私も後期高齢者なので、ぼつぼつ、終活を考えた方が良い。
と言っても、残すべきものは何もないので、自分勝手なことばかりである。
私のような凡人にとっては、恵まれたというか、とにかく、仕事を通して世界中を歩き回って、考えられないような経験をしたり、美しいもの素晴らしいものにも沢山触れたり、見るべきものは見つと言った知盛の心境を感じた瞬間もあったし、まずまずであったと思っている。
尤も、逆に、反省すべき慙愧に堪えない思い出も多くて、心苦しい思いの方が、強いのも正直なところで、長い人生、色々なことがあったと言う感慨に耽ることも多くて、複雑な気持ちであるだけに、終活くらいは、真面目に対応したいと思っているのである。
何も、だからと言って、大上段に振り被ることもないのだが、最近、今道友信先生の連続講義を聴きながら、ダンテの「神曲」を読み始めて、その周辺知識を学ぼうとし始めたのも、その終活の一環である。
西欧文学では、シェイクスピア、ダンテ、ゲーテが、最高の巨匠であることは、言うまでもないのだが、これに挑戦してみようと思ったのである。
幸い、シェイクスピアについては、フィラデルフィア時代にシェイクスピアに触れ、ロンドンに移ってからは、随分本も読んで、これ幸いと、小田島雄志先生の訳本を小脇に抱えて、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・シアターのシェイクスピア戯曲の公演に通い詰めて、ストラートフォード・アポン・エイボンなど何回も訪れるなど、かなり、シェイクスピアの世界は楽しませて貰った。
しかし、専攻が経済学と経営学であったので、どうしても、意識の中で、文学には縁遠く、ダンテの「神曲」も、ゲーテの「ファウスト」も積読で、手を触れることもなかったのだが、ここに至って、このまま、ダンテもゲーテも知らずに死に行くことが、如何に惜しいことかを悟って、挑戦しようと思ったのである。
この興味如何に拘わらず、価値あるものに挑戦すべきだと言う姿勢は、大学生の時に、クラシック音楽で経験済みであり、同じ意気込みである。
洋の東西、時代を越えて、世界中の人々から愛し続けられているベートーヴェンやモーツアルトの音楽の良さを味わえなくて、何が人生かと思って、当時、リーダーズ・ダイジェストを購読していたので、そこから出していたクラシック名作全集と言う12枚のレコードを買って、分かっても分からなくても、聴き続けたのである。
おかしなもので、チャイコフスキーのバレエ音楽やヴァイオリンやピアノの三大名曲も聴きたいと思い始めて、はじめて、レコード店に行って、スイスロマンドのアンセルメの「白鳥の湖」や、カラヤンの協奏曲など買って帰った。
走り出すと早いもので、コンサートにも出かけて行き、その数年後には、月給の大半を費やして、来日していたピエール・ブーレーズ指揮のバイロイト音楽祭のワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」に出かけた。その前に、カール・ベーム指揮のバイロイト・オリジナル版の「トリスタンとイゾルデ」のレコードを聴き込んで予習をしており、憧れの同じ歌手ビルギット・ニルソンやヴォルフガング・ヴィントガッセン、ハンス・ホッターが、目の前で演じているのだから、感激の極みであった。
このようなことどもがドライブして、私を、音楽の素晴らしさ楽しさに開眼させてくれ、一つの貴重な世界が広がったのである。
その後、合わせて14年欧米で過ごしたので、ウィーン、ミラノ、ベルリン、ニューヨーク等々、観るべき舞台、聴くべきオペラやクラシック音楽を、存分に楽しむことが出来た。
さて、ダンテだが、知らなかったが、当時、京大には、野上素一教授と言う素晴らしいイタリア文学者がおられたのだが、ろくに経済学部の講義さえ行かなかったのに、今なら、授業に潜り込んで聴講するのにと残念に思って、遅ればせながら、「ダンテ」や「ダンテ その華麗なる生涯」など教授の著書を買って読み始めている。
ダンテについては、その後のイタリア・ルネサンスへの影響など、絵画鑑賞にも膨らみが出るので、興味深く、当分、イタリアの歴史勉強にも傾注して、フェルナン・ブローデルの「地中海」あたりにも挑戦できたらと思っている。
悪い癖で、読みたいと思うと、どんどん、関係本を買いこむので、老骨に鞭を打ってどこまで読めるか、幸い目は悪くないので、やれるところまでやろうと思っている。
次のゲーテだが、ずっと、前に買った池内紀のゲーテ『ファウスト』(全2巻)が積読状態にあり、小塩節のゲーテ関係の本などもあるので、挑戦したいと思っている。
幸い、ダンテやゲーテの世界であったヨーロッパの地をこの足で踏んでいて、多少、雰囲気なりバックグラウンドを知っているので、理解の後押しをしてくれるのではないかと思っている。
とにかく、ダンテで、地獄や煉獄や天国を勉強したのだから、このまま、走り続けて元気で往生できればと願っている。
