熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ポール・クルーグマン著「格差はつくられた」・・・保守派の支配戦略?

2008年09月06日 | 政治・経済・社会
   ポール・クルーグマンの非常に時宜を得たと言うか、アメリカの大統領選挙の前年に出版された「格差はつくられた THE CONSCIENCE OF A LIBERAL」だが、共和党政治によって、如何に、アメリカの経済社会が捻じ曲げられて目も当てられないような格差社会になってしまったのかを、非常に丁寧に論じていて興味深い。
   日本の場合も、所得や地方間の格差が拡大し、小泉改革の負の遺産だとされるなど格差問題を提起しているが、丁度、自民党の総裁選挙前でもあり、他山の石以上の価値のある経済学書であると思う。

   クルーグマンは、
   アメリカの戦後の中産階級社会は、自由主義経済によって自動的に出来上がったものではなく、ルーズベルト政権の政策によって作り上げられた。
   労働組合の強化、ソーシャル・セキュリティやメディケアのような再分配原資を確保する為に金持ちに高額課税をしたりすることによって、所得格差を縮小し、労働者階級を貧困から救い出し、ブームを引き起こした。
   しかし、保守派ムーブメントによって保守党が政権を奪還して、金持ちを利するために、欺瞞と狂気の政策で逆転させてしまった。
   金持ちへの減税、ソーシャル・プログラムの廃止、組合潰し、と言った保守的イニシャティブによって、富める者を益々豊かにし、弱者を貧困に追い詰め、深刻な格差社会を生み出した。として、
   レーガン大統領の保守反動政治を皮切りに、アメリカ社会が大きく右傾化し、ブッシュ政権を経て極に達するに至った経緯を、ヨーロッパの福祉国家的な動きと対比させながら、アメリカ独自の「保守派ムーブメント」を浮き彫りにして論じている。

   私が興味深く感じたのは、ルーズベルト時代のニューディール政策を、大恐慌からの経済浮揚改革と言う見方としてではなく、C.ゴールディンとR.マーゴが、1920年代から50年代のアメリカで起こった所得格差の縮小、つまり富裕層と労働者階層の格差、そして労働者間の賃金格差が大きく縮小したのを「大恐慌 THE GREAT DEPRESSION」と引っ掛けて「大圧縮 THE GREAT COMPRESSION」と呼んだのを引用して、ルーズベルトの福祉国家政策的な所得格差の縮小が社会と政治を質的に変化させ、1960年代初頭までの、比較的平等で民主的な中産階級社会を生み出したと言う見解である。
   現在の保守反動的な強者のみを利するアメリカ社会は、正に、共和党が意図的に築き上げたものだと詳細にその経緯を論じているが、逆に、この「大圧縮」は、政治改革によって、公平な所得分配を実現し、その過程でより健全な民主主義的な環境を作り上げることが出来ることを示唆しているのではないか、悲観することはないと説くのである。

   レーガンは、共産主義に対峙した大統領として人気が高いが、真っ赤な嘘で、黒人解放運動に対する白人の反発をくすぐり徹底的に人種問題を選挙の為に悪用し、共産主義の脅威に対する大衆の被害妄想に付け込む等して共和党の過激化に度を加え、保守派ムーブメントを、如何にエリート主義者の経済思想を大衆受けするレトリックに転換させるかに腐心した男だと厳しく糾弾している。
   もっと面白いのは、民主党とクリントン政権は、共和党のニクソン政権より右よりだと言う見解で、その後のブッシュ政権によって更に民主主義が後退して格差社会が進展して、アメリカ社会の大切な遺産であったニューディール政策を帳消しにしてしまったと言うのである。

   クルーグマンの論点は、拡大しつつある経済格差こそが「保守派ムーブメント」の台頭の根本的な原因だと言うことにある。
   カネで影響力を買うことは可能であり、最も富裕だったアメリカのほんの数%の人々が更に富裕になり、政党を買収できるほどの富を蓄えたと言うことで、「保守派ムーブメント」の台頭は拡大する格差の副産物だと言うのである。
   この動きを始動したのは、「ニューコンサーバティブ(新保守派)」と言うナショナル・レビュー誌の周りに集まった少数のエリートグループで、戦後のアメリカの穏健な中流階層に不満を抱いていた他派と合流し、重要なムーブメントになった。
   これに、猛烈な反共主義者が、「保守派ムーブメント」の反共思想に共感を覚え、更に、福祉タダ乗り市民に反感を抱く人々、労働組合に対して反感を持った経営者達が加わり、夫々その不満を政治的な行動に移すことが出来る政治勢力があることに気付いて共和党の「保守派ムーブメント」が拡大成長を遂げて行ったと言うのである。

   従って、クルーグマンは、所得格差が広がり始めたのは、制度や規範、そして政治勢力の変化によると言う見解に立っているので、一般的に論じられているグローバリゼーションによって促進された高度技術への需要の拡大や技術革新によるものではないと説いている。
   格差の広がりは、技術革新、国際貿易、移民流入によって引き起こされるとする考え方に対して、格差の少ないヨーロッパでは、組合の力は依然強く、巨額の給与を非難し、労働者の権利を強調する昔からの規範は消え去っておらず、その差は制度の問題であり、アメリカ社会の特殊性が際立っていると言うのである。

   しかし、アメリカの保守政権によって作り出された格差社会だと言うクルーグマンの見解が正しいとしても、先日、榊原英資教授の「大転換」の書評で論じたように、アメリカの総世帯の95%が、「貧困層」か「おちこぼれ」で、ジニ係数が益々悪化していると言う現実を直視すれば、アメリカ庶民の窮乏化は、グローバリゼーションとイノベーションの波及による要素価格平準化定理の結果であることは、極めて明確なことである。
   また、アメリカにおける超富裕層の台頭は、昔のスタンレーとダンコの「隣の億万長者」で書かれた爪に火を灯す倹約家ではなく、また、クルーグマンが説く悪徳CEOではなく、ビル・ゲイツやホリエモンのような起業や、巨大な金融取引などによって巨万を得た人々であることを考えれば、イノベーションやマーケットシステムなど資本主義本来の動きやその変質を無視する訳に行かないであろう。
   
   尤も、崇高な理念に立脚した政治的な大改革によって格差社会を解消すべしと言うクルーグマンの見解には諸手を挙げて賛成である。
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