熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日本の教育の特色・・・欧米との比較から(その3)

2005年04月26日 | 政治・経済・社会
   次に考えられる第3の違いは、「秀でた才能を伸ばそうとする教育と劣った教科を取り戻そうとする教育」といえるであろうか。

   日本の場合は、小中学校の場合、ある生徒が数学の出来が悪いと、先生は、「数学が遅れているので、家庭教師をつけて強化したほうが良いでしょう。」と言い、親も、数学の成績を他の学科並みに引き上げようと、必死になる。
   出来る生徒は、より以上に、出来ない生徒はそれなりに、兎に角、取りこぼしのない様に平均して全教科の成績を上げようとする、これが日本の教育ではなかろうか。
   とにかく、大学くらい出ていないと恥ずかしい、との風潮とが相俟って、特色のない平均的な互換性の利くスペアパーツの様な人間ばかりを生み出している。

   ところが、国よって差はあるが、欧米の場合は、出来の悪い学科があっても、出来るだけ早く、生徒の秀でた才能や能力を見つけ出そうとし、その特出した才能や能力を更に伸ばせられる教育環境に持っていこうとする。
   大分前に、イギリスでは、11歳で将来の進路指導が行われて、オックスブリッジ・コースなのか、専門学校か、実業か、等など、決められると聞いた事がある。無駄な詰め込み教育はしないと言うことであろうか。
   義務教育期間は、それなりに、必要な勉強をするが、その後は、兎に角、自分の才能と能力を見据えて自己を磨く。したがって、子供の素晴らしい才能を見出しそれを更に磨く環境が出来れば、その将来の職業が、親の職業と全く違っていても、親子とも、それを喜ぶ。   
   
   ウインストン・チャーチルもアインシュタインも、右脳人間なので、普通の教育感覚と基準から行けば、完全に落ちこぼれ、しかし、欧米教育の土壌があったからこそ、超天才として大成した。豊かな発想と異常な能力を持つ右脳人間の活躍あってこそ、今日のような人類の文化文明発展の歴史があったと言っても過言ではなかろう。
   
   日本でも、早稲田で一芸に秀でた生徒を入学させているが、それも結構。しかし、天才や秀才は年齢など全く超越しており、学校制度の枠を超えて、小学生でも能力があれば、東大に入学させる位の教育改革がないと、日本の英才教育など夢のまた夢であろう。
  
   とにかく、限りなき可能性を秘めた子供達の無限の才能と能力を如何に伸ばすか、この視点から教育を考えない限り、明日の日本は寂しい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の教育の特色・・・欧米... | トップ | イチジクの小さな実 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

政治・経済・社会」カテゴリの最新記事