熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ポール・R・クルーグマン著「クルーグマンの視座」~経営者は経済政策提言は無理(その1)

2009年01月05日 | 政治・経済・社会
   ノーベル賞学者ポール・R・クルーグマンが、「一国の経済政策は経営戦略とは違う」と、科学界での「グレートマン症候群」を引きながら、経済界の大立者が行う国への経済政策提言が、如何に的外れで実害が大きいかを述べていて面白い。
   よくある話だが、科学の世界では、ある分野で有名な研究者が、よく知りもしない別の専門分野で声高に意見を述べることを「グレートマン症候群」と言うようだが、同じ病気が、大統領経済顧問に昇格したビジネス・リーダーにも見られており、まず大学に戻って経済学を勉強しなおせと言うのである。

   わが宰相麻生太郎殿も、麻生セメント社長として経済界での実績があり、実業経験があるので経済には強いとの巷の評判があったが、むしろ、この経験ゆえに、百年百年と唱えながらも経済政策が、あのように迷走するのであろうか。
   日本でも、色々な諮問委員会などで、経済界の重鎮が、学識経験者(?)とか何とかと称されて参加しているのだが、例えば、一番、利害相反していて酷いのは、公害や地球温暖化問題関係の委員会等であろう。

   クルーグマンの論点は、国民経済は、クローズド・システム(閉鎖系)であるのに対して、企業は、オープン・システム(開放系)であり、この対比が、国の経済運営と企業経営の根本的な違いを引き起こしていると言うことである。
   実業界の理解を得られないのは、輸出の雇用創出の関係、および、海外からの投資と貿易収支の関係における問題で、経済分析に必要な思考回路は、ビジネスで成功するのに必要なそれとは違っており、国家を企業に例えてビジネスの経営感覚で考えるのは、全く間違っていると説いている。

   まず、国際貿易と国内の雇用の創出だが、
   経済界では、自由貿易支持で、世界貿易を拡大すれば世界の雇用状態を改善出来、創出された雇用を各国が競い合って、競争力の涵養になると考えているが、
   経済学者は、自由貿易が世界の雇用を創出するとか増やすとか、あるいは、輸出を活発に行う国は貿易赤字国より失業者が少ないとは思っていない。

   ある国の輸出は、他の国の輸入であるので、自由貿易が世界の消費総額を増やすと言う確証があれば別だが、世界の総需要には何ら変更はないし、
   更に、アメリカの雇用の上限は、輸出などの活動による需要創出能力によるのではなく、連銀がインフレをコントロールする上で必要な失業率の許容水準に従って決められており、
   輸出入の増減は、全体の雇用に何ら影響を与えないと言う結論にならざるを得ないと言うのである。
 
   次の、海外投資と貿易収支の関係であるが、
   実業界では、海外からの投資が増えれば、貿易黒字が増加すると考えるが、
   実際は逆で、会計学上、貿易収支は国際収支の一部であり、国際収支は対外受け取り総額と支払い総額は均衡しているので、貿易収支は赤字に陥る。
   実際にも、海外投資が増えると、通貨価値を押し上げ、また、ブームを呼びおこして輸入を拡大するのみならず、インフレを引き起こして、輸出市場での価格競争力を落とすなど貿易収支は悪化するのである。 
   さて、そうなら、ブレインの一人でもあるクルーグマンが、この大経済不況の中で、如何にオバマ次期大統領に経済政策提言を行うのであろうか。

   ここで、クルーグマンは、何故、実践を旨とする経営者が、経済学者が主張する原理原則を見抜けないのかについて、企業に典型的に生起するフィードバックと、一般の経済に生起するフィードバックとは全く違うのだとして、クローズドとオープン・システムの違いによる議論を展開するのだが、この本論に入る前に、まず、そこで展開されているフィードバックの一例を引きながら、現在の経済問題を少し考えてみたい。

   主要な輸出産業が急激に伸びを見せる国についてだが、その産業が雇用を増やす場合、それは間違いなく他の産業を犠牲にしているとクルーグマンは説いている。
   ある業種の輸出が拡大した場合、国際収支の会計原則に従って、別の輸出産業の縮小か輸入の増加によって均衡が保たれており、雇用状況と他業種の輸出にネガティブ・フィードバックを及ぼす可能性が高いと言うのである。
   
   ところで、日本は、これまで、貿易立国を標榜して、円安基調を維持しながら積極的に輸出産業をバックアップしてきた。
   特に、自動車産業の輸出に占める役割は突出しており、その成長振りと日本経済における貢献は計り知れない。
   しかし、その日本経済の牽引車であった自動車産業、特に、トヨタの失速は、日本経済に致命的な影響を与えており、自動車関連産業の好況で恵まれていた中部経済圏のダメッジは非常に大きい。

