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「妹背山婦女庭訓」第二部は、
鎌足(和生)の息子淡海(清十郎)が身分を隠して求女と称して三輪に住んでいて、隣の酒屋の娘お三輪(勘十郎)と相思相愛ながら、通ってくる入鹿(玉輝)の妹橘姫(勘彌)とも情を交わしており、この三角関係を舞踊化した華麗な「道行恋苧環」や、淡海を追って三笠山御殿にやって来たお三輪が散々虐めぬかれた末に入鹿を倒すために犠牲となる「金殿の段」が主体となる公演だが、三段目の「妹山背山の段」を第一部に振ったために、二段目の「鹿殺しの段」から始まる。
平成6年5月に、今回のプログラムに、「井戸替の段」を加えた通し狂言が、東京の国立劇場で上演されたようだが、行った筈にも拘わらず、全く記憶が残っておらず、その後は、11年4月と22年4月にこの国立文楽劇場で、同じプログラムの通し狂言が上演されており、後の方から今回は、定高が文雀から和生に変わっているが、私は両方とも観ていない。
その後は、山の段は1回だけで、殆ど道行と金殿主体の公演であったので、今回の通し狂言の鑑賞は初めての感じで非常に新鮮であり、それだけに、ストーリー性が気になる私には面白かった。
さて、この浄瑠璃は、主役は入鹿であり、大詰めの金殿の段で、どのようにして、鎌足たちが、簒奪者の憎き入鹿を誅殺するかが明かされる。
鱶七(実は藤原淡海の家来で金輪五郎・玉也)が、女官たちに散々虐めぬかれて虚仮にされて激情したお三輪を、刺し殺す時に、述懐するのである。
年老いた蘇我蝦夷子には子供がなかったので、占い博士の進言を受けて、白い牝鹿の生血を母親に飲ませたところ、霊験新かによって男子・入鹿が生まれた。入鹿が悪の超人的な力を持っているのはそのためで、この入鹿の悪の力を打ち破るためには、爪黒の鹿の血汐と疑着の相のある女の生血を笛にかけて、その笛を吹くと、入鹿は正体を無くする。その虚をついて、鎌足が宝剣を奪い返して入鹿を討つのだと、鱶七は語り、瀕死の疑着の相あるお三輪を刺し殺し、その血を笛に注ぐ。
「天晴れ高家の北の方」と言われても、そこはおぼこい田舎娘で、「・・・とはいふものゝいま一度、どうぞお顔が拝みたい。」と、お三輪は、苧環を抱きしめながらこと切れる。
前の段の猟師芝六(玉男)が、禁令を侵して射止めた爪黒の鹿の血汐とお三輪の生血が入鹿誅殺に役だったと言う説明だが、奇想天外な発想を、良く芝六とお三輪の話に作り上げたものだと、半二たちの創作意欲に感心している。
ところで、余談だが、この浄瑠璃で気になるのは登場人物の描き方である。
まず、第一に分からないのは、淡海のキャラクターで、モデルは鎌足の次男不比等と言うことだが、「杉酒屋の段」では、通って来る橘姫とのことがお三輪にばれて言い逃れるも、道行では、完全に橘姫に靡き、橘姫の袖口に苧環の糸を結び付けて後を追いかけて金殿に行き橘姫と二世を契る。お三輪が断末魔で「賤の女が・・・しばしでも枕交わした身の果報」と言っているから実質夫婦でありながら、お三輪を踏みつけにしており、改新のための大義とは言え、淡海の不甲斐なさと不実が気になると、素直に、お三輪の悲劇をそれとして鑑賞できない。
尤も、その前に、どこでどうして親しくなったのか、淡海と橘姫との馴れ初めが分からないのが気になるのだが、この浄瑠璃には、辻褄合わせが多くて、筋が唐突な部分が結構あって、そのつもり・・・で見ないと、通し狂言が生きてこないところがある。
もう一つは、これも、第一部の山の段で主役であり、歌舞伎なら、幸四郎などの座頭役者が演じる大判事清澄が、息子の久我之助が本心を訝るほど何故入鹿に簡単に靡いて従うほど節操がないのか分かり難いし、定高や久我之助への対応も煮え切らなくて、改新のために鎌足側に貢献するでもない中途半端な人物として描かれていることである。
芝六も、真意を示すためと、実子杉松を刺し殺すのも、やはり、意味不明であり、タイトルの「芝六忠義」と言うのは、爪黒の鹿を殺したくらいであろう。
