
ピーター・ドラッカーが、11月11日に亡くなった。
その直後、夥しい数の弔意を表す記事がTVやラジオ、新聞等で報道されたので、主なものをインターネットから取り出していたのだが、やっと、読む機会が出来た。
あのアラブのアルジャジーラさえ、経営の神様、近代経営の父、卓越した思想家、と言うタイトルでその死を悼む。
1987年株式市場の暴落で、あれを、経済的な理由ではなく、審美的道徳的な理由で予測していたとか、ウオールストリートのブローカーは全く非生産的な連中、と言ったドラッカーのコメントを引用しているのが面白い。
また、ロシアのプラウダは、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事を引用して告別記事を書き、従業員が、企業の成功のキイだとするドラッカーのコメントもロシア風。
ところで、欧米の新聞などは多くはAP電などで代用しているが、経済専門紙や大新聞などは独自の可なり詳細なドラッカー論を展開しており、改めて、ピーター・ドラッカーの偉大さを強調している。
興味深かったのは、やはり、ロンドンのエコノミスト、ビジネスウイーク、FT,NYT等の記事である。
ドラッカーが、偉大な経済学の発明者であり教祖であり、経営思想家である、と言った褒め言葉とその偉大な業績については、どの雑誌も新聞も大差はないが、陰の部分については、夫々ニュアンスが違っていて、興味深いのでまとめて論評してみたい。
エコノミスト誌は、ドラッカーに対する巷の批判に対して論評している。
第一の批判は、ドラッカーは、小企業に対しては、非効率で全く生産的ではないとして、大企業礼賛論を展開して、大組織ブームを招来した。
特に、アントレプルヌール的なビジネスのスタートアップについては無視した。
しかし、現実は、イノヴェイティブな企業家精神に燃えたアンテルプルヌールの事業スタート・ブームが、実業界を主導している。
第二は、目標管理に熱心なあまり、ビジネスをデッドエンドに追い込んだ。現在では、優良企業の殆どはこの考え方を避けて、トップダウン方式ではなく、組織の下部からのアイデアなり提言を重視する方向に進んでいる。
第三は、ドラッカーは、経営学界においてはマベリック・一匹狼で、それに、特定の専門分野がないと言う批判。
エコノミストは、第一と第二については、ある程度認めているが、第三については、ドラッカーは、マネジメントを発見し、マネジメントをプロフェッションにした偉大な先達ではないかと批難はアンフェアだと反論している。
第三の問題については、ファイナンシアル・タイムズが、別な視点から面白い論評をしている。
トム・ピータースの意見を引用して、ドラッカーはアカデミック界で過小評価され過ぎていると言うのである。
スタンフォードの大学院では、ドラッカーが引用されることは全くなく、4回の招請にも拘らず、ハーバード大学でも同じで、とにかく、アカデミック・サークルでは、ドラッカーは完全に無視されていると言うのである。
尤も時代は移り変わり、今や、イエール大、今ハーバードののR.M.カンター等が、その業績の評価をし始めたと言う。
とにかく、ドラッカーの偉業は、経済や経営学分野にとどまらない。本人が「ソーシャル・エコロジスト」と言っているように、その専門分野は人類の文明・文化総てに渡っており、早い話、日本美術のエキスパートでもある。
ハーバードを蹴って、カリフォルニアのクレアモントに引きこもり、秘書も置かずに、自分でタイプを打ち原稿をファックスし電話も自分で取って話す、仙人のような偉大な学者であった。
ビジネスウイークには、指南を受けにクレアモントに来た客に、
「一寸、リラックスしてプールに飛び込まないか。」「水着を持って来てません。」「今日は男だけだ、水着は要らないよ。」と言って、裸でプールで楽しんだ、と言った逸話などが語られていて面白い。
ところで、何十年も前に、コンピューターが経営に革命を起こし、グローバライゼーションが世界を席巻することを、誰よりも早く予言して、ビジネス界をリードしてきた。
世界の偉大な経営者と接触してアドバイスしてきたが、一番ドラッカーを尊敬して、そして、その恩恵を受けたのは日本のビジネス界かも知れない。
ところで、最後に言及しておきたいことは、大企業と経営の神様であったはずのドラッカー先生が、もう、ずっと以前に、資本主義の将来とコーポレーションには幻滅を感じて見切りをつけていた事である。
このあたりはビジネスウイークに詳しいが、CEO等による利益収奪にも等しい高額の役員報酬やウオールストリートの金に狂奔するブローカーの暗躍、秩序なき敵対的企業買収等々。
ドラッカーは、こんなことは道徳的にも社会的にも許されざる悪行で、必ず、その付けは巡って来ると警告する。
最早、コーポレーションをコミュニティを創造する理想的なスペースと見なくなり、コーポレート・アメリカに対する最も厳しい酷評家になっていたのである。
晩年、ドラッカーはビジネスを越えたマネジメントに没頭し始めた。
マネジメントはコーポレーションだけのものではなく、あらゆる現代の組織に適用できる基本的な概念思想であることを示して、ガール・スカウトは勿論のこと、政府、教会、公共団体、NPO,ボランティ団体等にマネジメントやビジネス・テクニークを伝授していた。
一世紀にも近い偉大な人生を、戦争と平和のハザマで伝道者のように駆け抜けて逝ったドラッカー先生の冥福を心からお祈りしたい。
