文楽協会への補助金を切った橋下市長の対応が気になって、6年ほど前に、「文楽への補助金カット~文化芸術不毛の橋下市政」を書いて、その後も、日本の古典芸能の育成強化が如何に日本にとって大切なことかを、書き続けて来たが、危機感を抱いた文楽界の発奮努力が功を奏し始めたのか、最近では、本拠の大阪の方は、まだしも、東京では、満員御礼の公演日が結構続くなど、チケットの取得が、大分、難しくなってきた。
この9月の国立劇場の文楽は、明治150年記念事業の第一部「南都二月堂 良弁杉由来」「増補忠臣蔵」と、第二部「夏祭浪花鑑」と言った人気番組なので、既に、ソールドアウトの日もあって、良い席は取れなくなっている。
このチケット予約の時も、あぜくら会日ではあったが、10時から30分くらいは、インターネットが、国立劇場チケットセンターに繋がらなかった。
一方、国立能楽堂の能・狂言の方は、9月は、開場35周年記念公演で、「翁」を皮切りにして、各流派の宗家や人間国宝総出演とも言うべき意欲的な5公演の舞台であり、627席しかないので、一人2枚までと制限していたが、あぜくら会分は、今日の発売日10時から殆ど1時間くらいで完売と言う超人気で、明日9日の一般販売日では、恐らく、瞬時に売り切れるのではないかと思われる。
一番、売れ行きの遅かった公演は、
能 嵐山 白頭働キ入リ 金春 安明(金春流) 間狂言 猿聟 野村 万之丞(和泉流)
能 定家 浅見 真州(観世流)
だったのだが、金春安明宗家の「嵐山」に、間狂言「猿聟」が同時上演される本格的な舞台に、浅見真州師の「定家」と言う願ったり叶ったりの豪華舞台であるから、他の公演は推して知るべしであろう。
能・狂言の場合には、特別なことがない限り、たった一回の一期一会の公演なので、国立能楽堂の主催公演は、殆ど、満席で上演されているようだが、殆ど数週間ないし1か月にわたって上演されている歌舞伎や文楽とは違って、能楽堂が各地にあるとは言っても、トータルの観客数は、少ないと言うかファンの層が薄いと言うか、やはり、歌舞伎や文楽などほかの古典芸能と比べて、難しいと言うか程度が高いと言うか、大衆性に欠けるのかも知れないと言う気はしている。
私が話題にしたいことは、こんなことではなく、
2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式の基本プラン「東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニング」を演出する総合統括に、狂言師の野村萬斎師が就任したと言うことである。
理屈抜きで、大変な快挙であり、素晴らしい五輪大会のオープニングとフィナーレを飾るイヴェントが繰り広げられること間違いないと思う。
気に入ったのは、「東京五輪は日本文化を発信する好機」 と言うはそうもそうだが、インタビューで言っていた、次の言葉、
世界から見た日本文化の特長は何かと聞かれて、
「日本の文化的アイデンティティーは『発酵文化』だと思う。僕がかつて留学した英国から見たら、日本は極東。大陸から日本に渡ってきたものが太平洋の手前で集積する『エッジ・オブ・シルクロード』の地だ。集積したものが発酵して違うものになる。例えば、数千年前のギリシャから伝わったという仮面芸能が日本で独自の発達を遂げ、能狂言という全く違うものになった。他者を否定せず、互いに影響しながら混然として様々な要素を残しているのも特長だ。こうして熟した文化の厚みは他に類を見ないと思う。日本は文化の宝の山だが・・・
私が、萬斎を最初に見たのは、随分前、蜷川幸雄のシェイクスピア「テンペスト」のエアリエル、その後、5年前に、観た「釣女」。
