熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

田崎史郎著「政治家失格」

2009年08月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   愈々、天下分け目の総選挙だが、どちらが勝つにしろ、日本の将来は、あまり変わりそうにないような気がして仕方がない。
   日本の未来の道標について、ハッキリした理想像が、今回の選挙の争点から欠落しており、全く先が見えないからである。

   大阪の書店で暇つぶしをしていて、現在の政治について一寸勉強してみようと思って手に取ったのが、サブタイトルに「なぜ日本の政治はダメなのか」と書かれたこの田崎史郎著「政治家失格」である。
   読んでみて最初に思ったのは、政治家列伝と言った感じで、権謀術数を弄する魑魅魍魎の政治世界は活写されているのだが、世界平和、日本の発展、日本人の真の幸せと言った高邁な理想の実現のために、政治家たちが如何に戦って来たかと言った視点からの論述は全くなく、大上段に振りかぶれば、世界のため日本のためにいかに立派な政治家であったかと言う視点がないので、政治家失格と言うタイトル自体がボケていると言うことである。

   私にすれば、何を、総理大臣として国民に残したかと言う実績そのものが大切であって、政局をうまく乗り切ったとかと政治がうまかったとか言ったことなどはどうでも良いのである。
   従って、田崎が説く、「政治家にとって必要な6つの力」、すなわち、角栄の「風圧力」、竹下の「運用力」、金丸の「デザイン力」、梶山の「軍師力」、橋本や小渕の「操縦力」、小泉の「言葉力」が、政治家の資質を見極める際の「判断基準」となるとする考え方などは、必要条件の一部かも知れないが、全く、政治家そのものの値打ちとは一切関係がないと思っている。

   尤も、「三角大福中」に比べ、「安竹宮」は小粒になり、今の政治家は、竹下と比べても、もっと小粒になったとする考え方については、任期途中1年足らずで政権をホッポリ出す世襲総理が2人も出て来て、国民が愛想を尽かしているのに解散権行使に執着した総理が出るなど末期的症状を呈しているのであるから、これには異存はない。

   この本は、著者が述べているように、自身が見てきた30年の政治の総括であり自分史だと言うことなので、田中角栄から話が始まり、麻生太郎や小沢一郎に至る今日の政治の論述に主眼が置かれている。
   そして、政局主体の記述なので、例えば、経済政策がどのように日本の失われた20年(?)に陰を落としているのかとか、日米外交がグローバリゼーション下でどのように変化してきたかのと言った広義の政治については、全く、触れられていない。

   気になったのは、政治家の合従連衡、呉越同舟、同盟・だまし討ちなどと言ったことや、例えば、どの政治家が、誰をどのように操縦して法案を通したかなどと言ったような政局絡みのことばかりが政治記者の関心を引いて、政治ジャーナリズム関連の記事が書かれているとするのなら、恐ろしいことだと言うことである。
   政治が大切であればあるほど、高い視点からの政治報道が重要であると思う。
   昔、ニューズウイークのウォルター・リップマンのコラムを読んで感激したことがあり、アメリカにいた時には、先に逝ったウォルター・クロンカイトのCBSのイブニング・ニューズを毎夜見ていたが、やはり、質の高い政治報道に接したいといつも思っている。
      
   さて、田崎説に対する私の私論だが、「政治家は育てられるのか」と言うところで、松下政経塾に対して、政界を代表するような人物は今のところ見当たらないとして低く評価していることに同意出来ない。
   民主党の前原や野田を例に挙げて、政治家の真の能力は、重大な危機に直面したときや、重要な意思決定の場面で現れ、政治に必要な意識や能力は、その人間の天賦の才能、あるいは体験から生まれてくるものであって、どこかの機関で教育するものではないのではないかと言っているのだが、
   政治家としての高度な教育なり、高等教育機関での高い教育経験を経て蓄積した高度な知識教養や高邁な政治哲学や思想などは、政治家として、十分条件ではないにしても必要条件であり、日本の政治家が、この点で欧米の政治家と比べて、あまりにも遅れを取り過ぎていることこそ問題なのである。

   同じように、大前研一氏も「一新塾」でネクスト・リーダー育成教育に努めており、熊谷俊人千葉市長などもその出身だが、謂わば、これまでの政治家の多くが、高度な高等教育なり政治リーダー専門教育経験なり識見なしに、すなわち、ドライバーズライセンスなしに運転してきたことに、この本のサブタイトル「なぜ日本の政治はダメなのか」の一半の責任があるのである。

   ついでながら、派閥システムが政治家育成に良かったとする著者の考え方については、日本に典型的に存在したシステムで、これまでの経済人・ビジネスマン教育にも共通する、謂わば、戦後の日本固有のものだが、もう、時代はどんどん先に進んでいて、時代錯誤と言うか、そのようなシステムを許すような時代ではなくなっていると言うことを付け加えておきたい。
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