熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ダイムラー・ベンツの歴史の輝き・・・最高品質と安全技術の追求

2005年05月07日 | 経営・ビジネス
   S&Pが、GMとフォードの格付けを、ジャンク債並に下げたと経済界を騒がせている。
   手元に、学生時代に使ったA.P.スローンJr.の「GMとともに(My Years with General Moters)]があるが、「GMにとって良いことはアメリカにとって良い事だ」と豪語した社長も居たが、正に、今昔の感である。

   さて、御堀直嗣氏の著書「メルセデスの魂」を読んでドイツの自動車の卓越性を改めて感じて、なぜ、消費と機械文明に走ったアメリカとマイスター重視の技術に徹したドイツとの差がこれほど開いたのかを考えてみた。尤も、実際には、ダイムラー・ベンツが、クライスラーを吸収してダイムラー・クライスラーになった時点で勝負がついていたが。
   自動車と云えば、余りにも、オート時代を形成したフォードのT型車のオートメーション大量生産方式とGMによる世界制覇が花ばなしかったので、アメリカに目が行きすぎているが、実は、カール・ベンツが1886年に、「パテント・モトール・ヴァーゲン」と言う三輪自動車を特許取得・生産したのが歴史の始まりである。

   御堀氏の本には、ベンツとダイムラーの成立から、第一次世界大戦によるドイツ経済の壊滅とフォードの大量生産方式によって両社が経営危機に陥り合弁会社ダイムラー・ベンツ成立の経緯等、「機動性と実用性に優れ、エンジンが車体と有機的に一体化した自走車」と言うカール・ベンツの理念を追求し、「最高の品質、革新性、耐久性、安全性の4つ」を社是に最高級車路線を走って来た同社の歴史と成功の秘密が詳述されている。

   先行したダイムラー・ベンツが、BMVやフォルクスワーゲン・アウディ等の発展に手を貸した事実や、素晴らしいスポーツカーを作ったたポルシェがダイムラー・ベンツで育ち、ヒットラーの意向によってフォルクスワーゲンの開発に携ったことやフォルクスワーゲンがポルシェ車の土台になっていること等、また、スポーツカー開発で世界を制覇したこと、航空機開発や軍事技術の関わりなどドイツの自動車工業の歴史は興味が尽きない。 

   特筆すべきは、Mr. Safety ベラ・バレニー氏を起用し、戦前から安全思想を貫き、更なる自動車技術開発の為にイノヴェーションを追求し続けているダイムラー・ベンツの経営思想である。(尤も、国際経営は苦手で、クライスラーや三菱自動車経営では無能をさらけ出しているが。)

   ベルリンの壁が崩壊する前に、東ドイツに入り、古いアウトバーンを走ったことがある。対向車線間に仕切りがなく広大な直線のハイウエーが延々と続いていたが、第二次世界大戦で戦闘機の為の非常時用空港として使えるのは事実だと思った。
   認めたくはないが、ヒットラーが、「鉄道が交通革命をもたらし個人の自由を奪った。個人が計画によって自由に行動できる自動車とその道路を建設し、交通の自由を獲得しなければならない」として、広大なアウトバーン網を建設し、誰でも買える国民車フォルクスワーゲンを作った。偉大な卓見と言うか戦後の経済開発の原動力を予見していたのであろうか。

   ドイツの車も元々は、不便な鉄道や馬車の代替として企業家精神に燃えた偉大なマイスターが作り出したが、この2度の世界大戦が、ドイツの自動車の歴史に影響がなかったとは云えない様な気がする。

(追記)添付写真は、三菱自動車
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