その後、父君の万作師の舞台と共々、何回観ているか、数えきれないが、折り目正しい真剣勝負の遊び(?)の芸術を、ずっと、楽しませて貰っている。
私自身、ロンドンで、万作師とのシェイクスピア「法螺侍」の狂言の舞台で、イギリス人を感服させていたのをこの目で見ており、その後、イギリスに留学をしてシェイクスピア戯曲を徹底的に勉強しているのだから、萬斎師の力量に心服するのは当然。
あの羽生結弦に陰陽師を通じて、プラトーンが言う神に攫われた至高の芸術を移し植えたその力量。
ここで、今道友信先生の説明を借りると、ギリシャ悲劇は本来詩劇であって、日本の能が、謡曲の歌うように謡う詩でできており、同様に、登場人物が極僅かで仮面を被って殆ど動きがなく、悲劇を観に行くではなくて、悲劇を聴きに行くと言う言い方をする。能は、シテの舞が重要な位置を占めるが、やはり、謡曲が命。文楽も浄瑠璃を聴きに行くと言うし、シェイクスピア戯曲も、観に行くではなく、聴きに行くと言う。
萬斎師が言うように、ギリシャ悲劇と能狂言は、シルクロードを隔てた同根の芸術。
日本は、文化文明、そして、芸術の『エッジ・オブ・シルクロード』と言うのだが、
いや、パラダイス・オブ・シルクロード、文化文明の終着点、集大成地点かも知れない。
随分、あっちこっちを彷徨い歩いて、色々なものを見て来たが、日本の文化文明の高さ、その芸術の高度さは身に染み見て感じている。
萬斎師は、「復興五輪の名に恥じないよう、シンプルかつ、和の精神が表現できるように頑張りたい」と言った。
ギリシャ劇の精神であり万国共通の芸術の極致でもある、削ぎに削ぎ落して美のエッセンスを凝縮した究極の美を追求した能狂言の世界、「シンプルかつ、和の精神」を、世界に歌い挙げようと言う壮大な心意気であろう。
大阪万博の時に、私は、日本の古典芸能の公演があったのかどうかは知らなかったので、ベルリン・フィルやニューヨーク・フィル、ベルリン・ドイツ・オペラやボリショイ・オペラばかり観に行っていたが、今度の五輪大会には、歌舞伎文楽、能狂言等々日本古典芸能の舞台で、外国からの人々を虜にしてほしいと思っている。
この9月の国立劇場の文楽は、明治150年記念事業の第一部「南都二月堂 良弁杉由来」「増補忠臣蔵」と、第二部「夏祭浪花鑑」と言った人気番組なので、既に、ソールドアウトの日もあって、良い席は取れなくなっている。
このチケット予約の時も、あぜくら会日ではあったが、10時から30分くらいは、インターネットが、国立劇場チケットセンターに繋がらなかった。
一方、国立能楽堂の能・狂言の方は、9月は、開場35周年記念公演で、「翁」を皮切りにして、各流派の宗家や人間国宝総出演とも言うべき意欲的な5公演の舞台であり、627席しかないので、一人2枚までと制限していたが、あぜくら会分は、今日の発売日10時から殆ど1時間くらいで完売と言う超人気で、明日9日の一般販売日では、恐らく、瞬時に売り切れるのではないかと思われる。
一番、売れ行きの遅かった公演は、
能 嵐山 白頭働キ入リ 金春 安明(金春流) 間狂言 猿聟 野村 万之丞(和泉流)
能 定家 浅見 真州(観世流)
だったのだが、金春安明宗家の「嵐山」に、間狂言「猿聟」が同時上演される本格的な舞台に、浅見真州師の「定家」と言う願ったり叶ったりの豪華舞台であるから、他の公演は推して知るべしであろう。
能・狂言の場合には、特別なことがない限り、たった一回の一期一会の公演なので、国立能楽堂の主催公演は、殆ど、満席で上演されているようだが、殆ど数週間ないし1か月にわたって上演されている歌舞伎や文楽とは違って、能楽堂が各地にあるとは言っても、トータルの観客数は、少ないと言うかファンの層が薄いと言うか、やはり、歌舞伎や文楽などほかの古典芸能と比べて、難しいと言うか程度が高いと言うか、大衆性に欠けるのかも知れないと言う気はしている。
