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13日、ホンダと日産自動車が、経営統合に向けた協議を打ち切り、昨年12月に締結した基本合意書を撤回すると正式に発表した。
実現すればトヨタ自動車、独フォルクスワーゲンに次ぐ世界3位の自動車グループが誕生していた国内大手の再編劇はあっけなく幕を閉じた。
統合話を聞いて最初に思ったことは、歴史も伝統も全く違った2社の統合話であるので、まず、コーポレートカルチュアを統一して一体とした経営体を確立できるのかどうかに疑問を感じた。
できるはずがないので、統合するのなら、まず、ゆるい連邦方式の当初の持ち株会社形式で統合して、徐々に一体化して行かざるを得ないであろうと思っていた。
案の定、浮上してきたのは、日産の子会社化案。
当然である。
対等な統合を求める日産と規模で勝るホンダの溝が埋まらず、統合の方式などの条件で折り合えなかった。 と言うのだが、
13日の記者会見で、日産の内田誠社長は「自主性が守れるのか確信が持てなかった。子会社では日産の強みを出すのは難しい」と話したと日経が報じた。
日本の自動車業界で最も権威のある歴史と伝統を築き上げて多くの金字塔を打ち立てて来た日産であるから、プライドの高さも良く分かる。
しかし、こんな姿勢で統合に実を上げられる筈がなく、この期に及んで何をか況やである。
私は、日産には、特別な思い入れがあり、泡沫に過ぎないが長い間の株主であり、ゴーンの時代には、株主総会にも行って懇親会も楽しんでいた。
それに、1980年代後半から90年代初めまで、建設会社のヨーロッパ現地法人の社長をしていたので、日産の欧州本社や配送センターなどの工事を受注施工するなど随分お世話になった。
当時、欧州本社ビルは大型の鉄骨ビルであったのだが、下請けのオランダトップの建設会社でさえ、鉄骨建築施工経験がなかった。大丈夫かと聞いたら、オランダは造船大国であり、鉄骨建造物に熟練しており、ビルなど横のものを立てれば良いのだから心配ない。と信じられないような会話を交わした思い出がある。素晴らしいビルが立ち上がったのは勿論である。
当時の日産は、成功を謳歌してヨーロッパで快進撃、
光り輝いていた。