
本日、早稲田大学の井深大記念ホールで「早稲田大学先端科学・健康医療融合研究機構」主催の『早稲田の挑戦と「大学力」』と言うシンポジュームが開催された。
医学部を持たない早稲田大学が、先端科学と健康医療を融合して最先端の生命科学を追及しようと革新的なプロジェクトを推進しているのだが、そのシンポジュームで、同機構の機構長でもある早稲田大学白井克彦総長の著書「大学力」を正面に据えて早稲田大学のあり方を検討するシンポジュームの第二部では、白井総長他田原総一朗氏等が参加したが、その前に、中村修二教授の特別講演があった。
中村教授の講演は、演題なしのユニークな講演であったが、教授自身の青色ダイオード発見に絡む経験を中心にサンタバーバラでの学究生活や会社との訴訟問題で経験した日米の教育や司法制度の違い等について興味深い話を1時間に渡って語った。
冒頭から日米の大学の在り方の差について語り始めた。
「日本では刑務所行きだが、アメリカでは、賄賂を貰う先生ほど優秀なのである。
金儲けがインセンティブになっていて、優秀な先生方は、2つや3つのベンチャーをやっており、良く出来る学生は、間違いなしにベンチャー企業を目指している。
大学の研究も産官協働が多く、学生達は、その中で、ベンチャー事業のあり方を学んで巣立ってゆく。
日本では、いまだに学生は大企業に就職して永遠のサラリーマンを目指している。」
「日本では、技術系の社員が業績を上げると役が付くが、昇進によるマネジメントは文科系の仕事で、技術系は、そんな仕事はしたくなく研究を続けたいのである。
青色ダイオードを発見した後、研究所の所長にと言われたが、ハンコを押すだけの仕事でバカになるので会社を辞めた。
アメリカでは、社員の評価はお金であるが、日本では、皆一緒で、何のインセンティブもなかった。
あの時、100万円でも貰っておれば辞めなかったかも知れない。」
「諸悪の根源は、日本の入試制度で、これがガンであり、これをやめない限り日本の明日はない。
日本でも、小学生の頃は、子供は理科が好きで、嬉々として野山でバッタやイナゴを追っかけているが、中学、高校と進むにつれて、入学試験の為に夢も希望も失ってしまう。
アメリカでは、小学校の時に化学が好きなら、ずっと化学をやっていて、好きなことだけやれるので完全にストレスフリーで子供たちは嬉々としており、皆、自分がその道でNO.1だと思っている。
小学生で、半導体レーダーの研究をしている子供が居て、あらゆる最新の論文を読むなど研究を続けている。
全く役に立たないナンセンスな、丸暗記だけの超ウルトラ難関クイズに、うつつを抜かしていては、これ等に勝てるわけがない。」
「大学入学試験を止めて、自由に大学に入れるようにすればよい。
東大医学部に入りたい人間が何十万人居るかもしれないし、授業を受ける為にテントを張って何日も前から席を確保する為に待機するかも知れない。
難しい試験をしてダメな者は落とせば良い。自然に身の程を知って止めて行き落着く筈である。」
中村教授の議論は、極論のように聞こえるが、イノベーションを産む為の土壌について端的に語っている。
このブログでも以前に、日本の教育制度の問題についてまとめて書いたことがあるが、戦後の民主教育(?)が、日教組なのか文部省なのか知らないが、子供の個性や独創性等を自由に伸ばすことの出来ない悪平等型であったことは間違いないと思う。子供のかけっこで、皆が1等などと言う世界は、有り得ない筈なのである。
田原総一朗氏の「世界の科学者に伍して何故青色ダイオードを発見できたのか」との質問に対して、中村教授は、「世界の大勢は総て同じA方向を向いて研究を続けていたが、自分は別なB方向の研究を目指したからだ」と答えた。
当時日本の大企業は、東大の博士号を持った多くの研究者が居て、「押してダメなら引いてみろ」と言う極簡単な発想さえ出来ない、或いは、許されない閉塞状態にあったのだと言う。
先日触れたメディチ効果のヨハンソンなど、もっと過激なことを言っているが、イノベーションとは、極論すると、過去の全否定、完全に新しい革新的なモノでなければならないのである。
シュンペーターの創造的破壊も、過去を完全に破壊して創造しなければならないことを言っている。
簡単に企業の成長の為には、差別化を推進して利潤を得る為にはイノベーションの追求が必須だと言うが、そんなイノベイティブな発想とアイデアを持った優秀な人材をどうして確保するのか。
泥棒を捕まえて縄綯い・・・まず、日本の教育制度を、創造性と豊かな個性を育める様な、もっと自由な、そして、競争原理を導入して切磋琢磨できるようなモノに変革することが必要ではないであろうか。
