熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

呉軍華著「中国 静かなる革命」・・・民主化へのグランドビジョン

2008年09月14日 | 政治・経済・社会
   復旦大学を出て東大大学院博士課程で経済学を勉強したが天安門事件で帰れなくなり、日本総研に所属して日米で研究を続けながら、世紀が移ってから中国に駐在して代表を務める著者・呉軍華女史が、
   近刊「中国 静かなる革命」と題する著書で、現在中国の官製資本主義が、現共産党の政治的な自己改革によって民主化へ静かに移行するとしたグランドビジョンを描いた。
   日本における政治経済的な知識教養を地盤にしながら、故国中国の現状にどっぷり入り込んで、非常に緻密で客観的に政治経済状況を分析し、グローバル視点に立って、中国の将来を展望しているのであるから、多くの外国人学者達による傍観者的な中国論と一味も二味も違って、非常に説得力のある論調を展開しており傾聴に値する。

   中国では、2022年までに、共産党一党支配の現体制から民主主義的な政治体制に移行する。こうした移行は農民・大衆の反乱と言う下からの革命に触発されるのではなく、中国共産党のイニシャティブによって粛々と進められて行く。共産党一党体制からの離脱が、旧ソ連・東欧諸国とも異なる形で静かに進行する。正に、この「静かなる革命」が非常に高い可能性をもって起きるだろうと言うのが著者の結論である。
   このような論理が、中国の歴史や宗教・思想・国民性等々多方面のバックグラウンドを深く掘り下げながら、将棋の駒を詰めて行くように、非常に注意深く緻密に推論を積み重ねながら説かれており、中国近代史を反芻している趣さえ感じられる。                                            
   本論に入る前に、何故、中国国民があれほど北京オリンピックにたいして激情をあらわにして対応したのかだが、著者は、
   北京オリンピックを成功させることによって、長い文明の歴史を有しながらも、アヘン戦争以降、列強に蹂躙された過程で鬱積してきた中国の人びとの民族的屈辱感を相当程度晴らすことができると指摘している。
   経済力や国力の高まりによって益々高揚して行く中国人としての誇りと自信が、過去150年来の民族的屈辱感からの離脱に火を点け、過激なナショナリズム的衝動を引き起こす、中国は、今その次期にあると言うのである。

   さて、何故、政治が民主化するかと言うことだが、中国では時代の変革には、「天の時、地の時、人の和」すなわち、タイミング、環境、人の3要素がが不可欠だとする考え方があり、著者が最も強調しているのは、2012年において、胡錦濤を中心とした第4世代の指導部が2012年の「十八大」で交代し、第5世代の指導部が誕生すると言うことである。
   第5代の指導者を構成するリーダーの殆どは、改革解放以降の中国、或いは、欧米諸国で高等教育を受けた経験を持ち、程度の差はあれ、彼らにとって、自由や平等、人権尊重と言った民主主義の理念は単なる概念としての意味を持っているだけではなく、自らの生活体験を通じての実感を伴ったものである。
   実際に、1980年代に、著者自信が復旦大学の学生時代に、李克強や李源潮などの次代のリーダーと目される人達が中国の民主化運動で活躍していたのをつぶさに見ているのである。 

   中国経済は、2008年において既に景気循環的にも構造的にも大きな転換点を迎えており、経済が引き続きある程度の成長を持続出来たとしても、政治的な改革がない限り、そのままでは長期にわたって安定基盤を築くことは出来ない。
   共産党指導部にとっても、現体制下で形成された既得利権者にとっても、社会の安定と経済成長の持続と言う国益の観点から見ても、個人の経済的利益を確保するというプライベートの立場に立っても、政治改革を進めることによって中国の政治システムを民主化する必要が急速に高まってきている。

   興味深いのは、中国人の「安定志向」的な性向で、改革開放以来の最大の危機であった天安門事件、そして、その後の社会主義体制が旧ソ連・東欧諸国で崩壊した以降、これらの激動による激烈な混乱と苦痛が反面教師となって、中国では、自由・民主主義を求めようとした勢いは、急速に衰え、むしろ、知識人や中産階級も体制維持派となり、共産党一党支配体制を維持したい指導部にとって国内の政治環境は好転したと言う。
   しかしながら、江沢民政権以降、官僚腐敗の浸透や所得格差の拡大、社会的対立の先鋭化と言った問題が先鋭化するにつれて、体制批判や現行体制を改めようとする圧力が保革両陣営から高まり、胡錦濤体制以降、共産党は背水の陣で政治改革に臨まなければならなくなり、既に徐々に、改革への助走を始めていると言うのである。
   
   もうひとつ中国の体制維持的な性向を、「聖君賢相メンタリティー」で説明する。
   始皇帝の築いた中央集権的で専制的な政体は、中国では連綿と継続しており、秦と随を除けば100年以上続く長寿を誇っている上、共産党一党独裁は今に始まったことではなく、現政権は聖君賢相ではないにしろ、共産党が現実的に中国社会を有効にコントロール出来る唯一の政党であるため、次善の選択として選ばれていると言う。
   私自身は、この考え方が当たっているような気がするのだが、著者が論じているように、既得利権を得て裕福になったり富を蓄積した中産階級など、或いは、学者や文化人などの知識階級にとっても、現体制と共存共栄策を図りながら中国の民主化を推進する方が、はるかにメリットが高く、
   既に、共産党が、プロレタリアートや農民の政党であることを放棄してしまった以上、これらの民主化蜂起を抑えこそすれサポートするようには思えない。

   グローバリゼーションの進行と中国の国力の強化に伴って、共産党自身、中国自体の政治経済社会などの国内問題の解決のみならず、環境や資源問題、人権や貧困問題など人類及び地球全体の深刻な問題にも対処しなければならなくなり、徐々にではあろうが政治の民主化を進めざるを得なくなる。
   これまで言われてきたような中国崩壊論は影を潜めたとは思うが、台湾も含めて、チベット、新疆ウイグル、モンゴルなど辺境地方の独立離脱はあるような気はしている。
コメント
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