コロンブスが、アメリカ大陸を発見した500周年記念日だったが、例年の祝祭とは違って、贈物と友情で出迎えた先住民を捕まえて奴隷にしたり虐殺した男を誉め称えることに広く抗議の声が挙げられて、各地で、コロンブスを非難するイベントが相次いだと言う。
コロンブスをめぐる論争が活気づき、伝統重視体制派の知識人の、アメリカの歴史は無人の荒野へのヨーロッパ文明の展開だと言う歴史観を見直して、新しい物語―――コロンブスはインディアンを虐殺し、黒人は自由を否定され、女性は不平等な扱いに苦しんで来た―――が語られ始めて、新しい潮流を押し止められなくなった。と言うのである。
アフガニスタンを例に挙げれば、この攻撃は、民主主義も平和も齎すことはなく、テロ組織を弱体化させることもなければ、アメリカの放った暴力は中東の人々の怒りを買い、更なるテロリストを出してしまった。
イラクにしても、核爆弾の製造を計画し、大量破壊兵器を隠し持っているとフセインを非難し続けたが、一切その痕跡が見つからぬでっち上げ、国連憲章違反を押し切って単独で戦争を仕掛けたのも、すべからく、イラクの地中にある石油が欲しいが故の戦争。「イラクの自由作戦」は、イラクに民主主義も安全も、むろん自由も齎さなかったし、危険な、イスラム国家を生んでしまったのである。
ゴアとの大統領選挙で、フロリダでの陰謀めいた処理で当選したブッシュには厳しく、”戦争好きでの、人権を踏みにじる大統領ブッシュ”と言って、ハリケーン・カトリーナ悲劇を絡ませて強烈に非難。
何故、ジンは、この本を書いたのか、
最終章「人々が選ぶアメリカの未来」で、
まず、「アメリカ合衆国憲法」の前文では、われわれ人民がこの憲法をつくったのだと述べられているが、実際に憲法を起草したのは、特権階級に属する55人の白人男性で、自分たちの特権を守ってくれる強力な中央政府を必要としたためのものであって、まさに、今日まで、政府と言うものは、権力を持った富裕な者の要求を満たすために利用されてきた。こうした事実は、われわれ全員、富める者も貧しき者も中産階級の者も、みんな同じものを求めている、とほのめかすような言葉によって隠蔽されてきた。として、
また、抵抗の歴史は封印されてきたのだが、実は、社会を変えて来たのは、自分たちの声を轟かせる方法を見出した黒人、女性、インディアン、若者、労働者と言った人々だったのだと言っている。
最後に、現在、二つの勢力が未来を勝ち取ろうと戦っていて、
ひとつは、立派な制服を着こんで、暴力的で戦争を好み、自分と違った人間を差別し、地球の素晴らしい財産をため込み、うそつきと殺人者に権限をゆだねている集団。
もうひとつは、身なりはつつましいが生気に満ちて、抵抗の歴史を持ち”戦争マシーン”に平和的な方法であらがい、人種差別に抗議し、様々な文化を受け入れ、おわりのない戦争にますます反対の声をあげる集団。
未来を手に入れるのはどちらか、読者に選択を迫っている。
読後感としては、非常に良い本だとは思うが、一通り、アメリカの歴史を熟知した人間が読むべき本で、この本をストレートの読めば、やはり、アメリカ史を誤解するかも知れないと思う。
(追記)産経に、”原爆投下でチャーチル英首相が7月1日に最終同意署名 1945年の秘密文書”記事が掲載されていて、
米国が核兵器開発に成功しても英国が同意しなければ使用できないなどと定めた43年8月の「ケベック協定」に基づき、英政府内で検討を重ねた結果、チャーチルは容認を決断し、45年7月1日、「オペレーショナル ユース オブ チューブ・アロイズ」(米国が日本に原爆を使用する作戦)に署名し、英首相官邸はこの最終判断を同2日付で公式覚書としたと言う。
また、別のファイル(PREM3/139/9)によると、7月24日のポツダム会談でチャーチルは、44年9月にトルーマンの前任のフランクリン・ルーズベルトと日本への原爆使用を密約した「ハイドパーク協定」を持ち出し、「警告なしで使用すべきだ」とトルーマンに迫った。と言う。
日本では、偉大な政治家として尊敬されているローズベルトやチャーチルは、実は、日本国民のことなど考えていなかったと言う衝撃的な事実も、日本の学校で教えるべきである。