
高度な文化・文明国でありながら、日本には世界的な高水準の歌劇団がないために、毎年、引っ切り無しに世界中の素晴らしいオペラ劇場からの引越し公演が行われている。
METやウィーン、スカラ座、ロイヤルと言ったトップクラスの公演でも、時には、地元でもないほどの豪華キャストでオペラが公演されることがあるが、とにかく、日本、それも東京の音楽市場は凄い。
尤も、国際水準の素晴らしいオペラを鑑賞出来るととしても、地元の2~3倍の価格で、一枚5万円をオーバーするチケット代金が適切かどうかは別問題である。
ところが、あまりにも多くの世界的歌劇団が来るので、一寸知名度が落ちると一挙にぐんと人気が落ちるが、今回のフィレンツェ歌劇場など歴史と伝統から言っても超一流でありながら、やはりそんなきらいがあって空席があった。
ミラノ・スカラ座もそうだが、イタリアの劇場では、METやウィーンのように殆ど毎日公演があるのと違って、公演回数が少なくて、このフィレンツェの劇場にも何回か行ったが公演日が外れて鑑賞の機会がなかった。
ところで、歌劇場の差であるが、トップクラスのソリストや指揮者などは渡り歩いているので何処も共通と考えて良く、それに、オーケストラや合唱団、バレー団なども殆ど遜色がないので、一番の違いは、歌劇場そのもの、そしてトータルに醸し出す雰囲気であり、その地の劇場を訪れてその環境の中にどっぷりと浸かってオペラを楽しむ醍醐味は格別である。
このファルスタッフは、シェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房達」を底本にして「ヘンリー四世」を加味してボーイトが台本を書いたのだが、確かに、導入部をヘンリー四世のファルスタッフで整理脚色して、それに、全般を非常にすっきりした形にしている。
オテロやマクベスと言った前作のオペラほどシェイクスピアの原作をそのまま踏襲せずに台詞を大分変えているが、3幕構成で、各々前半はファルスタッフの寄宿先ガーター亭でファルスタッフ中心、後半は、フォード家や森などで多くの登場人物が出てくる重唱や合唱のアンサンブル形式で中々上手く作られている。
今回の「ファルスタッフ」は、シェイクスピアとオペラを同時に鑑賞できるのであるから、私にとっては二重の楽しみであった。
それに、ズビン・メータ指揮で、ルッジェロ・ライモンディのファルスタッフ、それに、バルバラ・フリットリのフォード夫人アリーチェ、ステファニア・ボンファデッリのナンネッタ等など願ってもない配役陣であるから、喜び勇んで東京文化会館に出かけていった。
私の観て聴いているライモンディは、トスカのスカラピオで代表されるような重厚で強烈な性格や個性を押し出した役作りの印象が強いので、今回のようなファルスタッフが向くのかと思っていたが、相変わらず艶のある朗々とした美声で意外に面白かった。
あの悪漢面の個性的な顔に紅を差して、大きな太鼓腹をしたライモンディ・ファルスタッフは、老いぼれと言うよりはまだ元気で悪知恵の働く元気溌剌の好色漢、フォード邸でアリーチェを押し倒して挑みかかり、邪魔が入ると慌ててマフラーで前を押さえながら右往左往して逃げ回る芸の細かさも見せる。
フリットリのアリーチェだが、歌の上手さは抜群であり、その上に品があって実に優雅でコケテッシュ。何回か、RSCやオペラで他のフォード夫人を見ているが、これほどぴったりした役者は少ない。
面白かったのは、カーテンが下りる瞬間、ファルスタッフに抱きついて、それを慌てて止める主人・フォードを大きく手を前にあげて静止する姿。
ズビン・メータの指揮は、ロイヤル・オペラのカルメンなどのオペラやニューヨークフィルやロンドン響のコンサートなどで何度か聴いているが、相変わらず精力的で素晴らしい。
しかし、正直なところ、良い気持ちでオペラを楽しんでいたので、メータを感じたのは最初と最後だけ。
ボンファデッリを始め、他の歌手も素晴らしかったし、オーケストラも良く歌ていた。
随分前に、ウィーン国立歌劇場で、このファルスタッフを観たのだが、何故か覚えているのは、コミカルなビルギッテ・ファスベンダーのクイックリー夫人だけで、ロイヤル・オペラの舞台は全く忘れてしまって記憶がない。
私が最初に観た本格的なシェイクスピア戯曲は、ロンドンでRSCの「ヘンリー四世」で、この時のファルスタッフの強烈な印象がいまだに尾を引いている。
