日本橋高島屋で田村能里子画伯が天竜寺塔頭宝厳院本堂に描いた襖絵が完成したので、その記念展示が行われている。
タムラレッドと称されているオレンジがかった赤い地色の、砂漠とも広大な大河とも、或いは、大きくうねるなだらかな高原のような大地とも取れる壮大な自然をバックに、33人の白衣の老若男女を配したスケールの大きな「風河燦燦 三三自在」(アクリル絵具・キャンバス)が、実際の本堂と同じ設定で展示されている。
宝厳院の田原義宣住職の説明では、「観音経」の経中に観音菩薩は三十三身に身を変えてこの世を救われたとあり、この襖絵に登場する三十三人は観音菩薩の化身だと言う。
女性像は、殆ど若くて綺麗な姿かたちで描かれているが、男性の方は、子供一人を除いて、総て、丸刈りの僧形なので老若は分りにくいが、多くは非常に威厳と風格のある老人で、夫々が、語り合ったり、座って瞑想したり、眠ったりと思い思いの姿勢を取っていて、それらが、不規則に空間を埋めているので色々な想像をさせてくれる。
この襖絵は、恐らく、シルクロードをバックにした仏教伝来を重ねてイメージして描かれたのであろうが、人々の白衣は、丁度、ギリシャ・ローマ時代のラフな衣装を思わせ、私は、ポンペイの壁画に描かれている人びとの姿を思い出した。
ことに、座って二人の若い女性に語りかけている老僧など、中国人の布袋さんのような風格のある姿だが、ギリシャの哲人のような雰囲気も醸し出していて、やはり、文化文明の十字路の絵画である。
同時に展示されていた田村画伯の素晴らしい作品の大半は、主にインドの女性たちの生活をモチーフにした絵だが、人びとの表情は白人系からドラビタ族系など色々で、とにかく、土の香やエキゾチズムをむんむん発散させていて、そのエネルギーの凄さに圧倒される。
また、3人の憩う老人を描いた「長い午後」や、世間話に興ずる二人の老人の「やわらかな光の中で」や、絨毯に腰を据えてリラックスしたバザールの店主風の老人を描いた「無名華」などには、色濃く中央アジアのシルクロードの雰囲気が漂っていて、どの絵にも、人生の風雪に耐えた年輪の重さを感じさせる威厳と風格を備えた老人の姿が活写されていて、襖絵へのイメージ転化を感じさせる。
田村画伯の絵画は、若いときにインドへ赴任した夫君とともに生活した現地での強烈な印象が絵心をスパークさせて開花し、それに、中国中央美術学院留学での勉強と中央アジアのシルクロードでの絵画修業、それに、タイでの生活など、豊かな海外経験が絵画の中にも脈打っていて、モチーフにも色濃くアジアの人々の生活が息づいている。
丁度、この日、田村画伯が来ておられて、図録にサインされていたので、一つ二つ聞いてみた。(朝、皇后陛下がご鑑賞になったと言う。)
文明の十字路を描かれているので、ギリシャ・ローマの影響もあるのですかと聞いたら、そんな難しいことは分らないけれど、インドと中国のシルクロードの両方ですときっぱり答え、中国の西安を基点として、ウルムチ、トルファンからカシュガルとシルクロードを単独旅行するなど、中央アジアのシルクロードへの入れ込みようは大変なものであることを感じた。
田村画伯の作品については、今回の絵画しか知らないので何とも言えないが、男性の絵の主題の多くは、この中央アジアのウイグル系ないしギリシャ系の血を引いた東アジア系ではない人物像が多いような気がする。
私は、残念ながら、シルクロードへは行った事がないのだが、トルコや中東の田舎などで、これに近い老人に出会ったり雰囲気は経験している。
人物像の絵のモチーフが、平山郁夫画伯と丁度ダブった感じなので、影響などどうかと聞きたかったが、失礼だと思って聞けなかった。
平山画伯の薬師寺の玄奘三蔵院の素晴らしい壁画とは、全く、モチーフも、アプローチの仕方も違うし、どちらかと言えば、平山画伯の絵は、単純化され昇華されて哲学的と言うか思想性が強いような感じがするが、田村画伯の絵は、とにかく、色彩豊かで非常にエネルギッシュであり、絵に描かれた人物の体臭まで感じさせるような生々しさがある。
この口絵写真は、図録から複写したのだが、唯一英語のタイトルが付いていた「Away from chaos」。
ざらっとした感じの絵肌(マチエール)にタムラレッドを基調として描かれた田村画伯の典型的な絵画のひとつだと思うが、筆、刷毛、ローラーなどを駆使して非常に念入りに描かれていて、色彩やタッチを変えながら沢山の絵具を小刻みに重ね合わせて微妙な雰囲気を醸しだす色彩の豊かな美しさは格別である。
余談ながら、田村画伯だが、実にチャーミングで品のある美しい小柄なレディで、これほど迫力とエネルギーの充満したスケールの大きな素晴らしい絵画を生み出す力がどこから生まれ出でるのか、信じられない程であった。
