半蔵門の小劇場が、久しぶりに、吉田清之助の豊松清十郎襲名披露公演で華やいでいる。
人形遣いでは、桐竹勘十郎の襲名披露公演から、そして、三味線の鶴澤燕三襲名披露公演からも久しぶりだが、口上などでも歌舞伎ほど大げさではなくひっそりとした所が良い。
緊張した文字久大夫の司会で始められたのだが、住大夫の口上の爽やかさは語り専門だから当然としても、三味線の寛治、人形の勘十郎の立て板に水の口上なども夫々上手いのだが、重病から再起した言葉の不自由な師匠簔助の歌舞伎調の短いが万感の思いを込めた口上が、激しく感動を呼ぶ。
途中で絶句したり、脱線や駄洒落や暴露話で客席を喜ばせたり、柔らかい話が出たりで面白い歌舞伎の口上とは大分趣が違って、文楽の襲名披露は、真ん中に正座した披露される清十郎も一言も発しないし、至って真面目なのである。
簔助師匠の所から、勘十郎と清十郎の二人が巣立った感じだが、清十郎も50才だから、まだまだ先、20年以上の舞台勤めでどのような素晴らしい至芸を展開してくれるのか楽しみである。
ところで、今回の襲名披露公演の昼の部だが、前半の「近頃河原の達引」は、おしゅんを簔助が遣い、「堀川猿廻しの段」では、住大夫と綱大夫の二人の人間国宝が語る豪華版であるから当然としても、やはり、今回は、文雀が濡衣で華を添え、清十郎が八重垣姫を、簔助が武田勝頼を演じる簔助一座の「本朝廿四孝」を鑑賞する為に詰め掛けたのであろう、文楽ファンで満員御礼の盛況であった。
「十種香の段」では、謙信の娘八重垣姫が亡くなった許婚の勝頼の為に十種香を焚いて絵姿に向かって回向をしている後姿の優雅さが、文楽でも歌舞伎でも女形の晴れ姿として有名だが、清十郎の八重垣姫も簔助仕込みの気品があって美しい。
簔作として謙信家に入り込んで仕官した勝頼が、始めて凛々しい侍姿に身を変えて登場するのでお互いの素性が分って、八重垣姫がモーションをかけ、しっぽりした二人の出会いが展開されるのだが、このあたりの初々しくて優しい八重垣姫のしぐさや動作は、同じ弟子でも、勘十郎より女の弱さ儚さいじらしさを色濃く匂わせる芸風の清十郎の方が向いているような気がして観ていた。
幸せの絶頂にある八重垣姫の喜びも一瞬で、勝頼と知っている謙信(勘十郎)が、簔作に文箱を渡して塩尻に届けさせるべく送り出すが、その後に、討つために、家来を追っ手として差し向ける。
勝頼の身を案じる八重垣姫は、何とかしてこの危機を勝頼に伝えたい。
諏訪明神から武田家へ授けられた兜に祈りを込めると、泉水に明神の使者の狐が浮かび上がり、霊力の移った八重垣姫が、狐に助けられて氷の張り詰めた湖を飛んで行く。
この「奥庭狐火の段」は、正に、人形による文楽の独壇場の舞台で、父を裏切ってでも、恋しい許婚勝頼を助けたい一念の八重垣姫が、狐火を染め抜いた白狐の衣装に身を変えて、周りを飛び交う多くの白狐に守られながら、縦横無尽に飛翔する姿のダイナミックさなどは、歌舞伎が足元にも及べない人形ならの舞台である。
清十郎の主遣いに、兄弟子の勘十郎が左を、弟弟子の簔紫郎が足を遣い、人形遣いの芸の極致を見せる。
この緊張した華麗な舞台は、以前に簔助の主遣いで、左と足も同じトリオで観たのだが、あの時も非常に感激したのを良く覚えている。
人形遣いは、自分の年齢に関係なく、遣う人形によって、老いも若きもどんな役でも自由自在にこなせるのが素晴らしいのだが、さらに、このように、肉体的に人間の役者では決して演じられないような仕草や動きを演じることが出来るので、舞台でのパーフォーマンスが豊かになって表現の世界が広がる。
文雀の濡衣も勘十郎の謙信も素晴らしく、清十郎披露公演としては最高のキャスティングであり記念碑として残ろう。
十種香の段の噛んで含めるようなとつとつとした実に情味豊かな嶋大夫の語りと宗助の三味線、それに、奥庭狐火の段での津駒大夫の語りと寛治の三味線の冴えは格別で、三業の素晴らしい協業が、如何に豊かで感動的な舞台を作り出してくれるのかを目の当たりに見せてくれた。