怪しげなロンドンの下町で、家来として仕えハル王子にあらん限りの悪行を教え込む太鼓腹の放蕩無頼の巨漢がファルスタッフで、ハル王子がヘンリー五世になると即座にお払い箱となって野に下る、そんな無頼漢である。
生きる為の知恵は十分持ち合わせてはいるが、至って無責任で貴方任せ、とにかく、節操などと言う美徳など元より縁のない男だが、イギリスで一番愛されている人物である。
伝説のようだがエリザベス女王が「ヘンリー四世」を見てファルスタッフを痛く気に入って、シェイクスピアに「ファルスタッフを主人公にした恋の物語を書くように」と注文したのでこの戯曲が生まれたとされているが、嘘か本当か、何れにしろ女王の面前で女王を喜ばす為に何度も上演されたという記録が残っている。
このファルスタッフの舞台だが、何となくモーツアルトの「フィガロの結婚」に似ていて、最後は、森の中で、善意の悪者のファルスタッフや伯爵が罰せられて謝って、最後は皆目出度し目出度しでハッピーエンドとなる。
この舞台の演出は、イタリア演劇界で偉才を放つルカ・ロンコーリで、今年のフィレンツェ五月音楽祭の舞台をそのまま持ち込んだと言うが、実に美しくて、最後の、秋の夜の豊かな森の雰囲気など息を呑むように感動的である。
フィナーレで幕が下りて、拍手で再び幕が開くと、出演者全員が、最後の瞬間のストップモーションで凍りついたように動かない、一幅の豪華な絵のように美しい空間が観客を魅了する。
登場人物の色彩豊かな美しい衣装はフェラガモだと言うが、流石にファッション、芸術の国イタリアであり、舞台セットとマッチして素晴らしい雰囲気を醸し出している。
美しいヴェルディ節で鏤められた他のオペラと違って特に美しく秀でたアリアがあるわけではないこの3時間のオペラに聴衆を釘つけにして熱狂させるのも、演出の素晴らしさのなせる技であろう。
老境に入って最後に作曲した始めてのコミック・オペラ、「世の中は皆冗談だ。人間は皆道化師だ。」と言ってベルディはこのファルスタッフの幕を閉じた。
人生は劇場、人間は出ては消えて行く役者にすぎないと言ったシェイクスピアと同じ心境で、人生を無頼漢の騎士ファルスタッフに託して笑い飛ばしながら、ヴェルディは逝ったのかも知れない。
METやウィーン、スカラ座、ロイヤルと言ったトップクラスの公演でも、時には、地元でもないほどの豪華キャストでオペラが公演されることがあるが、とにかく、日本、それも東京の音楽市場は凄い。
尤も、国際水準の素晴らしいオペラを鑑賞出来るととしても、地元の2~3倍の価格で、一枚5万円をオーバーするチケット代金が適切かどうかは別問題である。
ところが、あまりにも多くの世界的歌劇団が来るので、一寸知名度が落ちると一挙にぐんと人気が落ちるが、今回のフィレンツェ歌劇場など歴史と伝統から言っても超一流でありながら、やはりそんなきらいがあって空席があった。
ミラノ・スカラ座もそうだが、イタリアの劇場では、METやウィーンのように殆ど毎日公演があるのと違って、公演回数が少なくて、このフィレンツェの劇場にも何回か行ったが公演日が外れて鑑賞の機会がなかった。
ところで、歌劇場の差であるが、トップクラスのソリストや指揮者などは渡り歩いているので何処も共通と考えて良く、それに、オーケストラや合唱団、バレー団なども殆ど遜色がないので、一番の違いは、歌劇場そのもの、そしてトータルに醸し出す雰囲気であり、その地の劇場を訪れてその環境の中にどっぷりと浸かってオペラを楽しむ醍醐味は格別である。
このファルスタッフは、シェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房達」を底本にして「ヘンリー四世」を加味してボーイトが台本を書いたのだが、確かに、導入部をヘンリー四世のファルスタッフで整理脚色して、それに、全般を非常にすっきりした形にしている。
オテロやマクベスと言った前作のオペラほどシェイクスピアの原作をそのまま踏襲せずに台詞を大分変えているが、3幕構成で、各々前半はファルスタッフの寄宿先ガーター亭でファルスタッフ中心、後半は、フォード家や森などで多くの登場人物が出てくる重唱や合唱のアンサンブル形式で中々上手く作られている。
今回の「ファルスタッフ」は、シェイクスピアとオペラを同時に鑑賞できるのであるから、私にとっては二重の楽しみであった。
