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あおもり産業立地フェアで、東大藤本隆宏教授が、「現場発 ものづくり戦略と言うタイトルで、不況下でも勝ち抜いて行ける企業のあり方から、地方の産業立地まで、ものづくり戦略を語った。
現下の大不況下で、ものづくり企業は、受注半減と言った大恐慌状態に落ちって居るが、その間に、右往左往している企業と、能力構築に努めている企業と、如何に格差が拡大しているかから話を始めた。
基本には、藤本教授の理論の根底にある「良い設計・良い流れ」を如何に確保すべきか、その戦略如何によって企業の帰趨が決するのであるが、まず、水島の三菱自動車のケースで、事業再拡張時に、以前の技術者たちの60~70%が出戻って来た例をあげて、現場力と技術の維持継承が、企業の健全性にとって非常に大切であることを強調した。
右往左往した企業で、十分に準備をせずに、コストが安いという事で中国に進出し、日本には何も残さずに、生産も設計も、虎の子のコア技術の総てを持ち出して、失敗して帰ってきた時には、日本国内には何も残っていなかったと言う例を紹介し、日本国内に何を残して何を外国に持って行くのか、正しい戦略を打つべしと言う。
多国籍企業の立地戦略で、二つの過ちを犯すことがある。一つは、日本に残ることの出来ない現場を残す過ちで、もう一つは、日本に本来残ることが出来たであろう現場を海外に移してしまう過ちだと言うのである。
特に、後者の例で、企業の命とも言うべき大切なものづくり技術の国内での維持継承努力を怠って、自らの命運を傾けた企業が多いと指摘する。
藤本教授たちが発表している「中国への国際展開の再考―東北地域の事例を通じて―」の中で、
従来、「開発は日本、生産は中国」と言った機械的な立地選択が一般的だが、例えば、大連などのように、日本語も得意で、賃金が相対的に安くてロイヤリティが高くて同一企業でスキルを磨いてくれるような有能な人材が多く居る地域では、組み込みソフトによって製品の機能や性能の多くを作り込んでいく場合には、組み込みソフトのみならず、ハードの開発も一緒にやるのが有効であり、時には危険でも、「設計は中国、生産は日本」と言う逆転現象だって考えられると言っている。
話さなかったが、配布されたレジメには、「日本に残るべき工場」は、高品質を大前提として、
1.比較優位を持ち世界で勝負できる高生産性工場
2.国内需要に敏感・迅速に応える高感度工場
3.国内の設計優位を支える開発工場 だと記している。
日本に、良い現場を残せるかどうか、この大不況期の今こそ、正念場であり、「開かれたものづくり」への回帰を志向するとともに、現場を鍛え「設計立国」を目指すべきだと説く。
この分野において国際競争力を維持・強化して行くためには、あらゆる努力を傾注して、最先端の技術を開発し知識を蓄積して行くことが必須であると言うことであろう。
この講演は、青森県の企業誘致フェアでのものなので、藤本教授は、後半で、地域間競争の時代だとして、地方の産業立地戦略についても語った。
米沢の例を引いて、産業クラスターをリードする尊敬されるキーパーソン、NECなど意欲的なコア企業、山形大学工学部の存在や産官学のフレンドリーな協調体制など、地域に「良い設計・良い流れ」への環境が存在していて、この「仲の良い地域」システムが、地域の産業立地と発展に貢献する条件だと説明していた。
最後に、何よりも大切なのは人なので、藤本教授が育成に努力をしているシニアの「ものづくりインストラクター」の活用など、ものづくりの好循環をつくりだすなど、ものづくり・ひとづくり・イノベーションの連携による産官学連携を推進した地域の活性化が大切だと締め括った。
アメリカの製造業の国際競争力は、ものづくりのアウトソーシング化の進展によって、コア技術が殆ど海外に流出し、ものづくり技術が空洞化してしまって、アメリカのものづくりの将来にとって由々しき問題だと言う指摘は、MITチームによる「グローバル企業の成功戦略」で、スザンヌ・バーガーが説くところで、日本にとって、正に他山の石だが、日本には、幸いかな、臆病なほど、ものづくりの本丸の大勢は日本に残っている。
藤本教授は、日本のものづくりは、多能工の協働で「統合型ものづくり能力」と「摺り合せ型アーキテクチャ」の製品に強みがあると言う理論展開だが、摺り合せインテグラル製品の最たる自動車だが、エレクトロニクスと半導体の塊へ変質して行くにつれて、急速にモジュラー化が進展し、更に、ものづくりの世界が、急速にオープンソース・ビジネス化しているなど、日本のものづくりを取り巻く環境が急速に変化を遂げてきている。
ある意味では、曲がり角に差し掛かっている日本のものづくりにも、パラダイム・シフトの波が押し寄せてきているのではないかと言う気がしている。