タムラレッドと称されているオレンジがかった赤い地色の、砂漠とも広大な大河とも、或いは、大きくうねるなだらかな高原のような大地とも取れる壮大な自然をバックに、33人の白衣の老若男女を配したスケールの大きな「風河燦燦 三三自在」(アクリル絵具・キャンバス)が、実際の本堂と同じ設定で展示されている。
宝厳院の田原義宣住職の説明では、「観音経」の経中に観音菩薩は三十三身に身を変えてこの世を救われたとあり、この襖絵に登場する三十三人は観音菩薩の化身だと言う。
女性像は、殆ど若くて綺麗な姿かたちで描かれているが、男性の方は、子供一人を除いて、総て、丸刈りの僧形なので老若は分りにくいが、多くは非常に威厳と風格のある老人で、夫々が、語り合ったり、座って瞑想したり、眠ったりと思い思いの姿勢を取っていて、それらが、不規則に空間を埋めているので色々な想像をさせてくれる。
この襖絵は、恐らく、シルクロードをバックにした仏教伝来を重ねてイメージして描かれたのであろうが、人々の白衣は、丁度、ギリシャ・ローマ時代のラフな衣装を思わせ、私は、ポンペイの壁画に描かれている人びとの姿を思い出した。
ことに、座って二人の若い女性に語りかけている老僧など、中国人の布袋さんのような風格のある姿だが、ギリシャの哲人のような雰囲気も醸し出していて、やはり、文化文明の十字路の絵画である。
同時に展示されていた田村画伯の素晴らしい作品の大半は、主にインドの女性たちの生活をモチーフにした絵だが、人びとの表情は白人系からドラビタ族系など色々で、とにかく、土の香やエキゾチズムをむんむん発散させていて、そのエネルギーの凄さに圧倒される。
また、3人の憩う老人を描いた「長い午後」や、世間話に興ずる二人の老人の「やわらかな光の中で」や、絨毯に腰を据えてリラックスしたバザールの店主風の老人を描いた「無名華」などには、色濃く中央アジアのシルクロードの雰囲気が漂っていて、どの絵にも、人生の風雪に耐えた年輪の重さを感じさせる威厳と風格を備えた老人の姿が活写されていて、襖絵へのイメージ転化を感じさせる。
田村画伯の絵画は、若いときにインドへ赴任した夫君とともに生活した現地での強烈な印象が絵心をスパークさせて開花し、それに、中国中央美術学院留学での勉強と中央アジアのシルクロードでの絵画修業、それに、タイでの生活など、豊かな海外経験が絵画の中にも脈打っていて、モチーフにも色濃くアジアの人々の生活が息づいている。
丁度、この日、田村画伯が来ておられて、図録にサインされていたので、一つ二つ聞いてみた。(朝、皇后陛下がご鑑賞になったと言う。)
文明の十字路を描かれているので、ギリシャ・ローマの影響もあるのですかと聞いたら、そんな難しいことは分らないけれど、インドと中国のシルクロードの両方ですときっぱり答え、中国の西安を基点として、ウルムチ、トルファンからカシュガルとシルクロードを単独旅行するなど、中央アジアのシルクロードへの入れ込みようは大変なものであることを感じた。
田村画伯の作品については、今回の絵画しか知らないので何とも言えないが、男性の絵の主題の多くは、この中央アジアのウイグル系ないしギリシャ系の血を引いた東アジア系ではない人物像が多いような気がする。
私は、残念ながら、シルクロードへは行った事がないのだが、トルコや中東の田舎などで、これに近い老人に出会ったり雰囲気は経験している。
人物像の絵のモチーフが、平山郁夫画伯と丁度ダブった感じなので、影響などどうかと聞きたかったが、失礼だと思って聞けなかった。
平山画伯の薬師寺の玄奘三蔵院の素晴らしい壁画とは、全く、モチーフも、アプローチの仕方も違うし、どちらかと言えば、平山画伯の絵は、単純化され昇華されて哲学的と言うか思想性が強いような感じがするが、田村画伯の絵は、とにかく、色彩豊かで非常にエネルギッシュであり、絵に描かれた人物の体臭まで感じさせるような生々しさがある。
この口絵写真は、図録から複写したのだが、唯一英語のタイトルが付いていた「Away from chaos」。
ざらっとした感じの絵肌(マチエール)にタムラレッドを基調として描かれた田村画伯の典型的な絵画のひとつだと思うが、筆、刷毛、ローラーなどを駆使して非常に念入りに描かれていて、色彩やタッチを変えながら沢山の絵具を小刻みに重ね合わせて微妙な雰囲気を醸しだす色彩の豊かな美しさは格別である。
余談ながら、田村画伯だが、実にチャーミングで品のある美しい小柄なレディで、これほど迫力とエネルギーの充満したスケールの大きな素晴らしい絵画を生み出す力がどこから生まれ出でるのか、信じられない程であった。