熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭:フェイジョアが咲き乱れている

2013年06月10日 | わが庭の歳時記
   梅雨時に、私の庭に咲く花は、フェイジョア。
   ブラジルの花だと言うので、懐かしくなって、30年前に植えたのだが、その木の孫くらいの木が4本残っていて、毎年、この季節に咲く。
   4年間ブラジルにいて、フェイジョアの名前は知っていても、当時は、花も実も見たことはないのだが、とにかく、変わった花で、厚ぼったい4枚の巻き上がった花弁に、突出した赤い太い雌蕊の周りに、沢山の放射状の雄蕊が伸びる不思議な花で、異国情緒十分で、如何にも、ブラジルと言う感じがする。
   私の庭のフェイジョアは、一種類なので、受粉と実成りが悪いのだが、偶に大きく熟した実を食べると、ジェリー状で、結構甘い。
   
   
   

   
   梅雨と言えば、アジサイなのだが、わが庭に1本だけあるアジサイは、冬に切り詰めたので、まだ、固い蕾のままである。
   代わりに、白い柏葉アジサイが咲いている。
   花ザクロの蕾も、開き始めた。
   そのほかに、咲き始めたのは、ユリの花で、何を植えたかさえ覚えていないのだが、庭のあっちこっちに長く伸びていた茎の先がほころんで、咲き始めて、アゲハチョウが、替りばんこに訪れて来る。
   ホタルブクロや、クレマチスも咲いている。
   これらは紫色系統なのだが、何故か、今の私の庭には、黄色いユリと黄色いバラの花が主体で、黄色い色が庭を占めている感じである。
   黄色は、中国でも高貴な色であり、ロシアや北欧などでも、黄色い外壁の綺麗な建築物があって素晴らしいのだが、黄色いバラの花ことばが、別れと言うこともあって、それ程、良い印象を持っていないのに、不思議ではある。
   
   
   
   
   
   
   

   ところで、バラだが、2番花が咲き始めている。
   黄色い花ばかりと言ったが、一つは、フレンチローズのロソマーネ・ジャノン。
   ピンクも咲いている。うららである。
   やはり、2番花は、花が小さかったり、多少歪であったりして、一番最初に咲く花とは違っており、返り咲きのバラは別として、夏の花は避けて摘心して、秋に備えたいと思っている。
   
   

   遅ればせながら、アサガオの種を蒔いた。
   私の場合は、総て西洋アサガオで、一房に3つも4つも花が咲くので、一つずつ、先に花が上がって行く日本アサガオよりも面白い。
   最近、コバルトブルーのアサガオの種が出回らなくなって残念なのだが、今年も、グリーン・カーテンを作ろうと思っている。

   大分、庭木が生い茂って来たので、ばさばさ、ハサミを入れて切り詰めている。
   松は、青葉摘みをミスったので、邪道だが、新芽をバサバサ鋏を入れてトリミングした。
   今年は、秋に、植木屋さんに入ってもらうことにしたので、夏は、取りあえず、私が、適当に庭仕事を片づけようと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマト・プランター栽培記録2013(8)桃太郎ゴールド肥大する

2013年06月09日 | トマト・プランター栽培記録2013
   桃太郎ゴールドの花房が、2番まで咲き始めて、第1花房の実が肥大し始めて、10円コインくらいになってきた。
   6本植えたのだが、個体差があって、1番花房が成長せずに消えて、2番花房が結実し始めたり、ミニトマトのように二股の花房が出来たり、3つしか受粉しなかったり。
   しかし、電気歯ブラシの受粉アシストによって、大体結実しているので、各花房に、3つか4つの実を残して、実を育てようと思っている。

   中玉トマトのレッドオーレの実も大分肥大してきた。
   中玉トマトなので、歯ブラシは当てなかったが、中玉とミニは、自然受粉のようで、心配はない。
   
   
   イタリアントマトが、大分大きく成長してきて、花をつけ始めた。
   半分くらいは、大きなトマトのようで、木の幹が太くてしっかりしており、花も、少し大きいようで、この写真は、マルマンデと言う種類の花だが、花に歯ブラシを近づけると白い花粉が飛び出した。
   もう一つのローマと言う種類は、普通の花の大きさである。
   
   

   アイコも、下から結実し始めて、第6花房まで、しっかり見えるようになった。
   大体、1花房には、15個+αくらいの実がなるのだが、この写真のように、二股に分かれて20個以上実がなることもある。
   4本とも、2本仕立てにしたのだが、二本目の木には、既に、第2花房が咲き始めている。
   今のところ、主枝の上の方の花房には、異常なく花がついているようなので、このまま、2本仕立てを続けようと思っている。
   
   

