熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

文楽二月公演・・・天網島時雨炬燵「心中天の網島」

2006年02月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の文楽の第三部は、近松門左衛門の「心中天の網島」の改作で、近松半二等作「心中紙屋治兵衛」の「新地茶屋の段」と、管専助等作「置土産今織上布」の「紙屋内の段」を一つに纏めたもので、「天満紙屋内の段」等大分話の中身が大衆的に変わってしまって近松の原作から離れてゆく。

   この心中天の網島は、近松最晩年の最高傑作でもあり、改作とは言え、この演目はやはり今回の2月文楽の目玉で、「河庄の段」の竹本住大夫の浄瑠璃と野澤錦糸の三味線、そして、次代の文楽界を背負う3人のエース、桐竹勘十郎の紙屋治兵衛、吉田和生の紀の国屋小春、吉田玉女の粉屋孫右衛門の揃い踏み.
そして、「天満紙屋内の段」の豊竹嶋大夫の語りと鶴澤清介の三味線に、健気なおさんを遣う吉田簔助の至芸など見所が多く素晴しい舞台であった。

   今回の心中物語は、大店の紙屋の主人で、従妹のおさんと言う貞女を妻に、6歳の勘太郎と4歳のお末と言う子供を持つ分別盛りの28歳の紙屋治兵衛が、3年越しに渉る紀の国屋小春との恋愛関係を清算して情死を遂げたのがテーマ。
   しかし、これだけでは話にならないので、近松は味付け脚色をする。
   夫婦の関係が行き詰まり心中しようとしている夫を助ける為に、おさんが、小春に関係を絶ってくれるよう手紙で依頼して、小春もこれに応えようとするが、身請けされる江戸屋太兵衛を虫唾が走るくらい嫌いで、治兵衛も小春が太兵衛に身請けされると思うと悔しくて居ても立っても居られない。
   おさんが、夫と小春を思い、夫を許して見受けの金まで工面し、親に連れ戻されて実家に帰るが、周りの思いやりもなんのその、治平衛と小春は、最後の死に場所網島の大長寺に向かう。

   河庄の段では、治兵衛の義兄粉屋孫右衛門が、小春の本心を確かめる為に侍に身を変えて河庄に行く。
   義兄に治兵衛との心中は嘘でと別れ話を語っているのを外で立ち聞きした治兵衛が、怒って入り込み小春と取り交わした起請文を叩き返すが、孫右衛門が小春の胸から取り出した起請文に別の一通の手紙があり、おさんからだと知って小春の心変わりの訳を知る。

   次の紙屋内の段では、おさんが、涙にくれる治兵衛を見て、そんなに私を嫌いなのかとかき口説くのだが、夫の話から小春が自殺するのを察して身請けする為の金の工面までする、しかし愛想をつかした親に実家に連れ帰られる。
   ところが、今回の改作では、更に、小春が二人の祝言の真似事まで手配しており、二人を訪れて来た娘お末の白衣に、怒った筈の義父が150両の金まで家に残し、お末共々おさんを尼にしたことが書いてある。

   近松門左衛門の原作は、最後の段は、治兵衛が、小春を連れ出しに河庄に出向き茶屋の諸払万端を済ませて待っていると、孫右衛門が探しに来たのを陰から見ていて知る。それをやり過ごし、周りの善意も無視して網島に向かって死出の旅に発つ。
   「悪所狂いの、身の果ては、かくなりゆくと、定まりし」。
   橋の多い大坂をかけて、最後の「道行名残りの橋づくし」が始まり、二人してあの世への道行きとなる。
   最後の心中の場は、小春を刺し殺した後、自分は離れて神社の鳥居に帯を掛けて死ぬが、せめてものおさんへの義理と思いやりであろうか。

   ところで、河庄の段、「魂抜けてとぼとぼうかうか、身をこがす」。
   治兵衛の舞台への登場であるが、前回玉男が遣ったどうしょうもないほど傷心して落ちぶれた治兵衛の姿を思い出しながら、勘十郎の治兵衛を観ていたが、やはり上手い。
   ガシンタレでアカンタレで救いようのない治兵衛を如何に演じて見せるか、昨年、坂田藤十郎が、鴈治郎最後の舞台で見せたあの大坂の優男の真髄を必死になって人形に吹き込もうとしている勘十郎の意欲を感じながら、先日観た曽根崎心中の徳兵衛を思い出していた。

   俄か侍孫右衛門を使う吉田玉女、武士の威厳とふっと本性が出る町人の綯交ぜの個性を出しながら、義弟への生身の対応、遊女小春へのおさんの手紙を見た前後の心の揺れ、等何時も豪快な立役イメージの強い玉女の繊細な芸が滲み出て人間的な孫右衛門を上手く遣っていた。

   小春の吉田和生だが、出だしは別として前半は殆ど頭を下げて傷心している姿ばかりの小春。(歌舞伎の時は、雀右衛門が、絶えに耐えて忍び泣く小春を感動的に演じていた。)
   しかし、この舞台は、おさんと小春の女の絡みが主題なので、僅かな動きの中にも女の優しさ強さを感じさせてくれ、やはり、最後の道行きの小春は魅力的で実に上手い。

   一頃なら、正に、女の鏡として称えられた筈のおさんだが、この舞台の本当は一番重要な人物かもしれない。
   天満紙屋内の段の前半、父親に実家へ連れ戻される場までの出であるが、健気で優しい、しかし、強いおさんを、簔助は実に繊細に情愛を込めて演じていて、その一つ一つの仕種の鮮やかさに感動しながら観ていた。
   今回の改作版では、義兄と母に誓紙を書かされる場は省略されているので、冒頭から涙ぐんで炬燵に寝ている治兵衛が出て来て、おさんが、「睦ましい女夫らしい寝物語をしようものを、楽しむ間もなくほんに酷いつれない」と恨み辛みを言う。
   しかし、自分の手紙で小春が死ぬ覚悟で居ることを知ると必死になって、治兵衛に助けを求めて金の工面に画策、この心の機微を簔助は実に巧みに演じる。
   そして、治兵衛を攻め立てる父親に説得抗議し連れ帰りに抵抗する健気さ強さ、生身の女優以上に人形が訴えている。
   この場を語る嶋大夫と清助のコンビも実に上手く感動的である。

   ところで、北新地河庄の段で、治兵衛の出から、孫右衛門と絡んでの小春との別れまでを語る人間国宝竹本住大夫の語りだが、本当に感動モノで、何時も、感激しながら聞いている。
   住大夫の語りの醍醐味の一つは、どうしようもない阿呆の治兵衛と常識人の兄孫右衛門とのすれ違いの会話で、歌舞伎では、藤十郎と我當が実に感動的に演じていたが、あの絶妙な大阪弁の会話を髣髴とさせる人間味豊かな、可笑しくて悲しいあの語りである。
   有名なオペラ歌手が、自分は、テノールしか歌えないが、文楽の大夫は、ソプラノもメゾもバリトンもみんな歌って、その上ナレーションまでやると言って舌を巻いたと言うが、この言葉は、住大夫の為にあるのであろう。
   野澤錦糸との名コンビでの語りに合わせて、3人のエースが、治兵衛、小春、孫右衛門を、縦横に演じ羽ばたいている。

   3人の人形遣いが人形を遣い、1人の大夫が、単調なはずの三味線の豊かな音楽に合わせて、物語を総てを語って素晴しい舞台を作り上げてゆく、文楽とは素晴しい総合芸術だと何時も感激して、聴いて観ている。
   
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