藤十郎に成りきりたくて紙衣を着た坂田藤十郎の余人を持って代えがたい舞台は、やはり、近松門左衛門の「曽根崎心中」、そのお初である。
初日が、1253回目の公演とかで、昭和28年に再演されてから、53年間、藤十郎以外には演じたことのない、正に、坂田藤十郎独壇場の世界である。
もう、藤十郎のお初を見たくないとお客さんが言うまで演じ続けたいと言う。
今でこそ、大阪の表玄関であるが、梅田は、元々埋めた田、その隣の曽根崎は淀川の河口の湿地帯で明治時代まで菜の花が咲いていたと言う。
その草ぼうぼうの畑地を抜けて露の天神の鎮守の森で、醤油屋平野屋の手代徳兵衛と堂島新地天満屋のお初が心中をした。
早速現場に駆けつけて取材した近松門左衛門が浄瑠璃に仕立てて、竹本座で竹本義太夫が語ったと言う。
大谷晃一先生の説明によると、お初の堂島新地は手代あたりが遊びに来る下級の遊郭であったらしく、冥途の飛脚の新町の梅川や助六の揚巻と言った気位の高い太夫ではなく、お初は、下級の遊女、借金で雁字搦めに縛られた悲しい境遇の女であった。
しかし、その境遇を肯定して、腹を括って必死に生きている。
久しぶりに徳兵衛に会った時、主人の女房の姪との結婚を断って江戸の出店に行くことになり、もう会えないと聞くと、「来世までもと約束を交わした仲じゃによって、会われぬときは、たかが死ぬだけのこと。あの世で会うのを邪魔する人はまさかあるまい。」と言う。
この話は、オペラでも定番であるように、たった一日で起こった出来事をドラマにしているが、心中の伏線は既にここにある。
また、一直線に心中に突き進んでしまう分別のない物語のように思えるが、実際にも、極めてテンションの高い出来事が畳み掛けるように連続すると、後先の分別を働かせる余裕がなく、普通の人生を一挙に押し流してしまうことがある。
その典型がこの物語で、藤十郎は、緊張を途切れさせないように、幕間の舞台展開ではなく回り舞台を使用して舞台をスムーズに早く展開させている。
藤十郎のお初は、第一場の「生玉神社境内の場」で、久しぶりに徳兵衛(中村翫雀)と会って、徳兵衛が、姪との結婚を断ったのを聞いて、「ほんまか」と念を押して、手を叩いて無邪気に喜ぶ。
そんな健気で薄幸の19歳のお初を、現在でも、何処にでもいるようなヤング・ギャルの仕種を交えて、泣き出したくなる位初々しく演じており、そのリアルさにビックリする程である。
忘れられないのは、第二場の「北新地天満屋の場」で、忍んで来た徳兵衛を軒下に隠して、金を騙し取って徳兵衛を窮地に落とし込んだ張本人油屋九平治(中村橋之助)の悪口雑言を聞いて、徳兵衛の死ぬ覚悟と自分との心中を自分の足を使って伝え確認する所である。
「徳さまはだまされさんしたものなれど、証拠なければ理も立たず。この上は死なねばならぬ場合じゃが、死ぬる覚悟が聞きたい。」と、持ったキセルを床に突き立てて徳兵衛に足で合図する。徳兵衛は、涙に咽びながら、足を刀に見立てて喉笛に当てる。
「おお、そのはず、そのはず、何時まで生きても同じこと。・・・どうせ、徳さまは死ぬ覚悟、わしも一緒に死ぬるのやいぞ。」
お初も泣いていて、徳兵衛は、縁の下でお初の足を押し頂いてこがれ泣く。
藤十郎は、死を覚悟した手負い獅子のような形相で独りごとを言うが、九平治は、恐怖を感じて浮き足立つ。
正に、藤十郎入魂の演技で、右目から真っ直ぐに一条の涙が流れ落ちる。
