熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

静かに音読すると言う読書の楽しみ

2018年08月24日 | 生活随想・趣味
   読書と言えば、私の人生そのものなのだが、随分、本を読んだものの、特に、感慨があるわけでもなく、本と共に突っ走って来たと言う感じである。

   若い時には、どんな読み方をしても気にはならなかったのだが、歳を取ってから、読みたい本がどんどん増えて買い込み過ぎたので、焦りを感じて、速読法を考えたことがある。
   しかし、速読して短時間に多くの本を読んで、知識情報の集積に寄与するとしても、やはり、自分には自分なりの読書のリズムがあって、それが、自分の頭や体にビルトインされていて、性に合っているのであろうから、それを続けて来た。
  
   ところで、最近、エンジェル・カレッジの今道友信先生のビデオ講座を聴いていて、先生は、ダンテの「神曲」講義で、ホメロスのギリシャ語の叙事詩や、ダンテの「神曲」のイタリア語の詞章を、美しい文章だと心から愛でながら朗詠して、聴講者にも唱和させて、講義されていた。
   また、「紫式部『源氏物語』とダンテ・アリギエーリ『神曲』の照応と背反」と言う講義でも、紫式部の「源氏物語」の宇治十帖の「総角」であろう、薫の訪れを悲しくも避ける大君との御簾ごしのシーンを、今道先生は、美しい文章だと静かに読んでおられた。

   恥ずかしい話、私自身、美しい文章、素晴らしい文章、感激的な描写だと思って本を読んでいても、実のところ、しみじみとした思いで、そのような文章を味わったことはなかった。
   やはり、大学で経済学、大学院で経営学を専攻して、無味乾燥な実学ばかりに拘ってきて、絵画や彫刻、建築や庭園などには興味はあったものの、文学方面の関心は薄かったと言うか、その方面の美学なり美意識の拾得鍛錬を欠いていたのを、遅まきながら、実感したのである。


   尤も、全く、文学を拒否したわけではなく、一応挑戦すべきだとは思って、「平家物語」や「源氏物語(これは、現代訳)」は読んだし、「古今和歌集」や「新古今和歌集」など古典の本は買いこんでおり、イギリスから帰る時には、結構、シェイクスピア関係の原本を買って帰っている。
   多少、万葉集など古歌を意識しながら、京や奈良、関西各地の歌枕を随分歩いてきたのだが、写真を撮ると言う視点はあっても、残念ながら、詩人や歌人に近い感性などは、皆無であった。
   しかし、この私でも、万葉集研究に生涯をささげ「万葉風土学」を確立した犬養孝教授の「万葉の旅」に憧れて、阪大に行こうとしたことがあるのである。

   さて、今道先生に倣って、日本の古典など、我流ながら、まず、音読と言うか、静かなリズムで読みながら味わって行く、そんな読書法を初めて見ようと思ったのである。

   幸い、この5~6年、能狂言鑑賞に能楽堂へ通っていて、毎回、角川の「能を読む」とか岩波の講座や多くの能楽解説本を読んで事前勉強をしており、詞章を読んでいるので、これをもう少し力を入れてやろうと思う。
   あの林望先生でさえ、最初は面白くなかったが、謡を習い始めてから能にのめり込んだと書いているので、分かっても分からなくても、詞章を、能楽師たちの口調に合わせて読んでおれば、多少は役に立つであろう。
   友人が、謡を習えば、もっと能が分かると同じ事を言って勧めてくれたのだが、もう、そんな元気はない。

   それに、幸い、親友が贈ってくれた、京都の後輩が著わした「万葉集難訓歌」と言う凄い大著が、手元にあって、少しづつ読み始めている。
   遅ればせながら、美しい日本語の良さ素晴らしさを、多少なりとも味わえる読書に目覚めたいと思っていると言うことである。
コメント
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