
ティムとカールは、日本の医療制度は、患者ではなく、一部の部門を除いて医師を中心に成り立っていると言う。
欧米人にとっては、日本では十分な治療を受けられないし危険で心配だと言うのである。
私は、海外生活が長いが、風邪や高血圧程度で特に大層な医療サービスを海外では受けていないので分からないが、知人達の手術や入院を見た感じでは、階層によると言うか、保険も治療も金次第と言う感じがしている。
高くて良質な医療サービスを受ける為には、高額で至れり尽くせりの保険に入ることで、支払能力に余裕があれば、いくらでも良質な手術を受けることが出来るし快適な入院生活を送れるが、貧しければ、アメリカでは保険にさえ入れないし医師の治療さえ受けられない。
この意味では、ティムたちが何と言おうと、日本の比較的完備した健康保険制度で、何人も殆ど等しく平等に一定水準の医療サービスを受けることが出来る日本の方が優れているように思える。
ところがその先、日本の医師制度に問題があると言うのである。
医師中心の医療風土を支える最大の要因は、医療免許制度で、日本では医師免許が終身有効とされ、免許更新の必要はなく、医師の資格を保持する為に何年かおきに教育を受ける必要もない。医師免許さえあれば、自分の専門外の診療科の治療も行うことが出来る。
教師の免許もそのようなので質が落ちると言われているが、何故か、世界一の品質の車を作っている日本で、警察官僚とその家族を利する為か、欧米ではありえない自動車免許書き換えは頻繁に行われる。
世界の医療は急速に進歩していて変化しているのに、現在の日本では、何十年も前に受けたけ教育と訓練で十分とされている。慣れと経験と勘だけで医療サービスをしているだけだと言わんばかりである。
この点は非常に重要な示唆を与えてくれていて、欧米では、高度なプロフェッショナル・サービスについては、出来るだけ、更新手段を講じてその質の高さを維持することが大切だと考えていることである。
この点、遅れて近代化した日本は、ムラのオサ制度の国であり権威主義的であるので、一度資格と権威を得た人間は落ちないようになっている。
本当は、急速に激変する今日こそ、高度なプロフェッショナル知識や技術ほど賞味期限が短くなって絶えずアップツーデイトしなければならない筈なのである。
むかし、天気予報士制度が出来た時に、TVの有名な天気予報キャスターが試験に落ちて番組を降りたと言う話があったが、資格なしの無免許運転は以ての外ではあるが。
もう一つ問題にしているのは、日本では、医療技術や研究レベルでは世界に遜色がないのに、医療現場では縦割り組織と縄張り意識の為に、診療科や医療従事者間のコミュニケーションが悪くてチーム医療に欠陥があって、欧米のように協働体制がないと言うことである。
根本的な原因は、日本の「医局制度」、出身大学の医学部教授が医局の実質指導者であり関連病院の人事権を総て掌握して帝王のように君臨している学閥制度にあるらしい。
このあたりは、昔一世を風靡した山崎豊子の「白い巨搭」が詳しく説明してくれる。
「クリーデンシャリング」と言う欧米の制度では、学位、研修医時代の職歴、医師としての実績等の調査が徹底的に行われるので、医師採用の時は志願者の徹底的なスクリーニングが実施される。
また、「プレビレッジング」では、特定の病院で担当するのを許される診療やサービスが事細かに決められているので、医師はプレビレッジされていない医療行為が出来ないので、医師の能力を最大限に活用出来て経験や技術不足の医師から患者を守れる。
ところが、日本では医師の勤務評定もないし不都合な職歴や医療行為も藪の中であるし、医師採用では殆ど自由がなく医局からの宛がいぶちの医師に初日から患者に診療行為を許す、日本では医師は「全知全能の権威」と看做されていて十分な説明責任もない、と厳しいことを言う。
病院の格付けを行えば、病院の質が客観的な第三者の立場から評価されるだけではなく、医療の実績と基準に関するデータの蓄積と開示を即すことになる。
電子カルテの普及率は極めて低いようだが、患者の医療記録の閲覧と入手が困難なのはこの所為か、兎に角、正式なデータを収集、編集、分析する手法を速く確立して医療データ開示の明確なルールを創ることである。
しかし、病院の格付けがはっきり分かり、自分の病状が白日の下に晒された場合、それが本当に幸せであるかどうかは微妙な問題でもある。
深刻な医療費増加に苦しむ医療保険制度については、公定薬価制度の改正問題もあるが、個々の医療サービスの価格を決めるのではなくて、一つの病気に対する価格を決める「マネジドケア」への動き、包括支払方式(PPS)導入について書いている。
アメリカ人マーク・コルビー医師の日本での開業、医療再教育とアクレディテーション(技術認定)、院内感染抑制の為の管理教育プログラム関連事業について紹介しているが、閉鎖的な日本の医療現場に風穴を開ける事は歓迎すべきことであろう。
私自身は、首都圏で生活しており、その範囲内では最善の医療サービスにアクセスできていると思っているので、特に不都合は感じていないが、いくら少し外国語が出来ても微妙な痛みなどの表現は外人医者に対しては無理なので、やはり、医療サービスは日本で受けたい。
彼らの言い分は尤もだと思っても、別に、欧米の医学が最高だとも最適だとも思っていないし、現在の状態で特に不都合は感じていない。
死と直面した時にどうなるかは分からないが、ハッキリしていることは、この先ある時期が来れば、私自身が間違いなしに土にかえると言うことである。