私は、藤十郎の舞台を見ていて、藤十郎が、自分の演じている人物になりきって完全に魂が乗り移っているのではないかと感じることが多い。
芝居は芝居と言って現実と区別して器用に演じる役者もいるが、大概、馬脚は剥げ落ちるもので、その点、藤十郎には、一生懸命推敲した後の昇華された真実しかないと思って安心して楽しみに観ている。
余談ながら、文楽の場合も、ほぼ同じ舞台展開で、普通、女形の人形には足がないが、この場だけは、白い足が出てきて、徳兵衛がすがり付く。
玉男の徳兵衛と簔助のお初の舞台も、これまた素晴しい。
昭和56年に、松竹で素晴しい映画が製作されたが、浄瑠璃の語りと三味線の音に合わせて本当に人形が生身の人間のように悲劇を演じている。
何回か観た人間国宝2人の文楽の世界とこの藤十郎の舞台とで再現される珠玉のような曽根崎心中で、近松門左衛門が現代にも生き生きと息づいている。
第三場に「曽根崎の森の場」の終幕、心中の瞬間であるが、文楽は、派手に決定的瞬間を演じるが、藤十郎の舞台は、その直前で幕が下りる。
襟元をつかまれながら向かい合ってジッと刀を振上げる徳兵衛を凝視していたお初藤十郎が、居住まいを正してゆっくり目を閉じて中空を仰ぐ。
何処か崇高な感じさえするお初の最後である。
藤十郎は、坂田藤十郎と言う大カンバンを背負って新しい自分の納得の行く歌舞伎を創り出す為に頑張りたいと言う。
それに、関西歌舞伎の再興と言う大きな役目もある。
アメリカナイズされて、その上、トウキョウナイズされた文化が日本を席巻していて、日本本来の古い伝統と文化を色濃く残した関西色がだんだん薄くなってきており、風前のともし火でもある。
もう、時間は残り少なくなってきた。
人間国宝坂田藤十郎のご健闘を、心からお祈りしたいと思っている。
初日が、1253回目の公演とかで、昭和28年に再演されてから、53年間、藤十郎以外には演じたことのない、正に、坂田藤十郎独壇場の世界である。
もう、藤十郎のお初を見たくないとお客さんが言うまで演じ続けたいと言う。
今でこそ、大阪の表玄関であるが、梅田は、元々埋めた田、その隣の曽根崎は淀川の河口の湿地帯で明治時代まで菜の花が咲いていたと言う。
その草ぼうぼうの畑地を抜けて露の天神の鎮守の森で、醤油屋平野屋の手代徳兵衛と堂島新地天満屋のお初が心中をした。
早速現場に駆けつけて取材した近松門左衛門が浄瑠璃に仕立てて、竹本座で竹本義太夫が語ったと言う。
大谷晃一先生の説明によると、お初の堂島新地は手代あたりが遊びに来る下級の遊郭であったらしく、冥途の飛脚の新町の梅川や助六の揚巻と言った気位の高い太夫ではなく、お初は、下級の遊女、借金で雁字搦めに縛られた悲しい境遇の女であった。
しかし、その境遇を肯定して、腹を括って必死に生きている。
久しぶりに徳兵衛に会った時、主人の女房の姪との結婚を断って江戸の出店に行くことになり、もう会えないと聞くと、「来世までもと約束を交わした仲じゃによって、会われぬときは、たかが死ぬだけのこと。あの世で会うのを邪魔する人はまさかあるまい。」と言う。
この話は、オペラでも定番であるように、たった一日で起こった出来事をドラマにしているが、心中の伏線は既にここにある。
また、一直線に心中に突き進んでしまう分別のない物語のように思えるが、実際にも、極めてテンションの高い出来事が畳み掛けるように連続すると、後先の分別を働かせる余裕がなく、普通の人生を一挙に押し流してしまうことがある。