(追)訴訟については、正義と悪のアメリカと、利益衡量の日本についての面白い話を聞いたが、中村修二著「ごめん」を読んでからコメントしたい。
医学部を持たない早稲田大学が、先端科学と健康医療を融合して最先端の生命科学を追及しようと革新的なプロジェクトを推進しているのだが、そのシンポジュームで、同機構の機構長でもある早稲田大学白井克彦総長の著書「大学力」を正面に据えて早稲田大学のあり方を検討するシンポジュームの第二部では、白井総長他田原総一朗氏等が参加したが、その前に、中村修二教授の特別講演があった。
中村教授の講演は、演題なしのユニークな講演であったが、教授自身の青色ダイオード発見に絡む経験を中心にサンタバーバラでの学究生活や会社との訴訟問題で経験した日米の教育や司法制度の違い等について興味深い話を1時間に渡って語った。
冒頭から日米の大学の在り方の差について語り始めた。
「日本では刑務所行きだが、アメリカでは、賄賂を貰う先生ほど優秀なのである。
金儲けがインセンティブになっていて、優秀な先生方は、2つや3つのベンチャーをやっており、良く出来る学生は、間違いなしにベンチャー企業を目指している。
大学の研究も産官協働が多く、学生達は、その中で、ベンチャー事業のあり方を学んで巣立ってゆく。
日本では、いまだに学生は大企業に就職して永遠のサラリーマンを目指している。」
「日本では、技術系の社員が業績を上げると役が付くが、昇進によるマネジメントは文科系の仕事で、技術系は、そんな仕事はしたくなく研究を続けたいのである。
青色ダイオードを発見した後、研究所の所長にと言われたが、ハンコを押すだけの仕事でバカになるので会社を辞めた。
アメリカでは、社員の評価はお金であるが、日本では、皆一緒で、何のインセンティブもなかった。
あの時、100万円でも貰っておれば辞めなかったかも知れない。」
「諸悪の根源は、日本の入試制度で、これがガンであり、これをやめない限り日本の明日はない。
日本でも、小学生の頃は、子供は理科が好きで、嬉々として野山でバッタやイナゴを追っかけているが、中学、高校と進むにつれて、入学試験の為に夢も希望も失ってしまう。
アメリカでは、小学校の時に化学が好きなら、ずっと化学をやっていて、好きなことだけやれるので完全にストレスフリーで子供たちは嬉々としており、皆、自分がその道でNO.1だと思っている。
小学生で、半導体レーダーの研究をしている子供が居て、あらゆる最新の論文を読むなど研究を続けている。
全く役に立たないナンセンスな、丸暗記だけの超ウルトラ難関クイズに、うつつを抜かしていては、これ等に勝てるわけがない。」
「大学入学試験を止めて、自由に大学に入れるようにすればよい。
東大医学部に入りたい人間が何十万人居るかもしれないし、授業を受ける為にテントを張って何日も前から席を確保する為に待機するかも知れない。
難しい試験をしてダメな者は落とせば良い。自然に身の程を知って止めて行き落着く筈である。」
中村教授の議論は、極論のように聞こえるが、イノベーションを産む為の土壌について端的に語っている。
このブログでも以前に、日本の教育制度の問題についてまとめて書いたことがあるが、戦後の民主教育(?)が、日教組なのか文部省なのか知らないが、子供の個性や独創性等を自由に伸ばすことの出来ない悪平等型であったことは間違いないと思う。子供のかけっこで、皆が1等などと言う世界は、有り得ない筈なのである。
田原総一朗氏の「世界の科学者に伍して何故青色ダイオードを発見できたのか」との質問に対して、中村教授は、「世界の大勢は総て同じA方向を向いて研究を続けていたが、自分は別なB方向の研究を目指したからだ」と答えた。
当時日本の大企業は、東大の博士号を持った多くの研究者が居て、「押してダメなら引いてみろ」と言う極簡単な発想さえ出来ない、或いは、許されない閉塞状態にあったのだと言う。
先日触れたメディチ効果のヨハンソンなど、もっと過激なことを言っているが、イノベーションとは、極論すると、過去の全否定、完全に新しい革新的なモノでなければならないのである。
シュンペーターの創造的破壊も、過去を完全に破壊して創造しなければならないことを言っている。
簡単に企業の成長の為には、差別化を推進して利潤を得る為にはイノベーションの追求が必須だと言うが、そんなイノベイティブな発想とアイデアを持った優秀な人材をどうして確保するのか。
泥棒を捕まえて縄綯い・・・まず、日本の教育制度を、創造性と豊かな個性を育める様な、もっと自由な、そして、競争原理を導入して切磋琢磨できるようなモノに変革することが必要ではないであろうか。
(追)訴訟については、正義と悪のアメリカと、利益衡量の日本についての面白い話を聞いたが、中村修二著「ごめん」を読んでからコメントしたい。