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映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」を見に行った。
私は、渥美清の映画「男はつらいよ」49作全部見ている寅さんファンである。
寅さん映画を見始めたのは、最初からではなく、1980年代の半ばくらいからで、その当時、オランダに駐在していて、日本への出張の往復のJALの機内や、アムステルダムのホテルオークラでの映写会で見て、娘が数巻ビデオを借りてきて、家族で見てから、一気にファンになったのである。
長い間、ヨーロッパなど外国にいたので、日本の映画館で見た記憶は殆どなく、何回もの日本への往復の度毎に、ビデオやレーザーディスクを買い込んだりダビングして持ち帰って鑑賞し、その後、ロンドンから日本に帰ってから残りを映画館で見ており、NHK BS番組も全篇録画して、何度か見て思い出を反芻している。
インターナショナル・スクールの長女やオランダ人小学校に通う次女にとっては、寅さん映画の美しい日本風景やほのぼのとした日本での物語が、唯一の貴重な日本との接点であって、我々大人にとっても、涙が零れるほど懐かしい日本体験であった。
さて、今回の第50作は、24年を経ての作品で、勿論、渥美清もいないし、多くの登場人物も逝ってしまい、主要登場人物も歳を取っており、その事後談と言う位置づけで、過去の思い出を反芻しながらの物語になっていて、主人公の小説家になった甥の諏訪満男(吉岡秀隆)が、
”困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。おじさん、どっからでも飛んできてやるから―車寅次郎―、”と言う寅さんの言葉に導かれて生きている、そんな懐かしい伯父の寅さんが見え隠れする映画である。
ラストシーンでは、寅さんが恋をしてシャボン玉のように消えていった全てのマドンナの映像が映し出されていて、年輪の貴重さを感じて、懐かしさ一入であった。
映画の冒頭、満男が、砂浜を必死に駆けて、疾走してくるイズミ(後藤久美子)と手を握り合って感激するシーンを満男の夢として映しだされていて、この映画は、満男とイズミの再会物語がメインとなっている。
新進小説家としてサイン会を開いていた満男の前に、子供のために本を買いに来ていた国連難民高等弁務官事務所の職員として来日していたイズミが、張り紙を見て現れると言う劇的な再会となり、いつものように、柴又を訪れて、母・さくら(倍賞千恵子)と父・博(前田吟)と楽しい時間を過ごし、1泊して、翌朝、満男の運転で三浦半島にある老人ホームへ父(橋爪功)を訪ねて再会し、母(夏木マリ)と帰って行く。翌日、オランダへ帰国するイズミを空港で見送り、妻が6年前に病没していたことを隠していたことを謝り、満男の思いやりに感激したイズミが満男の肩に顔をうずめ、お互いの愛を確かめ合って別れる。腑抜けのようになっていた満男は、伯父寅さんの言葉を思い出して、新作を書き始める。
興味深いのは、再会を喜ぶ満男が、「会わせたい人がいる」と神保町の小さなジャズ喫茶にイズミを連れて行って、20年以上前に奄美大島で会った寅のかつての恋人・リリー(浅丘ルリ子)に会って、リリーから、寅との思いがけない結婚話があって、不器用な二人故に、消えてしまったと言う懐かしい逸話を、当時の映像を交えて蘇らせていることである。
寅さんが、本当に、リリーに気があったのは、沖縄で、寅さんがリリーの後ろから手を伸ばして抱きしめようとしたことがあって、タイミングがズレてすっぽ抜けになったシーンが描かれていて、浅丘ルリ子は、リリー役を、11作『寅次郎忘れな草』、15作『寅次郎相合い傘』、25作『寅次郎ハイビスカスの花』、48作『寅次郎紅の花』で、四回演じていて、寅さんのお嫁さん候補としては、誰もが認める存在だったと思う。
今回、こんな思いを込めて、山田監督は、このシーンを加えたのだと思う。
一寸、面白かったのは、冒頭の寅さんのセリフとオープニング主題歌「男はつらいよ」を桑田佳祐がやっていることで、荒川の土手でのお馴染みのシーンも、寅さんの格好をした桑田佳祐が演じていることである。
渥美清の柔らかくて温かいムードの聞きなれた声が、一寸固い芯のある剛直な声に変わり、先の紅白歌合戦のデジタル化された美空ひばりの映像と歌声のような感じがして、不思議なイメージを覚えた。
山田監督が依頼して、桑田が喜んで出演したようで、日本を代表するトップ歌手のエポックメイキングな起用と言うことであろうが、正直なところ、映画のラストで、渥美清の主題歌が流れて、ほっとした
現在のストーリーにしながら、過去の懐かしい映像をふんだんに鏤めて、名優渥美清を蘇らせて楽しい映画に仕立て上げているのは流石である。