   さて、実際には、自動車輸出の拡大と突出が、日本経済にどのような影響と効果を与えてきたのか不明であるが、クルーグマンの説が正しければ、この自動車産業の輸出拡大が、日本経済に与えた雇用状況や他業種の輸出減少に与えたネガティブ・フィードバックは何であったのか、そして、それが、どんな形で、現在の経済不況を深刻化させているのか、考えてみることも有益であろうと思われる。

   ところで、クルーグマンは、ある産業の突出が、ポジティブ・フィードバックを生む場合があるとして、金融センターとしてのロンドン、娯楽産業のハリウッドを上げているが、さて、ひとたび、大経済不況の荒波に飲み込まれれば、ロンドンを見れば分かるが、モノカルチュア的経済の悲しさで、目も当てられないような状況になる。
   いずれにしろ、国家経済も、一つのバスケットに卵を入れないと言う分散投資手法で行く以外に道はないと言うことであろうか。
   
   
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年末年始雑感・・・TV番組の楽しみ方

2009年01月04日 | 生活随想・趣味
   日本列島の年末年始の喧騒をTVで見ていると、大変だと思う。
   私の場合には、娘家族たちが、年末年始は、我々の方へ来てくれるので世話はないが、今回は天気にも恵まれて、年末の大掃除等を早く済ませたので、ゆっくりすることが出来た。
   海外に居た時には、クリスマス休暇になると旅に出ることが多かったが、最近は、民族移動の時期には、混雑がイヤなので一切旅行に出たり、遠出で外出することはなくなった。
   家族との行動が多くなるのだが、これらは年末年始の既定路線であり、後は、自分の時間なので、本を読んだり、TVの特別番組を見たり、田舎道を散策したり、あまり、特別なことをするのではなく、何となく冴えないのが残念ではある。

   さて、TVであるが、私の場合には、民放はニュースくらいで、興味のある番組は、殆どNHKのBS放送のBShiかBS2ばかりであり、それに、WOWWOWの映画が加わる程度で、ぶれることは殆どないし、TVガイドは、HNKステラ一本で、NHKの番組表しか見ない。
   別に他意はないが、体一つで、目は二つ。一度に1番組しか見られないし、時間が限られているので、わき目を振っている時間がないのである。

   ところで、最近、使い慣れていたDVDレコーダー・ソニーのスゴ録が故障したので、パナソニックのブルーレイディーガに買い換えた。
   ソニー・ファンだったので、ソニーでも良かったのだが、TVをパナソニックのビエラに変えてしまっているので、合わせた方が良いと思ったのである。
   丁度、DVDレコーダーの規格が、東芝のHD-DVDが敗退してブルーレイに統一されたので買い替え時期でもあった。

   ところで、やはり、DVDレコーダーの技術は日進月歩で、ハイビジョン録画が出来るか出来ないかは雲泥の差だが、それ以上に、あらゆる意味で、使い勝手の良さの向上は流石である。
   ブルーレイ・ディスクを使用しなくても、AVCREC方式だと、普通のDVD-Rで2時間10分、DVD-R DL(片面2層)で3時間35分、ハイビジョン画質で録画出来る上に、TVのHDMI方式で再生すれば、殆どTVのハイビジョン映像と変わらないくらいの良質な画像を楽しめるようになっている。
   WOWWOWの放送は、一回だけしかダビングできないが、この方式で録画すれば、市販のDVD映画やDVDオペラとは雲泥の差の画質や音質を楽しめるようになっているから、これが、オン・ディマンド方式でパソコンやTVで受信可能となれば、DVDレンタル・ショップなどは、開店休業となろう。

   ところで、娘家族が居る時には、TVハイジャックされているので、録画して後で見ることになる。
   しかし、この間でも、私は、TV番組を録画してDVDにダビングしてディスクの表を綺麗に写真や映像などをプリントして仕上げてやっているので、このリクエストが入ると、2番組録画方式でも、録画権を譲らなければならず、録画取り消しぼたんをクリックすることになる。

   今回、録画したのは、やはり、クラシック音楽関係が大半で、何本かオペラ番組やベルリン・フィルのジルべスターなどを収録することが出来た。
   しかし、今日、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの唯一のBShi放送なので、録画を試みたが、後半、ニューギニア沖地震のテロップが何10分も入ってしまってぶち壊しになってしまった。NHKだと、このようなハプニングが多いので、ボツになることが結構多い。
   BShiでは、「万葉集への招待」や「江戸の名画100選」を筆頭に、教養番組と言うべきか「ハイビジョン特集」に良いものが多くて、楽しませてくれる。   
   尤も、こんな努力をしながら録画したビデオ・テープやDVDが膨大な量になってしまって、死ぬまで見続けても見られないくらいになってしまっているのが、問題でもある。
   
