ヘンリックの「WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理」を読んでいて、音楽の効用につて興味深い記述があった。
人間の文化社会にとって、音楽は、文明初期の段階から重要な役割を果たしていた。と言うのである。
未開人類にとって、同期性、リズミカルな音楽、目的志向の共同行動がすべて作用しあう神聖な共同体儀式は非常に重要であった。儀式を遂行するという共通目的に向かって人々をまとめることによって共同体意識を深めて、人間関係を培い、個人間の信頼を強めて、連帯や相互依存の感覚を高めて集団の結束を図る。
この同期性や共同行動を補うものとしてのリズミカルな音楽は、心理的に働きかける儀式の力を三通りのの方法で強めている。第一に、リズムに合わせている個々人が、身体の動きを同期させるのに効果的な仕掛けとなる。第二に、音楽を共通に演奏することが、集団にとっての共通目標になる。第三に、音楽は二つ目の感覚――動作に加えて音響――を通して作用することで、気分に影響を及ぼし、儀式に高揚感を齎す。
これら神聖な儀式においては、音楽が必須だったのである。
この共同体儀式の様子などは、今でも、それに似た民族集団的な儀式をテレビなどで見ているのでほぼ想像はつく。
私が、意識しているのは、この音楽行動が、人類にとっては、原初より人間生活の根幹であって、切っても切り離せない命の一部であったと言うことである。
さて、今日では、儀式に伴う音楽も様変わりして、この儀式でのような音楽体験をすることは、殆どなくなっている。それに、音楽も、儀式から離れて、独立して存在して機能するようになってきている。
ところで、自分自身の音楽体験だが、何故か、小中学生時代には音楽の授業を軽視して身を入れて対処しなかった。大学生になって以降クラシック音楽に入れ込み、レコードを買い込みコンサートやオペラに通い詰め、長い欧米生活を良いことに最高峰の音楽を楽しみ続けて、生活の一部にもなっているので、今では、痛く後悔している。
この天邪鬼が祟って、演歌など日本の歌謡曲なども紅白歌合戦くらいで聞くこともなく、クラシック一辺倒で通してきたのだが、不思議なもので、NHKの4KなどBSで演歌が流れてくると、ついつい、懐かしさを覚えて聞き続けている。日本人としての音楽心がビルトインされているのであろう。
私の好きな歌謡曲と言うか聞くといつもホロっとするのは、「神田川」「いい日旅立ち」「琵琶湖周航の歌」。
外国旅行で聞いた民族音楽も忘れ難い。
スペインのフラメンコ、ポルトガルのファド、アルゼンチンのタンゴ、ブラジルのサンバやボサノヴァ、 メキシコのマリアッチ、ニューオーリンズのジャズ・・・
同じ「エル・コンドル・パッサ」でも、ボリビアのラパスの咽返るようなナイトクラブで聞いた時と、マチュピチュの頂上で聞いた時のケーナの音色は違うし、
とにかく、異国での音楽は胸にしみて懐かしさえ感じさせてくれる。
フィガロの結婚も、ローエングリンも、ラ・クンパルシータも、聖者の行進も、有楽町で逢いましょうも、私の耳元で鳴っている。
さて、私にとっては、音楽は何であったのであろうか。