人形遣いでは、桐竹勘十郎の襲名披露公演から、そして、三味線の鶴澤燕三襲名披露公演からも久しぶりだが、口上などでも歌舞伎ほど大げさではなくひっそりとした所が良い。
緊張した文字久大夫の司会で始められたのだが、住大夫の口上の爽やかさは語り専門だから当然としても、三味線の寛治、人形の勘十郎の立て板に水の口上なども夫々上手いのだが、重病から再起した言葉の不自由な師匠簔助の歌舞伎調の短いが万感の思いを込めた口上が、激しく感動を呼ぶ。
途中で絶句したり、脱線や駄洒落や暴露話で客席を喜ばせたり、柔らかい話が出たりで面白い歌舞伎の口上とは大分趣が違って、文楽の襲名披露は、真ん中に正座した披露される清十郎も一言も発しないし、至って真面目なのである。
簔助師匠の所から、勘十郎と清十郎の二人が巣立った感じだが、清十郎も50才だから、まだまだ先、20年以上の舞台勤めでどのような素晴らしい至芸を展開してくれるのか楽しみである。
ところで、今回の襲名披露公演の昼の部だが、前半の「近頃河原の達引」は、おしゅんを簔助が遣い、「堀川猿廻しの段」では、住大夫と綱大夫の二人の人間国宝が語る豪華版であるから当然としても、やはり、今回は、文雀が濡衣で華を添え、清十郎が八重垣姫を、簔助が武田勝頼を演じる簔助一座の「本朝廿四孝」を鑑賞する為に詰め掛けたのであろう、文楽ファンで満員御礼の盛況であった。
「十種香の段」では、謙信の娘八重垣姫が亡くなった許婚の勝頼の為に十種香を焚いて絵姿に向かって回向をしている後姿の優雅さが、文楽でも歌舞伎でも女形の晴れ姿として有名だが、清十郎の八重垣姫も簔助仕込みの気品があって美しい。
簔作として謙信家に入り込んで仕官した勝頼が、始めて凛々しい侍姿に身を変えて登場するのでお互いの素性が分って、八重垣姫がモーションをかけ、しっぽりした二人の出会いが展開されるのだが、このあたりの初々しくて優しい八重垣姫のしぐさや動作は、同じ弟子でも、勘十郎より女の弱さ儚さいじらしさを色濃く匂わせる芸風の清十郎の方が向いているような気がして観ていた。
幸せの絶頂にある八重垣姫の喜びも一瞬で、勝頼と知っている謙信(勘十郎)が、簔作に文箱を渡して塩尻に届けさせるべく送り出すが、その後に、討つために、家来を追っ手として差し向ける。
勝頼の身を案じる八重垣姫は、何とかしてこの危機を勝頼に伝えたい。
諏訪明神から武田家へ授けられた兜に祈りを込めると、泉水に明神の使者の狐が浮かび上がり、霊力の移った八重垣姫が、狐に助けられて氷の張り詰めた湖を飛んで行く。
この「奥庭狐火の段」は、正に、人形による文楽の独壇場の舞台で、父を裏切ってでも、恋しい許婚勝頼を助けたい一念の八重垣姫が、狐火を染め抜いた白狐の衣装に身を変えて、周りを飛び交う多くの白狐に守られながら、縦横無尽に飛翔する姿のダイナミックさなどは、歌舞伎が足元にも及べない人形ならの舞台である。
清十郎の主遣いに、兄弟子の勘十郎が左を、弟弟子の簔紫郎が足を遣い、人形遣いの芸の極致を見せる。
この緊張した華麗な舞台は、以前に簔助の主遣いで、左と足も同じトリオで観たのだが、あの時も非常に感激したのを良く覚えている。
人形遣いは、自分の年齢に関係なく、遣う人形によって、老いも若きもどんな役でも自由自在にこなせるのが素晴らしいのだが、さらに、このように、肉体的に人間の役者では決して演じられないような仕草や動きを演じることが出来るので、舞台でのパーフォーマンスが豊かになって表現の世界が広がる。
文雀の濡衣も勘十郎の謙信も素晴らしく、清十郎披露公演としては最高のキャスティングであり記念碑として残ろう。
十種香の段の噛んで含めるようなとつとつとした実に情味豊かな嶋大夫の語りと宗助の三味線、それに、奥庭狐火の段での津駒大夫の語りと寛治の三味線の冴えは格別で、三業の素晴らしい協業が、如何に豊かで感動的な舞台を作り出してくれるのかを目の当たりに見せてくれた。