その典型がこの物語で、藤十郎は、緊張を途切れさせないように、幕間の舞台展開ではなく回り舞台を使用して舞台をスムーズに早く展開させている。
藤十郎のお初は、第一場の「生玉神社境内の場」で、久しぶりに徳兵衛(中村翫雀)と会って、徳兵衛が、姪との結婚を断ったのを聞いて、「ほんまか」と念を押して、手を叩いて無邪気に喜ぶ。
そんな健気で薄幸の19歳のお初を、現在でも、何処にでもいるようなヤング・ギャルの仕種を交えて、泣き出したくなる位初々しく演じており、そのリアルさにビックリする程である。
忘れられないのは、第二場の「北新地天満屋の場」で、忍んで来た徳兵衛を軒下に隠して、金を騙し取って徳兵衛を窮地に落とし込んだ張本人油屋九平治(中村橋之助)の悪口雑言を聞いて、徳兵衛の死ぬ覚悟と自分との心中を自分の足を使って伝え確認する所である。
「徳さまはだまされさんしたものなれど、証拠なければ理も立たず。この上は死なねばならぬ場合じゃが、死ぬる覚悟が聞きたい。」と、持ったキセルを床に突き立てて徳兵衛に足で合図する。徳兵衛は、涙に咽びながら、足を刀に見立てて喉笛に当てる。
「おお、そのはず、そのはず、何時まで生きても同じこと。・・・どうせ、徳さまは死ぬ覚悟、わしも一緒に死ぬるのやいぞ。」
お初も泣いていて、徳兵衛は、縁の下でお初の足を押し頂いてこがれ泣く。
藤十郎は、死を覚悟した手負い獅子のような形相で独りごとを言うが、九平治は、恐怖を感じて浮き足立つ。
正に、藤十郎入魂の演技で、右目から真っ直ぐに一条の涙が流れ落ちる。
私は、藤十郎の舞台を見ていて、藤十郎が、自分の演じている人物になりきって完全に魂が乗り移っているのではないかと感じることが多い。
芝居は芝居と言って現実と区別して器用に演じる役者もいるが、大概、馬脚は剥げ落ちるもので、その点、藤十郎には、一生懸命推敲した後の昇華された真実しかないと思って安心して楽しみに観ている。
余談ながら、文楽の場合も、ほぼ同じ舞台展開で、普通、女形の人形には足がないが、この場だけは、白い足が出てきて、徳兵衛がすがり付く。
玉男の徳兵衛と簔助のお初の舞台も、これまた素晴しい。
昭和56年に、松竹で素晴しい映画が製作されたが、浄瑠璃の語りと三味線の音に合わせて本当に人形が生身の人間のように悲劇を演じている。
何回か観た人間国宝2人の文楽の世界とこの藤十郎の舞台とで再現される珠玉のような曽根崎心中で、近松門左衛門が現代にも生き生きと息づいている。
第三場に「曽根崎の森の場」の終幕、心中の瞬間であるが、文楽は、派手に決定的瞬間を演じるが、藤十郎の舞台は、その直前で幕が下りる。
襟元をつかまれながら向かい合ってジッと刀を振上げる徳兵衛を凝視していたお初藤十郎が、居住まいを正してゆっくり目を閉じて中空を仰ぐ。
何処か崇高な感じさえするお初の最後である。
藤十郎は、坂田藤十郎と言う大カンバンを背負って新しい自分の納得の行く歌舞伎を創り出す為に頑張りたいと言う。
それに、関西歌舞伎の再興と言う大きな役目もある。
アメリカナイズされて、その上、トウキョウナイズされた文化が日本を席巻していて、日本本来の古い伝統と文化を色濃く残した関西色がだんだん薄くなってきており、風前のともし火でもある。
もう、時間は残り少なくなってきた。
人間国宝坂田藤十郎のご健闘を、心からお祈りしたいと思っている。