(追記)久しぶりに、近くの川辺を歩いていたら、カワセミを見つけた。近づけなかったので上手く写らなかったが、これから当分、散歩が楽しみでもある。
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ディズニー映画「ウォーリー」

2009年01月03日 | 映画
   新年最初に、孫を伴って見た映画が、ディズニーの「ウォーリー」。
   29世紀の地球で、700年間たった一人(?)で、荒れ果てた地球上で、黙々と働き続けるごみ処理ロボットウォーリーの物語である。
   荒涼とした地球の鉄くずを、体に一杯詰め込んでプレスして、直方体のスクラップの塊にして積み上げた風景が、廃墟となったニューヨークの摩天楼のようで不気味である。

   寂しさを紛らわせるために、好きな「ハロー・ドーリィー」のビデオを見ながら楽しく踊る男女の姿を思い描きながら憩うのが唯一の楽しみ。
   ところが、ある日、大地から芽吹いた一本の木の幼苗を発見して、大事に小さな鉢に植え替えて体に取り込む。
   それから程なくして、閃光とともに宇宙から、真っ白に美しく輝くロボット・イヴが現れ、ウォーリーは、たちまち恋に落ちる。

   恋が実らないまま、ある日、イヴが飛来した宇宙船に攫われてしまうので、ウォーリーは、必死になって後を追って宇宙船に潜り込み、壮大な宇宙を飛び越えて未知の世界へ紛れ込む。 
   宇宙空間に浮かぶ人口の小惑星とも言うべき巨大な有人宇宙船で、700年前に、荒れて廃墟と化した地球から逃げてきた人類たちの住処だったのである。
   小さなゴンドラのような移動イスに乗って生活する丸々と太った人間たちが、超モダンな住空間で生きる姿を空想的に描いているのだが、去勢されて窒息しそうな生き様が象徴的で面白い。

   イヴは、植物が生息しているかをどうかを探査する目的で、地球に送り込まれていたのだが、ウォーリーの持ち込んだ、ひょろっとした弱々しい苗木を見て、艦長は、地球への帰還を決定する。
   これに抵抗して地球帰還を阻止するロボット集団との戦いなどが展開されるのだが、ウォーリーたちの奮闘で地球行きが成功し、ウォーリーは、再び地球上で、友のバッタにあう。

   この映画は、「ファインディング・ニモ」のアンドリュー・スタントン監督の最新作で、CG等コンピューター技術を駆使した壮大な冒険ファンタジーだが、地球温暖化などで廃墟となった地球の環境問題を背景に展開しながら、感情を持ったごみ処理ロボット・ウォーリーと銀白のロボット・イヴとの恋の物語を詩情豊かに描いた物語である。
   随分、以前に、宇宙から飛来したETと少年との感動的な愛の映画が、一世を風靡したことがあるが、あの映画よりは、もう少し淡白ではあるが、700年の眠りから覚めて、思い詰めながら必死になってイヴにアプローチするウォーリーの姿が実に健気で、感謝されてイヴにキスされて恍惚となったウォーリーの表情など、これまでの銀幕のどの名優たちの名演技よりも感動的でさえある。  

   地球の運命を決するのも、ウォーリーとイヴのロボットの恋を取り持つのも、葉っぱが数枚ついただけのたった一本のひ弱な幼苗。
   緑の地球が如何に美しくて素晴らしいか。人と人との触れ合い、そして、一途に思う男女の愛が如何に素晴らしいことなのか。廃墟と化した地球と進化した無味乾燥な技術万能の宇宙空間、そして、人間の感情を持ったロボットを主役にして描きあげた今様お伽噺が、この映画である。
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ベートーヴェンは凄い!~小林研一郎&イワキ・メモリアル

2009年01月01日 | クラシック音楽・オペラ
   恒例のベートーヴェン交響曲全曲演奏会が、東京文化会館で、大晦日の午後2時に開演し、翌日元旦の朝1時20分に、観客の熱狂的な興奮のうちに幕を閉じた。
   昨年同様、小林研一郎が全曲指揮し、管弦楽団は、当初からの篠崎史紀コンサートマスター率いるN響主体のイワキ・メモリアル・オーケストラ。
   今回で6回目だが、私は、2回目からの聴衆で、指揮者は、最初の2回は岩城浩之、亡くなられたので、翌年は、別々の9人、そして、最近の2回は小林研一郎だが、
   とにかく、剛直で寸分の狂いもなく精密機械の如くソリッドで巨大なゴチック建築の大聖堂のような(?)9曲のシンフォニー全曲を、一人の指揮者と同じオーケストラで、半日で連続して一挙に演奏するのであるから、大変な難行苦行の試練である。