そう言う意味では、入鹿や久我之助の方が、すっきりと筋が通っている。
お三輪あっての道行から金殿だと思うのだが、簑助と紋壽のお三輪が印象に残っている。
今回は、簑助の後継者である勘十郎のお三輪であり、観客が、拍手で素晴らしい芸を賞賛していた。
杉酒屋の段で、咲太夫が休演し、咲甫太夫が代演した。
この頃になって、人形も素晴らしいが、太夫の語りと三味線の創り上げる何とも言えない浄瑠璃の素晴らしさが少し分かってきたような気がしている。
一階の「資料展示室」で、常設展示「文楽入門」が実施されていて、結構興味深いのだが、今回の「妹背山婦女庭訓」関係の写真などもあって、参考になった。
また、入り口を入った一階ロビー正面に、長谷川貞信筆の芝居絵が掛かっているのだが、登場する様々なキャラクターが上手く描かれていて、いつも、興味を持って眺めている。
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劇場ロビーには、大神神社から授与されたと言う杉玉がディスプレイされていた。
また、売店で、杉酒屋の段記念の三輪の酒が売られていた。買って帰ってホテルで飲もうと思ったのだが、終演後売店が混んでいたので諦めて、コンビニの酒で代用した。
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三輪の大神神社のHPを開くと、苧環は、『古事記』の大物主大神と活玉依姫の恋物語で、毎夜姫のもとに通ってくる若者の衣の裾に糸巻きの麻糸を針に通して刺し、糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着き、若者の正体が、大物主大神だであったと言う神話によると言う。
また、「極楽を いづくのほどと 思ひしに 杉葉立てたる 又六が門」と言う一休宗純禅師の又六という酒屋で酩酊すればそこが極楽というユーモラスな歌がもとで、大神神社の大物主大神が酒造りの神であり、大神神社の神木である杉に霊威が宿ると信じられたため、酒屋の看板がわりとして杉葉を束ねて店先に吊るす風習が出来たと言う。
とにかく、現代人の敵である花粉症の権化である杉が、酒の神とは、お釈迦さまでも分からないと言うことであろうか。
他に撮った文楽劇場での写真は、次の通り。
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平成6年5月に、今回のプログラムに、「井戸替の段」を加えた通し狂言が、東京の国立劇場で上演されたようだが、行った筈にも拘わらず、全く記憶が残っておらず、その後は、11年4月と22年4月にこの国立文楽劇場で、同じプログラムの通し狂言が上演されており、後の方から今回は、定高が文雀から和生に変わっているが、私は両方とも観ていない。
その後は、山の段は1回だけで、殆ど道行と金殿主体の公演であったので、今回の通し狂言の鑑賞は初めての感じで非常に新鮮であり、それだけに、ストーリー性が気になる私には面白かった。
さて、この浄瑠璃は、主役は入鹿であり、大詰めの金殿の段で、どのようにして、鎌足たちが、簒奪者の憎き入鹿を誅殺するかが明かされる。
鱶七(実は藤原淡海の家来で金輪五郎・玉也)が、女官たちに散々虐めぬかれて虚仮にされて激情したお三輪を、刺し殺す時に、述懐するのである。
年老いた蘇我蝦夷子には子供がなかったので、占い博士の進言を受けて、白い牝鹿の生血を母親に飲ませたところ、霊験新かによって男子・入鹿が生まれた。入鹿が悪の超人的な力を持っているのはそのためで、この入鹿の悪の力を打ち破るためには、爪黒の鹿の血汐と疑着の相のある女の生血を笛にかけて、その笛を吹くと、入鹿は正体を無くする。その虚をついて、鎌足が宝剣を奪い返して入鹿を討つのだと、鱶七は語り、瀕死の疑着の相あるお三輪を刺し殺し、その血を笛に注ぐ。
「天晴れ高家の北の方」と言われても、そこはおぼこい田舎娘で、「・・・とはいふものゝいま一度、どうぞお顔が拝みたい。」と、お三輪は、苧環を抱きしめながらこと切れる。
