熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

能楽堂のシェイクスピア・・・市川右近&笑也、藤間紫の「マクベス」

2006年02月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   大変意欲的な、シェイクスピア戯曲を日本の古典芸能で昇華した舞台が登場した。 
   能楽堂を舞台にした歌舞伎役者を主体としたシェイクスピアの悲劇「マクベス」であり、新潟のりゅーとぴあで生まれて東京、名古屋、大阪の能楽堂で演じられたのを、東京の梅若能楽院会館の能楽堂で観賞した。

   私は、もう20年近くも前、ロンドンのナショナル・シアターで、蜷川幸雄演出の素晴しい「マクベス」の舞台を、イギリス人の歓声の中で鑑賞して感激した。
   仏壇を舞台セットにして、その中で東北の小藩の武士の世界での権力争いに置き換えた日本版の「マクベス」が演じられた。
   イギリス流の簡素な舞台ではなく、本格的な演劇の舞台で、障子様のスクリーンを通して映し出される素晴しい桜吹雪のシーンからイギリス人の観客を魅了、勿論日本語の演出だが、イギリス人にとっては知り過ぎている舞台だから、反応は素晴しく良かった。
   
   その後、蜷川幸雄は、今度はロンドンのRSCの本拠地バービカン劇場で、佐渡の能舞台をセットに使った「テンペスト」を演じて、これまた、イギリス人を魅了しつくした。  
   竜安寺の石庭を舞台に取り入れた「夏の夜の夢」もそうであった。
   今度の能楽堂のシェイクスピア「マクベス」とは、まったく違う能楽堂の舞台の使い方だが、蜷川幸雄は、もう既に、シェイクスピア戯曲と日本芸術との接点をいくらも追求し発展させてきている。

   今回の「マクベス」は、歌舞伎役者市川右近と市川笑也が、夫々マクベスとマクベス夫人を演じているが、舞台設定は、歌舞伎と言うよりは、能の方に近く、演劇よりは、幻想的な詩の世界である。
   右近のマクベスは、凛々しく実に優雅であり、猿之助劇団の流石にエースであり適役であるが、やはり、生粋の歌舞伎役者としてのシェイクスピアが前面にでているので、欲を言えば、能舞台、もう少し幽玄さと詩情が欲しい。
   笑也の悪女としての凄さと狂乱の場での演技は秀逸、右近との相性が良く、昔観た栗原小巻のマクベス夫人を思い出した。
   重厚な演技を見せるダンカン役の菅生隆之、風格のあるバンクォーの谷田歩など脇を固める役者も器用である。

   特に印象的なのは、わらべ歌を歌いながら舞台のバックを支えるゼンマイ仕掛け人形のような6人の可愛い魔女と、それを、と言うよりは、マクベスとマクベス夫人の運命を操る魔女達の盟主ヘテカ(藤間紫)の存在である。
   魔女達は、マクベス達の運命を予言する魔女であると同時に、他の役者の役を演じたり小道具を運ぶ後見役であったり、歌と踊るような仕種で舞台を装飾しながら溶け込んでいる。
   女性陣のコロスを上手く使って演出した蜷川幸雄の「メディア」を思い出させる。
   また、もう随分よいお齢だと思うが、藤間紫の堂々とした立ち居振る舞いと演技は流石で、冒頭の能のシテのように静かに登場する瞬間からその存在感は抜群である。

   元々、シェイクスピア戯曲は、聴かせる芸術で、イギリスの本舞台でも、舞台セットは極めて簡素で、それに、数行の台詞で、舞台が、ギリシャからイタリアに移るなど瞬時に場面が展開することはざらであるので、何の舞台セットもない簡素な、しかし、素晴しい芸術空間を提供してくれる能舞台は、理想的な劇場かも知れない。
   その場合、やはり重要な役割を果たすのは衣装。
時広真吾の衣装は、総て和装だが、当時のスコットランド風のイメージを加味しながら実に豪華で美しく、それに、乞食でも錦を纏う日本の能や歌舞伎の伝統芸能の精神が光っていて十分にシンプルな舞台をバックアップしている。

   やはり、今回の舞台の功労者は、演出家栗田芳宏氏であろう。
   藤間紫、市川猿之助門下で、日舞・歌舞伎を学んできており、今回は、その成果である和の精神と技法を活用したと言うが、もともと、シェイクスピア劇は極めてコスモポリタンで、外国に一歩も踏み出したことのないシェイクスピアが書いた戯曲だから、どんな手法で演じても出来さえ良ければ通用する。
   この栗田の試みは、日本の古典芸能の世界と日本の凝縮した美意識の頂点でシェイクスピアを凝視し、舞台を作り上げている。
   能舞台での演出に比重を掛けて、能のように、極めて切り詰めて省略し象徴化した形での舞台を演出しているので、「マクベス」そのものを十分に消化し理解した上でないと少し分かりにくいところがあり、ある意味では、相当高度な演出と云えるのかも知れない。
   シェイクスピアには、ヴェルディ等のオペラもあればバレーもあり、演劇でも多彩なバージョンがある。この能舞台の「マクベス」は、蜷川シェイクスピアと違った日本発のもっと日本古典芸能を昇華させた舞台であり、これからの挑戦が楽しみである。
   
   ところで、本場の「マクベス」であるが、印象に残っているのはイギリスでの舞台ではなく、日本で観たロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの「マクベス」で、サー・アントニー・シャーが、実に個性的なマクベスを演じていた。
   今回の能楽堂の「マクベス」は、日本的な美意識が先行して悲劇性にやや欠けたきらいがあるが、サー・アントニーの演じたマクベスは、悲劇の主人公そのもののマクベスで、彼の演技には芸術性よりもリアリズムが先行していた。
   舞台の後、カクテル・パーティーで、サー・アントニーに、直接話を聞いたが、マクベスについてどんなことを言ったのか忘れたが、
オテロは、色の黒い役者しか演じられないこと、
女優(名前を失念)がリア王を演じる事については日本の歌舞伎でやっているし芸には男女の区別などない、
蜷川幸雄演出の「リア王」はあまり感心しない、
等と云っていたのを思い出す。
   その後、オテロでは、個性的なイアーゴ役で来日したが、シェイクスピア役者としての自負は凄かった。

   
   

   
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