と言っても、残すべきものは何もないので、自分勝手なことばかりである。
私のような凡人にとっては、恵まれたというか、とにかく、仕事を通して世界中を歩き回って、考えられないような経験をしたり、美しいもの素晴らしいものにも沢山触れたり、見るべきものは見つと言った知盛の心境を感じた瞬間もあったし、まずまずであったと思っている。
尤も、逆に、反省すべき慙愧に堪えない思い出も多くて、心苦しい思いの方が、強いのも正直なところで、長い人生、色々なことがあったと言う感慨に耽ることも多くて、複雑な気持ちであるだけに、終活くらいは、真面目に対応したいと思っているのである。
何も、だからと言って、大上段に振り被ることもないのだが、最近、今道友信先生の連続講義を聴きながら、ダンテの「神曲」を読み始めて、その周辺知識を学ぼうとし始めたのも、その終活の一環である。
西欧文学では、シェイクスピア、ダンテ、ゲーテが、最高の巨匠であることは、言うまでもないのだが、これに挑戦してみようと思ったのである。
幸い、シェイクスピアについては、フィラデルフィア時代にシェイクスピアに触れ、ロンドンに移ってからは、随分本も読んで、これ幸いと、小田島雄志先生の訳本を小脇に抱えて、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・シアターのシェイクスピア戯曲の公演に通い詰めて、ストラートフォード・アポン・エイボンなど何回も訪れるなど、かなり、シェイクスピアの世界は楽しませて貰った。
しかし、専攻が経済学と経営学であったので、どうしても、意識の中で、文学には縁遠く、ダンテの「神曲」も、ゲーテの「ファウスト」も積読で、手を触れることもなかったのだが、ここに至って、このまま、ダンテもゲーテも知らずに死に行くことが、如何に惜しいことかを悟って、挑戦しようと思ったのである。
この興味如何に拘わらず、価値あるものに挑戦すべきだと言う姿勢は、大学生の時に、クラシック音楽で経験済みであり、同じ意気込みである。
洋の東西、時代を越えて、世界中の人々から愛し続けられているベートーヴェンやモーツアルトの音楽の良さを味わえなくて、何が人生かと思って、当時、リーダーズ・ダイジェストを購読していたので、そこから出していたクラシック名作全集と言う12枚のレコードを買って、分かっても分からなくても、聴き続けたのである。
おかしなもので、チャイコフスキーのバレエ音楽やヴァイオリンやピアノの三大名曲も聴きたいと思い始めて、はじめて、レコード店に行って、スイスロマンドのアンセルメの「白鳥の湖」や、カラヤンの協奏曲など買って帰った。
走り出すと早いもので、コンサートにも出かけて行き、その数年後には、月給の大半を費やして、来日していたピエール・ブーレーズ指揮のバイロイト音楽祭のワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」に出かけた。その前に、カール・ベーム指揮のバイロイト・オリジナル版の「トリスタンとイゾルデ」のレコードを聴き込んで予習をしており、憧れの同じ歌手ビルギット・ニルソンやヴォルフガング・ヴィントガッセン、ハンス・ホッターが、目の前で演じているのだから、感激の極みであった。
このようなことどもがドライブして、私を、音楽の素晴らしさ楽しさに開眼させてくれ、一つの貴重な世界が広がったのである。
その後、合わせて14年欧米で過ごしたので、ウィーン、ミラノ、ベルリン、ニューヨーク等々、観るべき舞台、聴くべきオペラやクラシック音楽を、存分に楽しむことが出来た。
さて、ダンテだが、知らなかったが、当時、京大には、野上素一教授と言う素晴らしいイタリア文学者がおられたのだが、ろくに経済学部の講義さえ行かなかったのに、今なら、授業に潜り込んで聴講するのにと残念に思って、遅ればせながら、「ダンテ」や「ダンテ その華麗なる生涯」など教授の著書を買って読み始めている。
ダンテについては、その後のイタリア・ルネサンスへの影響など、絵画鑑賞にも膨らみが出るので、興味深く、当分、イタリアの歴史勉強にも傾注して、フェルナン・ブローデルの「地中海」あたりにも挑戦できたらと思っている。
悪い癖で、読みたいと思うと、どんどん、関係本を買いこむので、老骨に鞭を打ってどこまで読めるか、幸い目は悪くないので、やれるところまでやろうと思っている。
次のゲーテだが、ずっと、前に買った池内紀のゲーテ『ファウスト』(全2巻)が積読状態にあり、小塩節のゲーテ関係の本などもあるので、挑戦したいと思っている。
幸い、ダンテやゲーテの世界であったヨーロッパの地をこの足で踏んでいて、多少、雰囲気なりバックグラウンドを知っているので、理解の後押しをしてくれるのではないかと思っている。
とにかく、ダンテで、地獄や煉獄や天国を勉強したのだから、このまま、走り続けて元気で往生できればと願っている。