前の段の猟師芝六(玉男)が、禁令を侵して射止めた爪黒の鹿の血汐とお三輪の生血が入鹿誅殺に役だったと言う説明だが、奇想天外な発想を、良く芝六とお三輪の話に作り上げたものだと、半二たちの創作意欲に感心している。
ところで、余談だが、この浄瑠璃で気になるのは登場人物の描き方である。
まず、第一に分からないのは、淡海のキャラクターで、モデルは鎌足の次男不比等と言うことだが、「杉酒屋の段」では、通って来る橘姫とのことがお三輪にばれて言い逃れるも、道行では、完全に橘姫に靡き、橘姫の袖口に苧環の糸を結び付けて後を追いかけて金殿に行き橘姫と二世を契る。お三輪が断末魔で「賤の女が・・・しばしでも枕交わした身の果報」と言っているから実質夫婦でありながら、お三輪を踏みつけにしており、改新のための大義とは言え、淡海の不甲斐なさと不実が気になると、素直に、お三輪の悲劇をそれとして鑑賞できない。
尤も、その前に、どこでどうして親しくなったのか、淡海と橘姫との馴れ初めが分からないのが気になるのだが、この浄瑠璃には、辻褄合わせが多くて、筋が唐突な部分が結構あって、そのつもり・・・で見ないと、通し狂言が生きてこないところがある。
もう一つは、これも、第一部の山の段で主役であり、歌舞伎なら、幸四郎などの座頭役者が演じる大判事清澄が、息子の久我之助が本心を訝るほど何故入鹿に簡単に靡いて従うほど節操がないのか分かり難いし、定高や久我之助への対応も煮え切らなくて、改新のために鎌足側に貢献するでもない中途半端な人物として描かれていることである。
芝六も、真意を示すためと、実子杉松を刺し殺すのも、やはり、意味不明であり、タイトルの「芝六忠義」と言うのは、爪黒の鹿を殺したくらいであろう。
そう言う意味では、入鹿や久我之助の方が、すっきりと筋が通っている。
お三輪あっての道行から金殿だと思うのだが、簑助と紋壽のお三輪が印象に残っている。
今回は、簑助の後継者である勘十郎のお三輪であり、観客が、拍手で素晴らしい芸を賞賛していた。
杉酒屋の段で、咲太夫が休演し、咲甫太夫が代演した。
この頃になって、人形も素晴らしいが、太夫の語りと三味線の創り上げる何とも言えない浄瑠璃の素晴らしさが少し分かってきたような気がしている。
一階の「資料展示室」で、常設展示「文楽入門」が実施されていて、結構興味深いのだが、今回の「妹背山婦女庭訓」関係の写真などもあって、参考になった。
また、入り口を入った一階ロビー正面に、長谷川貞信筆の芝居絵が掛かっているのだが、登場する様々なキャラクターが上手く描かれていて、いつも、興味を持って眺めている。
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劇場ロビーには、大神神社から授与されたと言う杉玉がディスプレイされていた。
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三輪の大神神社のHPを開くと、苧環は、『古事記』の大物主大神と活玉依姫の恋物語で、毎夜姫のもとに通ってくる若者の衣の裾に糸巻きの麻糸を針に通して刺し、糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着き、若者の正体が、大物主大神だであったと言う神話によると言う。
また、「極楽を いづくのほどと 思ひしに 杉葉立てたる 又六が門」と言う一休宗純禅師の又六という酒屋で酩酊すればそこが極楽というユーモラスな歌がもとで、大神神社の大物主大神が酒造りの神であり、大神神社の神木である杉に霊威が宿ると信じられたため、酒屋の看板がわりとして杉葉を束ねて店先に吊るす風習が出来たと言う。
とにかく、現代人の敵である花粉症の権化である杉が、酒の神とは、お釈迦さまでも分からないと言うことであろうか。
他に撮った文楽劇場での写真は、次の通り。
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