ドラッカー先生さようなら。
その直後、夥しい数の弔意を表す記事がTVやラジオ、新聞等で報道されたので、主なものをインターネットから取り出していたのだが、やっと、読む機会が出来た。
あのアラブのアルジャジーラさえ、経営の神様、近代経営の父、卓越した思想家、と言うタイトルでその死を悼む。
1987年株式市場の暴落で、あれを、経済的な理由ではなく、審美的道徳的な理由で予測していたとか、ウオールストリートのブローカーは全く非生産的な連中、と言ったドラッカーのコメントを引用しているのが面白い。
また、ロシアのプラウダは、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事を引用して告別記事を書き、従業員が、企業の成功のキイだとするドラッカーのコメントもロシア風。
ところで、欧米の新聞などは多くはAP電などで代用しているが、経済専門紙や大新聞などは独自の可なり詳細なドラッカー論を展開しており、改めて、ピーター・ドラッカーの偉大さを強調している。
興味深かったのは、やはり、ロンドンのエコノミスト、ビジネスウイーク、FT,NYT等の記事である。
ドラッカーが、偉大な経済学の発明者であり教祖であり、経営思想家である、と言った褒め言葉とその偉大な業績については、どの雑誌も新聞も大差はないが、陰の部分については、夫々ニュアンスが違っていて、興味深いのでまとめて論評してみたい。
エコノミスト誌は、ドラッカーに対する巷の批判に対して論評している。
第一の批判は、ドラッカーは、小企業に対しては、非効率で全く生産的ではないとして、大企業礼賛論を展開して、大組織ブームを招来した。
特に、アントレプルヌール的なビジネスのスタートアップについては無視した。
しかし、現実は、イノヴェイティブな企業家精神に燃えたアンテルプルヌールの事業スタート・ブームが、実業界を主導している。
第二は、目標管理に熱心なあまり、ビジネスをデッドエンドに追い込んだ。現在では、優良企業の殆どはこの考え方を避けて、トップダウン方式ではなく、組織の下部からのアイデアなり提言を重視する方向に進んでいる。
第三は、ドラッカーは、経営学界においてはマベリック・一匹狼で、それに、特定の専門分野がないと言う批判。
エコノミストは、第一と第二については、ある程度認めているが、第三については、ドラッカーは、マネジメントを発見し、マネジメントをプロフェッションにした偉大な先達ではないかと批難はアンフェアだと反論している。
第三の問題については、ファイナンシアル・タイムズが、別な視点から面白い論評をしている。
トム・ピータースの意見を引用して、ドラッカーはアカデミック界で過小評価され過ぎていると言うのである。
スタンフォードの大学院では、ドラッカーが引用されることは全くなく、4回の招請にも拘らず、ハーバード大学でも同じで、とにかく、アカデミック・サークルでは、ドラッカーは完全に無視されていると言うのである。
尤も時代は移り変わり、今や、イエール大、今ハーバードののR.M.カンター等が、その業績の評価をし始めたと言う。
とにかく、ドラッカーの偉業は、経済や経営学分野にとどまらない。本人が「ソーシャル・エコロジスト」と言っているように、その専門分野は人類の文明・文化総てに渡っており、早い話、日本美術のエキスパートでもある。
ハーバードを蹴って、カリフォルニアのクレアモントに引きこもり、秘書も置かずに、自分でタイプを打ち原稿をファックスし電話も自分で取って話す、仙人のような偉大な学者であった。
ビジネスウイークには、指南を受けにクレアモントに来た客に、
「一寸、リラックスしてプールに飛び込まないか。」「水着を持って来てません。」「今日は男だけだ、水着は要らないよ。」と言って、裸でプールで楽しんだ、と言った逸話などが語られていて面白い。
ところで、何十年も前に、コンピューターが経営に革命を起こし、グローバライゼーションが世界を席巻することを、誰よりも早く予言して、ビジネス界をリードしてきた。
世界の偉大な経営者と接触してアドバイスしてきたが、一番ドラッカーを尊敬して、そして、その恩恵を受けたのは日本のビジネス界かも知れない。
ところで、最後に言及しておきたいことは、大企業と経営の神様であったはずのドラッカー先生が、もう、ずっと以前に、資本主義の将来とコーポレーションには幻滅を感じて見切りをつけていた事である。
このあたりはビジネスウイークに詳しいが、CEO等による利益収奪にも等しい高額の役員報酬やウオールストリートの金に狂奔するブローカーの暗躍、秩序なき敵対的企業買収等々。
ドラッカーは、こんなことは道徳的にも社会的にも許されざる悪行で、必ず、その付けは巡って来ると警告する。
最早、コーポレーションをコミュニティを創造する理想的なスペースと見なくなり、コーポレート・アメリカに対する最も厳しい酷評家になっていたのである。
晩年、ドラッカーはビジネスを越えたマネジメントに没頭し始めた。
マネジメントはコーポレーションだけのものではなく、あらゆる現代の組織に適用できる基本的な概念思想であることを示して、ガール・スカウトは勿論のこと、政府、教会、公共団体、NPO,ボランティ団体等にマネジメントやビジネス・テクニークを伝授していた。
一世紀にも近い偉大な人生を、戦争と平和のハザマで伝道者のように駆け抜けて逝ったドラッカー先生の冥福を心からお祈りしたい。
ドラッカー先生さようなら。