
ジョン・ケネス・ガルブレイスが、昨年、”悪意なき欺瞞(The Economics of Innocent Fraud)"を著して、金銭的かつ政治的な圧力と時代の風潮を反映して、現代社会には、経済学の通説と現実との乖離が如何に大きいかを説き、現実との関わりを殆ど持たない「真理のバージョン」を作り上げ、これが、経済的、政治的、社会的利益団体と拘っていることを喝破している。
資本主義という言葉にも、現実と離れた美しいレッテルが貼られているし、第一、「株主主権」などあるのか、と言ったことから、兎に角、胸の透くような現代社会批判が展開されていて爽やかである。
この悪意なき欺瞞の最たるものは、今、鋼鉄製橋梁工事の談合事件が世を騒がせているが、日本の談合に対する「心理のバージョン」ではないかと思っている。
談合事件が起こると、「慙愧に耐えない」「絶対許されるべきではない」等と世間や識者のコメントをトクトクとNHKは放映するが、国民の多くは、談合などなくならないと思ってTVを見ている。
アメリカでは、永い厳しい歴史の試練を経て、「競争は善、独占・寡占は悪」と言う観念が強く沁み込んでいて、古くから独占禁止法が生きている。
ところが、日本には、古くから競争は過当競争に繋がると言う意識が強くて、激しい競争になると共倒れをするので、これを避けるために話し合いで決めようと言う風潮が強い。
村のオサ制度がその典型であろう。
法律にしても、お上が、行政指導とか窓口規制とかで、適当に解釈して施行されている場合もあり、また、法律は建前であって本音は違うと言った解釈がされるなど、法治国家とは言えない話し合いで物事を解決しようと言う風潮がまだ可なり強い。
政府の独禁法の課徴金が高すぎると言って値切る経済団体があり、それに政府も応じて独禁法が改正された。
本当に談合をこの世から追放しようと思うのなら、経済団体が、いくら高くても課徴金の課金について云々するなど可笑しな話で、言うならば、日本が談合社会であることを容認し、かつ、談合を真剣に排除しようとする意志が政府にも経済界にもないことを示している。
また、これに対して国民も何も言わない。
日本の社会が、話し合い、悪く言えば談合、の上に成り立っている協調型社会であることを忘れてはならない。業界団体が勢力を持ち、銀行の護送船団方式が維持されていたなどこの典型であろう。
ところで、談合をしたと言われる会社が法外な利益を得ているかと言えば決してそうではなく、世界水準から言えば、その営業利益率は極めて低い。
経営が悪いと言うことではなく、その会社には、利益を分配しなければ生きて行けないステイクホールダーが沢山ぶら下がっていて、それを養わなければならない、日本社会独特のもたれ合い社会の宿命があるからである。
コーポレート・ガヴァナンスもそうだが、独禁法も、ある意味では、本当に日本社会の特質を十分認識した上で、欧米型とはニュアンスの違った形態を模索せねばならないのかも知れない。
従って、本当に談合をなくすと言うのなら、日本のこの政治・経済・社会構造を改革し、国民の意識を根本から変えなければならないと言うことであろうか。
ホリエモンの日本放送買収のケースは、このような日本の伝統社会に対する挑戦であり、新しい価値観を持った世代が育ち、グローバライゼーションが進んでもっと多くのカルロス・ゴーンが来るまで待つしかないのであろうか。
談合社会で問題なのは、経済社会の牽引車・イノベーションを殺ぐ事であり、経済の活力を減殺することであると思っている。
資本主義という言葉にも、現実と離れた美しいレッテルが貼られているし、第一、「株主主権」などあるのか、と言ったことから、兎に角、胸の透くような現代社会批判が展開されていて爽やかである。
この悪意なき欺瞞の最たるものは、今、鋼鉄製橋梁工事の談合事件が世を騒がせているが、日本の談合に対する「心理のバージョン」ではないかと思っている。
談合事件が起こると、「慙愧に耐えない」「絶対許されるべきではない」等と世間や識者のコメントをトクトクとNHKは放映するが、国民の多くは、談合などなくならないと思ってTVを見ている。
アメリカでは、永い厳しい歴史の試練を経て、「競争は善、独占・寡占は悪」と言う観念が強く沁み込んでいて、古くから独占禁止法が生きている。
ところが、日本には、古くから競争は過当競争に繋がると言う意識が強くて、激しい競争になると共倒れをするので、これを避けるために話し合いで決めようと言う風潮が強い。
村のオサ制度がその典型であろう。
法律にしても、お上が、行政指導とか窓口規制とかで、適当に解釈して施行されている場合もあり、また、法律は建前であって本音は違うと言った解釈がされるなど、法治国家とは言えない話し合いで物事を解決しようと言う風潮がまだ可なり強い。
政府の独禁法の課徴金が高すぎると言って値切る経済団体があり、それに政府も応じて独禁法が改正された。
本当に談合をこの世から追放しようと思うのなら、経済団体が、いくら高くても課徴金の課金について云々するなど可笑しな話で、言うならば、日本が談合社会であることを容認し、かつ、談合を真剣に排除しようとする意志が政府にも経済界にもないことを示している。
また、これに対して国民も何も言わない。
日本の社会が、話し合い、悪く言えば談合、の上に成り立っている協調型社会であることを忘れてはならない。業界団体が勢力を持ち、銀行の護送船団方式が維持されていたなどこの典型であろう。
ところで、談合をしたと言われる会社が法外な利益を得ているかと言えば決してそうではなく、世界水準から言えば、その営業利益率は極めて低い。
経営が悪いと言うことではなく、その会社には、利益を分配しなければ生きて行けないステイクホールダーが沢山ぶら下がっていて、それを養わなければならない、日本社会独特のもたれ合い社会の宿命があるからである。
コーポレート・ガヴァナンスもそうだが、独禁法も、ある意味では、本当に日本社会の特質を十分認識した上で、欧米型とはニュアンスの違った形態を模索せねばならないのかも知れない。
従って、本当に談合をなくすと言うのなら、日本のこの政治・経済・社会構造を改革し、国民の意識を根本から変えなければならないと言うことであろうか。
ホリエモンの日本放送買収のケースは、このような日本の伝統社会に対する挑戦であり、新しい価値観を持った世代が育ち、グローバライゼーションが進んでもっと多くのカルロス・ゴーンが来るまで待つしかないのであろうか。
談合社会で問題なのは、経済社会の牽引車・イノベーションを殺ぐ事であり、経済の活力を減殺することであると思っている。