皆名優揃いだが、イズミ・ブルーナ(及川泉)役の後藤久美子が、良い味を出して好演していた。
私は、渥美清の映画「男はつらいよ」49作全部見ている寅さんファンである。
寅さん映画を見始めたのは、最初からではなく、1980年代の半ばくらいからで、その当時、オランダに駐在していて、日本への出張の往復のJALの機内や、アムステルダムのホテルオークラでの映写会で見て、娘が数巻ビデオを借りてきて、家族で見てから、一気にファンになったのである。
長い間、ヨーロッパなど外国にいたので、日本の映画館で見た記憶は殆どなく、何回もの日本への往復の度毎に、ビデオやレーザーディスクを買い込んだりダビングして持ち帰って鑑賞し、その後、ロンドンから日本に帰ってから残りを映画館で見ており、NHK BS番組も全篇録画して、何度か見て思い出を反芻している。
インターナショナル・スクールの長女やオランダ人小学校に通う次女にとっては、寅さん映画の美しい日本風景やほのぼのとした日本での物語が、唯一の貴重な日本との接点であって、我々大人にとっても、涙が零れるほど懐かしい日本体験であった。
さて、今回の第50作は、24年を経ての作品で、勿論、渥美清もいないし、多くの登場人物も逝ってしまい、主要登場人物も歳を取っており、その事後談と言う位置づけで、過去の思い出を反芻しながらの物語になっていて、主人公の小説家になった甥の諏訪満男(吉岡秀隆)が、
”困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。おじさん、どっからでも飛んできてやるから―車寅次郎―、”と言う寅さんの言葉に導かれて生きている、そんな懐かしい伯父の寅さんが見え隠れする映画である。
ラストシーンでは、寅さんが恋をしてシャボン玉のように消えていった全てのマドンナの映像が映し出されていて、年輪の貴重さを感じて、懐かしさ一入であった。
映画の冒頭、満男が、砂浜を必死に駆けて、疾走してくるイズミ(後藤久美子)と手を握り合って感激するシーンを満男の夢として映しだされていて、この映画は、満男とイズミの再会物語がメインとなっている。
新進小説家としてサイン会を開いていた満男の前に、子供のために本を買いに来ていた国連難民高等弁務官事務所の職員として来日していたイズミが、張り紙を見て現れると言う劇的な再会となり、いつものように、柴又を訪れて、母・さくら(倍賞千恵子)と父・博(前田吟)と楽しい時間を過ごし、1泊して、翌朝、満男の運転で三浦半島にある老人ホームへ父(橋爪功)を訪ねて再会し、母(夏木マリ)と帰って行く。翌日、オランダへ帰国するイズミを空港で見送り、妻が6年前に病没していたことを隠していたことを謝り、満男の思いやりに感激したイズミが満男の肩に顔をうずめ、お互いの愛を確かめ合って別れる。腑抜けのようになっていた満男は、伯父寅さんの言葉を思い出して、新作を書き始める。
興味深いのは、再会を喜ぶ満男が、「会わせたい人がいる」と神保町の小さなジャズ喫茶にイズミを連れて行って、20年以上前に奄美大島で会った寅のかつての恋人・リリー(浅丘ルリ子)に会って、リリーから、寅との思いがけない結婚話があって、不器用な二人故に、消えてしまったと言う懐かしい逸話を、当時の映像を交えて蘇らせていることである。
寅さんが、本当に、リリーに気があったのは、沖縄で、寅さんがリリーの後ろから手を伸ばして抱きしめようとしたことがあって、タイミングがズレてすっぽ抜けになったシーンが描かれていて、浅丘ルリ子は、リリー役を、11作『寅次郎忘れな草』、15作『寅次郎相合い傘』、25作『寅次郎ハイビスカスの花』、48作『寅次郎紅の花』で、四回演じていて、寅さんのお嫁さん候補としては、誰もが認める存在だったと思う。
今回、こんな思いを込めて、山田監督は、このシーンを加えたのだと思う。
一寸、面白かったのは、冒頭の寅さんのセリフとオープニング主題歌「男はつらいよ」を桑田佳祐がやっていることで、荒川の土手でのお馴染みのシーンも、寅さんの格好をした桑田佳祐が演じていることである。
渥美清の柔らかくて温かいムードの聞きなれた声が、一寸固い芯のある剛直な声に変わり、先の紅白歌合戦のデジタル化された美空ひばりの映像と歌声のような感じがして、不思議なイメージを覚えた。
山田監督が依頼して、桑田が喜んで出演したようで、日本を代表するトップ歌手のエポックメイキングな起用と言うことであろうが、正直なところ、映画のラストで、渥美清の主題歌が流れて、ほっとした
現在のストーリーにしながら、過去の懐かしい映像をふんだんに鏤めて、名優渥美清を蘇らせて楽しい映画に仕立て上げているのは流石である。
皆名優揃いだが、イズミ・ブルーナ(及川泉)役の後藤久美子が、良い味を出して好演していた。