欧米人にとっては、日本では十分な治療を受けられないし危険で心配だと言うのである。
私は、海外生活が長いが、風邪や高血圧程度で特に大層な医療サービスを海外では受けていないので分からないが、知人達の手術や入院を見た感じでは、階層によると言うか、保険も治療も金次第と言う感じがしている。
高くて良質な医療サービスを受ける為には、高額で至れり尽くせりの保険に入ることで、支払能力に余裕があれば、いくらでも良質な手術を受けることが出来るし快適な入院生活を送れるが、貧しければ、アメリカでは保険にさえ入れないし医師の治療さえ受けられない。
この意味では、ティムたちが何と言おうと、日本の比較的完備した健康保険制度で、何人も殆ど等しく平等に一定水準の医療サービスを受けることが出来る日本の方が優れているように思える。
ところがその先、日本の医師制度に問題があると言うのである。
医師中心の医療風土を支える最大の要因は、医療免許制度で、日本では医師免許が終身有効とされ、免許更新の必要はなく、医師の資格を保持する為に何年かおきに教育を受ける必要もない。医師免許さえあれば、自分の専門外の診療科の治療も行うことが出来る。
教師の免許もそのようなので質が落ちると言われているが、何故か、世界一の品質の車を作っている日本で、警察官僚とその家族を利する為か、欧米ではありえない自動車免許書き換えは頻繁に行われる。
世界の医療は急速に進歩していて変化しているのに、現在の日本では、何十年も前に受けたけ教育と訓練で十分とされている。慣れと経験と勘だけで医療サービスをしているだけだと言わんばかりである。
この点は非常に重要な示唆を与えてくれていて、欧米では、高度なプロフェッショナル・サービスについては、出来るだけ、更新手段を講じてその質の高さを維持することが大切だと考えていることである。
この点、遅れて近代化した日本は、ムラのオサ制度の国であり権威主義的であるので、一度資格と権威を得た人間は落ちないようになっている。
本当は、急速に激変する今日こそ、高度なプロフェッショナル知識や技術ほど賞味期限が短くなって絶えずアップツーデイトしなければならない筈なのである。
むかし、天気予報士制度が出来た時に、TVの有名な天気予報キャスターが試験に落ちて番組を降りたと言う話があったが、資格なしの無免許運転は以ての外ではあるが。
もう一つ問題にしているのは、日本では、医療技術や研究レベルでは世界に遜色がないのに、医療現場では縦割り組織と縄張り意識の為に、診療科や医療従事者間のコミュニケーションが悪くてチーム医療に欠陥があって、欧米のように協働体制がないと言うことである。
根本的な原因は、日本の「医局制度」、出身大学の医学部教授が医局の実質指導者であり関連病院の人事権を総て掌握して帝王のように君臨している学閥制度にあるらしい。
このあたりは、昔一世を風靡した山崎豊子の「白い巨搭」が詳しく説明してくれる。
「クリーデンシャリング」と言う欧米の制度では、学位、研修医時代の職歴、医師としての実績等の調査が徹底的に行われるので、医師採用の時は志願者の徹底的なスクリーニングが実施される。
また、「プレビレッジング」では、特定の病院で担当するのを許される診療やサービスが事細かに決められているので、医師はプレビレッジされていない医療行為が出来ないので、医師の能力を最大限に活用出来て経験や技術不足の医師から患者を守れる。
ところが、日本では医師の勤務評定もないし不都合な職歴や医療行為も藪の中であるし、医師採用では殆ど自由がなく医局からの宛がいぶちの医師に初日から患者に診療行為を許す、日本では医師は「全知全能の権威」と看做されていて十分な説明責任もない、と厳しいことを言う。
病院の格付けを行えば、病院の質が客観的な第三者の立場から評価されるだけではなく、医療の実績と基準に関するデータの蓄積と開示を即すことになる。
電子カルテの普及率は極めて低いようだが、患者の医療記録の閲覧と入手が困難なのはこの所為か、兎に角、正式なデータを収集、編集、分析する手法を速く確立して医療データ開示の明確なルールを創ることである。
しかし、病院の格付けがはっきり分かり、自分の病状が白日の下に晒された場合、それが本当に幸せであるかどうかは微妙な問題でもある。
深刻な医療費増加に苦しむ医療保険制度については、公定薬価制度の改正問題もあるが、個々の医療サービスの価格を決めるのではなくて、一つの病気に対する価格を決める「マネジドケア」への動き、包括支払方式(PPS)導入について書いている。
アメリカ人マーク・コルビー医師の日本での開業、医療再教育とアクレディテーション(技術認定)、院内感染抑制の為の管理教育プログラム関連事業について紹介しているが、閉鎖的な日本の医療現場に風穴を開ける事は歓迎すべきことであろう。
私自身は、首都圏で生活しており、その範囲内では最善の医療サービスにアクセスできていると思っているので、特に不都合は感じていないが、いくら少し外国語が出来ても微妙な痛みなどの表現は外人医者に対しては無理なので、やはり、医療サービスは日本で受けたい。
彼らの言い分は尤もだと思っても、別に、欧米の医学が最高だとも最適だとも思っていないし、現在の状態で特に不都合は感じていない。
死と直面した時にどうなるかは分からないが、ハッキリしていることは、この先ある時期が来れば、私自身が間違いなしに土にかえると言うことである。