   一番最初に植えたピンクのミニトマトは、一番順調で、第3花房には、二股に分かれて、沢山の実がなっている。
   比較的、背丈が低いので、この状態では、第7花房くらいまで、育てられそうである。
   ビギナーズ・トマト、まずまずの出来で、この写真は、第2花房の状態である。
   フルーツルビーEXも、第1花房が結実した。   
   夫々、出来は、まちまちだが、特に異常はないので、順調だと思っている。
   
   
   

   タキイの虹色トマト・シリーズは、苗によっては、第1花房が、発育不良で花が落ちたのもあるが、第2花房以上は、順調に、花房がついて、結実し始めていて、まずまずの出来である。
   この写真は、ブリュネルと言う種類だが、第1花房が、しっかりと結実して、実が大きくなり始めている。
   週末に、一握りずつの有機肥料を、夫々の株もとに撒いておいた。
   それ程、肥料が不足しているようでもなく、順調だが、結実して、実が大きくなり始めているので、施肥したのである。
   葉が巻き上がれば、肥料過多なのだが、様子を見ようと思っている。
      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場・・・歌舞伎「紅葉狩」

2013年06月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の歌舞伎は、学生や社会人を対象にした普及版とも言うべき一幕物の歌舞伎だが、一切手を抜かずの本格的な舞台で、十分に楽しめる。
   前半に、歌舞伎の見方と言う若手歌舞伎役者が、舞台装置や鳴り物、役者や演者などを動員して、歌舞伎全般について説明を行うので、結構、歌舞伎の裏側が見えて面白い。

   さて、今回は、能の「紅葉狩」を歌舞伎に仕立てた舞台で、華やかでスペクタクルあり、見せて魅せてくれる。
   戸隠山の鬼神(扇雀)が、素晴らしい美女に化けて、平維茂(錦之介)を誑かして紅葉狩りの酒宴に招いて酔い潰して殺そうとするのだが、それと悟った維茂が、鬼神に戦いを挑んで、名刀・小烏丸の威徳によって退治すると言う話である。
   したがって、前半は、全山紅葉に輝く美しい舞台をバックに、鬼女が化けた更科姫(扇雀)などの華麗な舞のシーンが展開するなど綺麗な舞台で、後半は、恐ろしい隈取をした鬼女と維茂との激しくも華麗な戦いのシーンが繰り広げれれる。
   謂わば、お伽噺風のメルヘンタッチの舞台なのだが、大体、鬼の出る日本の民話は、総て、先住民など被支配集団を鬼に仕立てての話なので、勝てば官軍的な話で、それ程、褒められた話でもないのである。

   能では、八幡八幡宮の末杜の神(アイ)が、維茂の前に現われ、神剣を授け、鬼神を退治するように神勅を伝えるのだが、歌舞伎では、山神(虎之介)が、八幡大菩薩の命を受けて危険を知らせに登場すると言う設定になっている。
   興味深いのは、歌舞伎では、更科姫が、鬼神の正体を現すので、鬼は女だが、能では、鬼神を男女どちらにも解釈して、男の場合には、顰(しかみ)の面、女の場合には、般若の面をかけ、当然、装束もそれに合わせて換えると言う。

   今回の歌舞伎の舞台だが、大概、能から歌舞伎化された舞台では、松羽目ものと言って、勧進帳や、今回、歌舞伎座で上演されている「土蜘蛛」などのように、殆ど、松をあしらった能舞台を模した背景になっているのだが、この紅葉狩は、普通の歌舞伎の舞台と同様に、全山紅葉の非常に美しい舞台設定になっていて、真ん中に、巨大な老松の幹を置いて、松羽目ものの象徴としているのが、非常に興味深いと思った。
   もう一つ、興味深いのは、三味線のなかった頃の音曲とは異なって、囃子と地謡との能舞台とは違って、義太夫、常磐津、長唄の華やかな競演が、更に、舞台の華やかさとダイナミズムを演出していることである。

   能は、無駄や余剰を徹底的に切り詰めて、芸を凝縮・昇華させた状態で演じるので、全山紅葉の極彩色の目くるめく様な素晴らしいシーンであっても、紅葉を飾った小さな作り物が舞台に設えられる程度で、能役者のセーブした舞や、囃子や地謡の表現を観て聴いて、一切を思い浮かべて鑑賞しなければならないのであるから、同じ次元で、同じ主題の舞台を楽しむことは、実に難しいと言うことである。
   歌舞伎は、その能の世界を、視覚的にも音響的にも、そして、ドラマ的にも、もっと、リアルに具体的に、表現しようとした舞台芸術であって、更なる、創造を加えて生み出された芸能だと言うことかも知れない。