   正味6時間の交響曲を11時間で演奏するのであるから、連続演奏は、第1番と第2番だけで、その後の交響曲は、夫々休憩時間を挟んで演奏され、第4番と第5番(運命)との間には、90分の大休憩が入り、その休憩の時間を利用して何回かに分けて、企画運営の三枝成彰氏が、楽団員などを交えたインタビューなどでベートーヴェンや交響曲についての解説を行う。
   ところで、今回は、開演の遅れや観客の熱狂的な拍手が鳴り止まなかったり色々なことが重なって、どんどんプログラムが後にずれ込み、第8番から第9番との休憩を15分間詰めたが、結局、終演時間は30分近く遅れた。
   ベートーヴェンの全交響曲を、一挙に、一人の指揮者が同じオーケストラを振り続けるのであるから、必要な休憩時間の確保は死活問題であり、電車遅延の回復とは違うので仕方がなかろう。

   ベートーヴェン教のグルのような三枝氏であるから、ベートーヴェンが最初に偉大な芸術作品を作曲した本当の音楽家であって、それ以前のバッハもハイドンもモーツアルトもいわば職人だと言って憚らない。人を楽しませるために、線香花火のような音楽を作曲しただけで、同じ調子の殆ど区別のつかない何処を切っても殆ど変わらない金太郎飴のような没個性の音楽であると言った調子で、ベートーヴェンしか作曲家は居ないと言った口ぶりの解説が続く。
   今回も、ベートーヴェンは、100年後にも生き続ける偉大な芸術的な財産として残そうとして、自らの曲に番号をふって作曲した唯一最初の作曲家であり、同じ調子の曲ばかり作曲しているモーツアルトなどと違って、毎回、違った音楽を作曲しようと努力していたから大変だと言う。
   ベートーヴェンの偉大さには疑いがないとしても、三枝論には異論があるが、例えばモーツアルトについてだが、昔、小澤征爾が、モーツアルトの音楽を称して、神様がモーツアルトの手を持って書かせたとしか思えないと語っていたのだが、この言葉で十分に反論となっているであろう。

   この「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2008」の素晴らしさについては、論を待つまでもなく、とにかく、最初から最後まで感激の連続で、大晦日の午後を上野の劇場でベートーヴェン三昧で過ごして、ベートーヴェンの歓喜の歌を聴きながら元旦を迎えるのは最高だと思っている。
   昔は、家族と居間で紅白歌合戦を聞きながら大晦日の夜をすごして新年を迎えていたのだが、すっかり、この虜になってしまって、深夜、遅く、京成の鈍行に乗って、成田さんへの初詣客に混じって、夜明け前に家に帰る習慣がついてしまった。
   
   年末には、東京でも、在京のトップ・オーケストラをはじめ外来の管弦楽団をも加えて、多くの楽団が、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」を演奏する。
   しかし、この演奏会では、第1番から、ベートーヴェン交響曲の連続演奏で助走をつけながらムードを盛り上げて、一挙に、興奮の極に上り詰めて行く醍醐味があり、単独での第9演奏会とは、全く違った独特の楽しみがある。
   本来なら、長時間の演奏で疲弊しきっている筈の指揮者と管弦楽団が、不死鳥のように蘇って、実にダイナミックで艶やかな溌剌とした「合唱」を聴かせて、満場の聴衆を沸かせるのである。
   今回、世界的なソプラノ中丸三千繪を筆頭に、アルトの相田摩純、テノールの吉田浩之、そして、非常に朗々とした素晴らしい感動的なオーフロイデでスタートしたバリトンの福島明也のソリスト陣も、武蔵野合唱団の素晴らしさも特筆すべきであろう。

   さて、一寸気になったことだが、少し、この演奏会も俗っぽさが目に付き始めたことである。
   冒頭の第1番や第2番あたりから、ごーっと叫び声をあげる熱狂的な歓声が沸きあがることで、どう考えても、N響や都響の普通の演奏会と大差ないほどの出来だと思うし、第5番や第7番などでは、私が欧米での演奏会で、トップ・オーケストラでも経験したことのないほどの熱狂振りで、殆ど、何でも拍手する観客が多すぎると言う感じがし始めている。
   ひどいのは、コバケンの親衛隊か熱烈なファンか知らないが、何時も、最前列中央に陣取って、曲が終わると立ち上がって拍手し続ける3人組が居ることで、興ざめも甚だしい。
   コバケンに、ロンドンで、ご自身の演奏について聞いたことがあるが、ロンドンの聴衆は、「演奏してみろ。聴いてやろうじゃないか。」と言う態度で接してくるので怖いと言っていたが、東京では、コバケンの追っかけと言うかファンが多すぎて、やりにくいのではないかと思っている。
   ベートーヴェンよりも、軟弱な聴衆の方が凄く怖いのではないであろうか。
   
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