私が話題にしたいことは、こんなことではなく、
2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式の基本プラン「東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニング」を演出する総合統括に、狂言師の野村萬斎師が就任したと言うことである。
理屈抜きで、大変な快挙であり、素晴らしい五輪大会のオープニングとフィナーレを飾るイヴェントが繰り広げられること間違いないと思う。
気に入ったのは、「東京五輪は日本文化を発信する好機」 と言うはそうもそうだが、インタビューで言っていた、次の言葉、
世界から見た日本文化の特長は何かと聞かれて、
「日本の文化的アイデンティティーは『発酵文化』だと思う。僕がかつて留学した英国から見たら、日本は極東。大陸から日本に渡ってきたものが太平洋の手前で集積する『エッジ・オブ・シルクロード』の地だ。集積したものが発酵して違うものになる。例えば、数千年前のギリシャから伝わったという仮面芸能が日本で独自の発達を遂げ、能狂言という全く違うものになった。他者を否定せず、互いに影響しながら混然として様々な要素を残しているのも特長だ。こうして熟した文化の厚みは他に類を見ないと思う。日本は文化の宝の山だが・・・
私が、萬斎を最初に見たのは、随分前、蜷川幸雄のシェイクスピア「テンペスト」のエアリエル、その後、5年前に、観た「釣女」。
その後、父君の万作師の舞台と共々、何回観ているか、数えきれないが、折り目正しい真剣勝負の遊び(?)の芸術を、ずっと、楽しませて貰っている。
私自身、ロンドンで、万作師とのシェイクスピア「法螺侍」の狂言の舞台で、イギリス人を感服させていたのをこの目で見ており、その後、イギリスに留学をしてシェイクスピア戯曲を徹底的に勉強しているのだから、萬斎師の力量に心服するのは当然。
あの羽生結弦に陰陽師を通じて、プラトーンが言う神に攫われた至高の芸術を移し植えたその力量。
ここで、今道友信先生の説明を借りると、ギリシャ悲劇は本来詩劇であって、日本の能が、謡曲の歌うように謡う詩でできており、同様に、登場人物が極僅かで仮面を被って殆ど動きがなく、悲劇を観に行くではなくて、悲劇を聴きに行くと言う言い方をする。能は、シテの舞が重要な位置を占めるが、やはり、謡曲が命。文楽も浄瑠璃を聴きに行くと言うし、シェイクスピア戯曲も、観に行くではなく、聴きに行くと言う。
萬斎師が言うように、ギリシャ悲劇と能狂言は、シルクロードを隔てた同根の芸術。
日本は、文化文明、そして、芸術の『エッジ・オブ・シルクロード』と言うのだが、
いや、パラダイス・オブ・シルクロード、文化文明の終着点、集大成地点かも知れない。
随分、あっちこっちを彷徨い歩いて、色々なものを見て来たが、日本の文化文明の高さ、その芸術の高度さは身に染み見て感じている。
萬斎師は、「復興五輪の名に恥じないよう、シンプルかつ、和の精神が表現できるように頑張りたい」と言った。
ギリシャ劇の精神であり万国共通の芸術の極致でもある、削ぎに削ぎ落して美のエッセンスを凝縮した究極の美を追求した能狂言の世界、「シンプルかつ、和の精神」を、世界に歌い挙げようと言う壮大な心意気であろう。
大阪万博の時に、私は、日本の古典芸能の公演があったのかどうかは知らなかったので、ベルリン・フィルやニューヨーク・フィル、ベルリン・ドイツ・オペラやボリショイ・オペラばかり観に行っていたが、今度の五輪大会には、歌舞伎文楽、能狂言等々日本古典芸能の舞台で、外国からの人々を虜にしてほしいと思っている。