それに、ズビン・メータ指揮で、ルッジェロ・ライモンディのファルスタッフ、それに、バルバラ・フリットリのフォード夫人アリーチェ、ステファニア・ボンファデッリのナンネッタ等など願ってもない配役陣であるから、喜び勇んで東京文化会館に出かけていった。
私の観て聴いているライモンディは、トスカのスカラピオで代表されるような重厚で強烈な性格や個性を押し出した役作りの印象が強いので、今回のようなファルスタッフが向くのかと思っていたが、相変わらず艶のある朗々とした美声で意外に面白かった。
あの悪漢面の個性的な顔に紅を差して、大きな太鼓腹をしたライモンディ・ファルスタッフは、老いぼれと言うよりはまだ元気で悪知恵の働く元気溌剌の好色漢、フォード邸でアリーチェを押し倒して挑みかかり、邪魔が入ると慌ててマフラーで前を押さえながら右往左往して逃げ回る芸の細かさも見せる。
フリットリのアリーチェだが、歌の上手さは抜群であり、その上に品があって実に優雅でコケテッシュ。何回か、RSCやオペラで他のフォード夫人を見ているが、これほどぴったりした役者は少ない。
面白かったのは、カーテンが下りる瞬間、ファルスタッフに抱きついて、それを慌てて止める主人・フォードを大きく手を前にあげて静止する姿。
ズビン・メータの指揮は、ロイヤル・オペラのカルメンなどのオペラやニューヨークフィルやロンドン響のコンサートなどで何度か聴いているが、相変わらず精力的で素晴らしい。
しかし、正直なところ、良い気持ちでオペラを楽しんでいたので、メータを感じたのは最初と最後だけ。
ボンファデッリを始め、他の歌手も素晴らしかったし、オーケストラも良く歌ていた。
随分前に、ウィーン国立歌劇場で、このファルスタッフを観たのだが、何故か覚えているのは、コミカルなビルギッテ・ファスベンダーのクイックリー夫人だけで、ロイヤル・オペラの舞台は全く忘れてしまって記憶がない。
私が最初に観た本格的なシェイクスピア戯曲は、ロンドンでRSCの「ヘンリー四世」で、この時のファルスタッフの強烈な印象がいまだに尾を引いている。
怪しげなロンドンの下町で、家来として仕えハル王子にあらん限りの悪行を教え込む太鼓腹の放蕩無頼の巨漢がファルスタッフで、ハル王子がヘンリー五世になると即座にお払い箱となって野に下る、そんな無頼漢である。
生きる為の知恵は十分持ち合わせてはいるが、至って無責任で貴方任せ、とにかく、節操などと言う美徳など元より縁のない男だが、イギリスで一番愛されている人物である。
伝説のようだがエリザベス女王が「ヘンリー四世」を見てファルスタッフを痛く気に入って、シェイクスピアに「ファルスタッフを主人公にした恋の物語を書くように」と注文したのでこの戯曲が生まれたとされているが、嘘か本当か、何れにしろ女王の面前で女王を喜ばす為に何度も上演されたという記録が残っている。
このファルスタッフの舞台だが、何となくモーツアルトの「フィガロの結婚」に似ていて、最後は、森の中で、善意の悪者のファルスタッフや伯爵が罰せられて謝って、最後は皆目出度し目出度しでハッピーエンドとなる。
この舞台の演出は、イタリア演劇界で偉才を放つルカ・ロンコーリで、今年のフィレンツェ五月音楽祭の舞台をそのまま持ち込んだと言うが、実に美しくて、最後の、秋の夜の豊かな森の雰囲気など息を呑むように感動的である。
フィナーレで幕が下りて、拍手で再び幕が開くと、出演者全員が、最後の瞬間のストップモーションで凍りついたように動かない、一幅の豪華な絵のように美しい空間が観客を魅了する。
登場人物の色彩豊かな美しい衣装はフェラガモだと言うが、流石にファッション、芸術の国イタリアであり、舞台セットとマッチして素晴らしい雰囲気を醸し出している。
美しいヴェルディ節で鏤められた他のオペラと違って特に美しく秀でたアリアがあるわけではないこの3時間のオペラに聴衆を釘つけにして熱狂させるのも、演出の素晴らしさのなせる技であろう。
老境に入って最後に作曲した始めてのコミック・オペラ、「世の中は皆冗談だ。人間は皆道化師だ。」と言ってベルディはこのファルスタッフの幕を閉じた。
人生は劇場、人間は出ては消えて行く役者にすぎないと言ったシェイクスピアと同じ心境で、人生を無頼漢の騎士ファルスタッフに託して笑い飛ばしながら、ヴェルディは逝ったのかも知れない。