もう一つの懸念は、藤本教授のものづくり論は、日本と外国と言う線が引かれた国境のある理論で、グローバルベースに視点を移すとどうなるのか、多少、気になっている。
現下の大不況下で、ものづくり企業は、受注半減と言った大恐慌状態に落ちって居るが、その間に、右往左往している企業と、能力構築に努めている企業と、如何に格差が拡大しているかから話を始めた。
基本には、藤本教授の理論の根底にある「良い設計・良い流れ」を如何に確保すべきか、その戦略如何によって企業の帰趨が決するのであるが、まず、水島の三菱自動車のケースで、事業再拡張時に、以前の技術者たちの60~70%が出戻って来た例をあげて、現場力と技術の維持継承が、企業の健全性にとって非常に大切であることを強調した。
右往左往した企業で、十分に準備をせずに、コストが安いという事で中国に進出し、日本には何も残さずに、生産も設計も、虎の子のコア技術の総てを持ち出して、失敗して帰ってきた時には、日本国内には何も残っていなかったと言う例を紹介し、日本国内に何を残して何を外国に持って行くのか、正しい戦略を打つべしと言う。
多国籍企業の立地戦略で、二つの過ちを犯すことがある。一つは、日本に残ることの出来ない現場を残す過ちで、もう一つは、日本に本来残ることが出来たであろう現場を海外に移してしまう過ちだと言うのである。
特に、後者の例で、企業の命とも言うべき大切なものづくり技術の国内での維持継承努力を怠って、自らの命運を傾けた企業が多いと指摘する。
藤本教授たちが発表している「中国への国際展開の再考―東北地域の事例を通じて―」の中で、
従来、「開発は日本、生産は中国」と言った機械的な立地選択が一般的だが、例えば、大連などのように、日本語も得意で、賃金が相対的に安くてロイヤリティが高くて同一企業でスキルを磨いてくれるような有能な人材が多く居る地域では、組み込みソフトによって製品の機能や性能の多くを作り込んでいく場合には、組み込みソフトのみならず、ハードの開発も一緒にやるのが有効であり、時には危険でも、「設計は中国、生産は日本」と言う逆転現象だって考えられると言っている。
話さなかったが、配布されたレジメには、「日本に残るべき工場」は、高品質を大前提として、
1.比較優位を持ち世界で勝負できる高生産性工場
2.国内需要に敏感・迅速に応える高感度工場
3.国内の設計優位を支える開発工場 だと記している。
日本に、良い現場を残せるかどうか、この大不況期の今こそ、正念場であり、「開かれたものづくり」への回帰を志向するとともに、現場を鍛え「設計立国」を目指すべきだと説く。
この分野において国際競争力を維持・強化して行くためには、あらゆる努力を傾注して、最先端の技術を開発し知識を蓄積して行くことが必須であると言うことであろう。
この講演は、青森県の企業誘致フェアでのものなので、藤本教授は、後半で、地域間競争の時代だとして、地方の産業立地戦略についても語った。
米沢の例を引いて、産業クラスターをリードする尊敬されるキーパーソン、NECなど意欲的なコア企業、山形大学工学部の存在や産官学のフレンドリーな協調体制など、地域に「良い設計・良い流れ」への環境が存在していて、この「仲の良い地域」システムが、地域の産業立地と発展に貢献する条件だと説明していた。
最後に、何よりも大切なのは人なので、藤本教授が育成に努力をしているシニアの「ものづくりインストラクター」の活用など、ものづくりの好循環をつくりだすなど、ものづくり・ひとづくり・イノベーションの連携による産官学連携を推進した地域の活性化が大切だと締め括った。
アメリカの製造業の国際競争力は、ものづくりのアウトソーシング化の進展によって、コア技術が殆ど海外に流出し、ものづくり技術が空洞化してしまって、アメリカのものづくりの将来にとって由々しき問題だと言う指摘は、MITチームによる「グローバル企業の成功戦略」で、スザンヌ・バーガーが説くところで、日本にとって、正に他山の石だが、日本には、幸いかな、臆病なほど、ものづくりの本丸の大勢は日本に残っている。
藤本教授は、日本のものづくりは、多能工の協働で「統合型ものづくり能力」と「摺り合せ型アーキテクチャ」の製品に強みがあると言う理論展開だが、摺り合せインテグラル製品の最たる自動車だが、エレクトロニクスと半導体の塊へ変質して行くにつれて、急速にモジュラー化が進展し、更に、ものづくりの世界が、急速にオープンソース・ビジネス化しているなど、日本のものづくりを取り巻く環境が急速に変化を遂げてきている。
ある意味では、曲がり角に差し掛かっている日本のものづくりにも、パラダイム・シフトの波が押し寄せてきているのではないかと言う気がしている。
もう一つの懸念は、藤本教授のものづくり論は、日本と外国と言う線が引かれた国境のある理論で、グローバルベースに視点を移すとどうなるのか、多少、気になっている。