
4月の中国の若者達の激しい反日デモをTVで見ていて、若かりし頃、河原町通りでデモを打ち八坂神社裏の円山公園で結集して安保反対を叫んでいた、あの学生時代のことを思い出していた。
時代は違っているが、政治的にも経済的にも、現在の中国の歴史的に置かれた位置を考えると、あの頃の日本と良く似ている。反米が反日に、日本が中国に置き換わっただけの様な気がする。同じような感想を立花隆氏も述べている。
まず、余談から始めるが、昨年上海を訪れた。
空港には、ドイツから導入した最新式のリニアーモーターカーが待っていて超高速で上海郊外駅まで運んでくれる。しかし、そこから、メトロに乗り換えて繁華街に向かうのだが、上海の中心の駅で降りようとすると、降車客が降りる前に、待っていた客がわれ先に雪崩れ込んで入ってくる。
新宿駅の駅頭でさえも、また、欧米の観光地でも、やはり、目を避けたくなるような中国人の光景を見ることがある。
(余談ながら、公平のために、上海のメトロで、やはり長幼の序を重んじる国、席を譲ってくれる若者が居たことを付記しておきたい。)
私の言いたいのは、中国人の礼儀作法や民度の問題ではなく、抑圧され成長が停止して眠っていた経済社会が急に開放されて、一挙に最新最強の経済文化が雪崩れ込み、その大変革の中で生き抜こうとすれば、そして、歴史上の栄光の過去に目覚めれば、国民はどのような行動を取るのかと言うことである。
伸び盛りの激しいエネルギーと言うか、これが、歴史の激動の中に置かれた中国の現状ではなかろうか。
日本は、第二次世界大戦により、アメリカに焦土作戦を決行されて東京や大阪の街は灰燼に帰し、広島長崎に原爆を落とされて、名もなき多くの国民が死んでいった。歴史的に正当化しようとしているが、終戦の為とは言え、これほどの暴挙が許されて良いのであろうか。
安保反対の頃は、若者達は、政治や経済や一切を含めて反米・反帝国主義に抗議して立ち上がった。発展途上にあるドサクサ状態であったが、今日よりは明日、明日よりは明後日、兎に角、経済社会は激動していて、先に夢と希望があった。
しかし、豊かになって平和ボケした国民には、もはや反米感情等風化してしまってさらさらなく、今のフリーター志向の若者には、日当を支払うと言ってもデモになど行く者は居ないであろうし、国民の色々な抗議活動でも優雅なピクニックスタイルに変わってしまった。
東アジアの情勢は風雲急を告げているのに、アメリカべったりであれば、国富と国民の安寧が補償されると信じて疑わない政府に、強いて反対する気配もない。
ところで、大経済ブームを謳歌している上海だが、この大都会を開発したのは、中国人ではなく欧米列強で、繁華街は殆ど欧米の租界であった。観光客溢れる美しい街並み外灘も100数十年前にイギリスが開発した。
現代中国の貢献は、対岸のビジネスセンター浦東だけ、これ等の開発技術や開発事業も殆ど外国の助けを借りている。
近代、そして、現代中国は、強国に蹂躙されてきた悲しい歴史を持つ。今、必死になって過去の栄光を取り戻そうとしている。
古代から現代まで、一国で、大国として文化文明を維持し、国家の存続を続けてきたのは中国だけ、この世界に他にはない。多くの国は栄えても衰退したり、跡形もなく消えてしまっている。
日本は、革命を起こさずに明治維新に成功し近代化を成し遂げた。
中国も、少数民族に対する人権問題や国民の経済格差等多くの難問を抱えながら、国民の世論や感情を上手く操作しつつ、一等国へと近代化を進めようとしている。分裂崩壊を予測する向きもあるが、10数年でここまで来た。歴史がどのような判定を下すのか、興味深いところである。
しかし、結局は、国民の名実共の成長を待つ以外にないであろうと思う。
時代は違っているが、政治的にも経済的にも、現在の中国の歴史的に置かれた位置を考えると、あの頃の日本と良く似ている。反米が反日に、日本が中国に置き換わっただけの様な気がする。同じような感想を立花隆氏も述べている。
まず、余談から始めるが、昨年上海を訪れた。
空港には、ドイツから導入した最新式のリニアーモーターカーが待っていて超高速で上海郊外駅まで運んでくれる。しかし、そこから、メトロに乗り換えて繁華街に向かうのだが、上海の中心の駅で降りようとすると、降車客が降りる前に、待っていた客がわれ先に雪崩れ込んで入ってくる。
新宿駅の駅頭でさえも、また、欧米の観光地でも、やはり、目を避けたくなるような中国人の光景を見ることがある。
(余談ながら、公平のために、上海のメトロで、やはり長幼の序を重んじる国、席を譲ってくれる若者が居たことを付記しておきたい。)
私の言いたいのは、中国人の礼儀作法や民度の問題ではなく、抑圧され成長が停止して眠っていた経済社会が急に開放されて、一挙に最新最強の経済文化が雪崩れ込み、その大変革の中で生き抜こうとすれば、そして、歴史上の栄光の過去に目覚めれば、国民はどのような行動を取るのかと言うことである。
伸び盛りの激しいエネルギーと言うか、これが、歴史の激動の中に置かれた中国の現状ではなかろうか。
日本は、第二次世界大戦により、アメリカに焦土作戦を決行されて東京や大阪の街は灰燼に帰し、広島長崎に原爆を落とされて、名もなき多くの国民が死んでいった。歴史的に正当化しようとしているが、終戦の為とは言え、これほどの暴挙が許されて良いのであろうか。
安保反対の頃は、若者達は、政治や経済や一切を含めて反米・反帝国主義に抗議して立ち上がった。発展途上にあるドサクサ状態であったが、今日よりは明日、明日よりは明後日、兎に角、経済社会は激動していて、先に夢と希望があった。
しかし、豊かになって平和ボケした国民には、もはや反米感情等風化してしまってさらさらなく、今のフリーター志向の若者には、日当を支払うと言ってもデモになど行く者は居ないであろうし、国民の色々な抗議活動でも優雅なピクニックスタイルに変わってしまった。
東アジアの情勢は風雲急を告げているのに、アメリカべったりであれば、国富と国民の安寧が補償されると信じて疑わない政府に、強いて反対する気配もない。
ところで、大経済ブームを謳歌している上海だが、この大都会を開発したのは、中国人ではなく欧米列強で、繁華街は殆ど欧米の租界であった。観光客溢れる美しい街並み外灘も100数十年前にイギリスが開発した。
現代中国の貢献は、対岸のビジネスセンター浦東だけ、これ等の開発技術や開発事業も殆ど外国の助けを借りている。
近代、そして、現代中国は、強国に蹂躙されてきた悲しい歴史を持つ。今、必死になって過去の栄光を取り戻そうとしている。
古代から現代まで、一国で、大国として文化文明を維持し、国家の存続を続けてきたのは中国だけ、この世界に他にはない。多くの国は栄えても衰退したり、跡形もなく消えてしまっている。
日本は、革命を起こさずに明治維新に成功し近代化を成し遂げた。
中国も、少数民族に対する人権問題や国民の経済格差等多くの難問を抱えながら、国民の世論や感情を上手く操作しつつ、一等国へと近代化を進めようとしている。分裂崩壊を予測する向きもあるが、10数年でここまで来た。歴史がどのような判定を下すのか、興味深いところである。
しかし、結局は、国民の名実共の成長を待つ以外にないであろうと思う。