熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日本の教育の特色・・・欧米との比較から(その4)

2005年04月27日 | 政治・経済・社会
   4番めに指摘したいことは、「役に立つことを教えるか教えないか」という点である。勿論、役に立つことを教えるのが教育であり、この指摘自身が矛盾だが、ポイントの置き方が違うのである。(ヨーロッパは、日本に近い所もあるが、今回は、アメリカに限定して比較したい。)

   例として大きな違いを感じたのが、数学に対する考え方。
   長女の高校でも、私のビジネス・スクールでも、確率、順列、組み合わせと言った統計学に近い形の授業が主体、乃至、重視されており、殆ど軽視か無視される日本とは確実に違っている。実際には、この考え方が、ビジネス・ディシジョンで重要な位置を占めており、実際の生活においても、可能性なり蓋然性の把握が極めて役に立つ。
   2次放物線や因数分解、微分積分の勉強よりは、確率等の勉強の方が必須科目と思うのだが、間違っているであろうか。
   
   ビジネス・スクールで、(昔の話だが、)日本では、マルクス経済学を勉強するのだと言ったら、異口同音に、何故そんな役に立たないモノを勉強するのだと言われたことがある。
   ウォートン・スクールでは、厳しい学期の最後の授業が終わると、教務課の職員が、教室に駆け込んで、学生に当該教授の考課表を書かせていた。その授業が、学生の将来のキャリア・アップ等の為に役に立つか、有益な教えであったかと言うことが重要項目なのであるから、教授は、ひたすら学生にとって有益な授業を心がける事となる。
   プラグマティズムの権化のようなアメリカである、役に立たない教科や授業などありえないのである。

   日本の場合は、教育の骨組みは、殆ど明治時代より変わっていないし、学際の時代でありながら、大学の学部構成も殆ど変わっていないし、いまだに教科書の政府検定がまかり通っている。
   どう生きれば良いのか、宗教や倫理・道徳教育に手を抜くから青少年の悲惨な犯罪が後を絶たないし、クレジット・カードの使い方や日常の経済生活の知恵について教えないから「振り込め詐欺」や「カード偽造現金引き出し」等にやられるのである。
   日本の学校での授業や教科が、高邁な理想の実現も含めて、本当に生きていく為の知恵を与え、人間形成と価値ある生活の為に役立つのか、考えて見る必要があると思う。

   時代錯誤だが、いまだに、高卒から大学院卒まで、専攻や専門に関係なく、新入社員を、ヨーイドンで教育・配属し、徒弟奉公的な人事政策で受け入れている会社が多い模様である。
   今の1年は、われ等中高年の新入社員の頃の10年に匹敵しており、例えば院卒の社員を他の社員と同様に扱うなど、人的資源の浪費も甚だしい。しかし、実際に会社として学歴によって仕事をさせられないと言うであろうが、それなら、院卒は院卒なりに、学卒は学卒なりに、役に立つ使い方が出来ない様な教育制度自身に問題があるのはなかろうか。
   激動の時代にマッチした教育システムの確立が急務である。
   
   
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