熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

澤上篤人著「運用立国で日本は大繁栄する」

2012年01月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   澤上篤人氏の講演は、何度か聞いているのだが、俗に言うグラフや数字ばかりに拘る株や外為などのテクニカル分析とは縁の遠い、極めて単純明快なアナログ的株式投資指南なので、面白いし納得が行くことが多い。
   安いところで買って、高くなったら売って行く。優良企業株を選定して「バイ&ホールド」で長期保有。経済の現場に資金を投入することで、不況時や市場暴落時にこそ長期資金を提供して、企業活動をバックアップ。
   この本も、要するに、1490兆円もある個人金融資産の内1000兆円は預貯金や生命保険に眠っているので、これを活性化するために、長期投資を主体とした「国民ファンド」を立ち上げて、日本経済の大繁栄を目指せと言うものである。
   ガルブレイスも、亡くなる寸前に、この眠っている1400兆円の個人金融資産を活用すれば日本の経済を復興再生できると提言していたのだが、不甲斐なくも、国も金融業界もその才覚がなく、日本経済は鳴かず飛ばずのまま、今日に至っている。

   さて、澤上説だが、預貯金に眠る個人マネーだけでも775兆円だが、現在では、そのリターンが3年定期で0.55%だと年間4.3兆円にしかならないが、これを年5%で回ると38.7兆円となり、その半分を消費に回すだけでも、GDPを3.8%の押し上げ効果がある。12年とか14年で2倍になれば良いと考えれば、10年くらいの時間軸で本格的な長期運用に取り組めば、年にならして5%や6%の運用成績は不可能ではない、と言うのである。

   「日本は金融立国を目指すべし」と言う説には真っ向から反対する。
   東京を金融センターにするためには、ともあれ諸制度を撤廃し、自由放任に近いビジネス環境を整えて、参加者がそれぞれ優勝劣敗・適者生存の自助意識に任せてしまう必要があり、税制度も、累進課税のフラット化と所得税率の大幅低減するなどしなければならないのだが、そのための長期視野に立った国家戦略さえなく、大蔵省による手厚い保護行政で箱庭的に育成されて来たオーバーバンキングの日本の金融界にとっては、黒船来襲に対抗できる能力などさらさらなく、無理だと言う。
   実際にやれば、日本の金融機関の大半は、世界の金融ビジネスで百戦錬磨の連中の下請け的存在になるのがやっとだとも言う。

   アングロ・サクソン流の金融ビジネスが如何に凄まじいかの一例として面白いのは、
   フランク パートノイが、「大破局(フィアスコ)―デリバティブという「怪物」にカモられる日本」と言う本で、モルガン・スタンレーにヘッドハントされ、デリバティブ商品の開発と海外へのセールスに携わり、少数の専門家にしか仕組みがわからない複雑な怪物金融商品を開発して騙して売りまくり、日本でデリバティブによる巨額の損失が続々出たにも拘わらず、更に、大損をして必死になった客をさらに食い物にして暴利を貪って来た モルガンの悪辣極まりないビジネス手法を暴露していたが、これが、狩猟民族アングロ・サクソンの典型的な金融手法の一例。
   破産寸前に至っても起死回生して今尚トップ金融機関であるシティの日本法人が、性懲りもなく、何度も、金融庁の警告を受け続けているのを見ても、そのビジネス感覚の差が良く分かる。

   ところで、前述したように、日本には、1000兆円と言う個人の預貯金と生命保険で金融資産が眠っており、これは、世界の政府系ファンドの3倍と言う途方もない額だと言う。
   「貯蓄から投資へ」と言うのなら、やみくもに外貨投資や海外運用に走るのは危険で、これらの眠れる資金を解凍して、世界中の国々の経済発展やインフラ整備などに向けて、長期スタンスの資本提供を大々的に展開するべきで、それも、国内資金のグローバル活用にとどまらず、世界中から日本へ資金調達に集まってくる流れを太くして行く方法を考える。
   日本を「世界最大の運用市場」に育て上げれば、国内のみならず、世界中から投資運用資金が集まり、外国企業の資金ニーズは、東京株式市場への上場で引き受けられる。
   日本の資本市場を経由して世界に供給する長期資金はすべて円ベースで行うこととして、円の国際化も進むので、これこそ、世界最大の債権国日本の堂々たる「運用立国」「世界の運用センター」構想だと言うのである。

   もう一つ運用立国として、日本経済を活性化する方法は、日本株市場を活性化する戦略だと言う。
   日本は世界に冠たる産業群を擁しており、世界経済の発展拡大に貢献して行くことで、日本企業のグローバル展開は前途洋洋である。代替エネルギーや工業原料、工業中間財、或いは、工業インフラや環境関連の分野で日本が供給基地となる可能性が高い。条件はすべてそろっていると言うのである。

   具体的に提案する「国民ファンド」構想だが、非常にフェアだし、実現すれば面白い。
   国とか郵便局とか信用力の高いところが「国民ファンド」を設定する。
   国民ファンドは、公募投信で、ファンド資産は信託銀行が信託財産として受託管理。
   国民ファンドの運用は、完全オープン・ベースで正々堂々の競争運用。ファンド・スタート時は、各社均等額だが、その後は累積運用実績に応じて追加割り当て(ファンド・オブ・ファンズ)。
   運用コンペは、日本株式市場に上場の現物株投資に限定。完全オープン運用コンペが、個人マネーに恰好の株式投資モデルを提供。
   身近な銀行や郵便局窓口で直販(証券代行手数料収入)。販売手数料ゼロで、信託報酬は1%かそれ以下(現行の投信ビジネスは、平均2%強の販売手数料と1.5%の信託報酬を徴取しているので、駆逐されよう)。

   私は、現物株を僅かだがネットでやっている程度なので、投信については良く分からないが、澤上氏も紹介しているが、ジョン・ボーグルが、「米国はどこで道を誤ったか」で、米国経済が、オーナー(株主や投資家)からマネージャー(企業経営陣やウォール街の人物や運用会社)が利益を貪る構造に変質してしまったとして、金融仲介機関が、どれほど投資家から多くの利益を「ピンはね」「巻き上げ」ているかを数字で示している。
   この利益中抜き構造は、日本の場合にも当て嵌まると言うことだが、直販グループがコストを徹底的に下げた、このような澤上提案の本格派の長期保有投信が、日本にも少しずつ生まれて来ていると言うから興味深い。

   最近は殆ど行かなくなったが、証券会社や色々な投資業務関連組織が、株式や金融関連の説明会やセミナーを開くと、結構沢山の聴衆が集まって熱心に聞いているのだが、実際のところ、この眠っている1000兆円の個人の金融資産が、どこへ行くべきか分からずに迷っていて、下手に足掻いてあっちこっちで、けがをしていると言うのが正直なところかも知れない。
   振り込め詐欺やおれおれ詐欺にだまされるのも、あるいは、有り得ないような投資話に乗って虎の子を巻き上げられる人が多いのも、行き先を失ったこの1000兆円の片割れかも知れないと思っているのだがどうであろうか。
   澤上提言の「国民ファンド」が立ち上がったとしても、それだけで、生きた実体経済である成熟段階に入ってしまった日本経済が大ブレイクするとは思えないが、一つの前向きの戦略ではある。
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