   以前に、能の「安宅」と歌舞伎の「勧進帳」の関係などのついて書いたことがあるのだが、その中で、
   ”ところで、この「安宅」について、九世銕之丞が、「能のちから」で、先代が、喝采を浴びた「勧進帳」に影響を受け、歌舞伎から逆輸入して「安宅」の演技を再構築した部分もあるのではないか、と言う言い方をしていた。と語っている。
   能も演技の一部であり、演技と芝居は同義語だと考えていたので、能として生々し過ぎたり、妙に媚を売るような演技は言語道断で、それなりの抑制された演技のやり方で芝居をやることはあっても良いと考えていたようで、自分もその伝承を受けているのだが、(その振幅の)判断が難しい。とも言っている。”と書いたことがあった。
   私は、能と歌舞伎を見ていて、そのような接点が、もっともっとあっても良いのではないかと思っている。

   同じく、銕之丞が、同じ本で、「井筒」のような幽玄な演目と違って、この紅葉狩は、誰もが子供の頃に思い描いた「怪物を倒して、綺麗なお姫様を助け出して結婚して」と言った、現在で言えば「ハリー・ポッター」のように、単純に夢のような活劇として捉えた方が楽しいと思う、と言っており、思い切り視覚的に楽しませてくれる能だと言っているのだから、一番、歌舞伎には、似つかわしいストーリーだったと言えるのかも知れない。

   さて、更科姫の舞だが、能では、酒宴の場で舞われるシテ/美女の舞は、まず、優雅な「序ノ舞」だが、維茂が眠り込むのを見届けると「急ノ舞」に変わり、鬼の本性を垣間見せるのだが、この点、扇雀の更科姫の踊りは、もっと具体的だし、それに、踊りも、二枚の扇を器用に手にして舞う振りなど、赤姫の美しさ優雅さが傑出していて素晴らしい。
   そして、後半の舞台では、扇雀は、恐ろしいばかりの隈取をした鬼の姿に変身して、大立ち回りを演じて、いつもの綺麗な女形とは違った新境地を見せてくれた。

   錦之介の余吾将軍維茂は、文句なしの適役で、風格と優雅さがあって素晴らしく、座長役者としての貫録十分である。
   今回、歌舞伎の見方の解説役として登場した侍女・野菊で出た隼人が、錦之介の長男、山神の虎之介が、扇雀の長男で、夫々、素晴らしい若手として活躍していて頼もしいと思って見ていた。

   さて、歌舞伎座の「土蜘蛛」も、能「土蜘蛛」の本歌取りの舞台である。
   菊五郎の隠れている土蜘蛛の塚が、丁度、能舞台の作り物そっくりで、随所に、能の舞台を彷彿とさせて面白いのだが、これについても、能舞台と絡ませて、印象記を書いて見たいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狂言「文荷」能「藤」を観て神保町、そして「国立名人会」

2013年06月05日 | 今日の日記
    今日は、観劇日と言うことにして、午後一番に、国立能楽堂に行って、狂言「文荷」能「藤」を鑑賞して、夜は、国立演芸場で、「国立名人会」で、トリは、落語協会会長の柳家小三治である。
   国立能楽堂主催の公演は、都合がつけば、毎回出かけているので、今日は、謂わば、今月の初日で、入場すれば、真っ先に、6月号のプログラムを買って読む。
   事前には、大概、演目の関係資料を見て、勉強して行くのだが、今回の能「藤」については、かなり持っている私の関係書籍には殆ど記されていないので、こんな場合には、詞章もあり、非常に丁寧に説明がされているプログラムが、重宝する。

   狂言の「文荷」は、こともあろうに、恋文を、主人に託された太郎冠者と次郎冠者が、恋の重荷だと竹竿にかついで謡いながら届けに行くのだが、途中で中身が読みたくなって読むうちに奪い合って手紙が千切れてしまう。
   風の便りだからと、扇であおいでいるところへ、帰りが遅いので見に来た主人に、見つかって、唾で張り付けた手紙を返事だと言って渡して逃げるのを、主人が追っ駆けて幕。

   これは、能の「恋重荷」のパロディ版と言うべきで、深刻な恋煩いの能とは雲泥の差で、恋し恋しとこれだけ書いてあれば小石でも重い筈だと言った駄洒落の連発だが、この恋文だが、実は、女性ではなく、稚児への手紙であるところが面白い。
   先月、この国立能楽堂で、片山幽雪の「関寺小町」を観たのだが、この時も、関寺の住僧たちが寵愛する稚児を連れて登場し、老女小町が、稚児に酒を注がれてほろりとして優雅な舞に触発されてよろよろしながらも、五節の舞を思いながら舞うと言うシーンがあるのだが、当時、乙女のように初々しく着飾った稚児に思いを馳せると言う男色趣味が普通であった名残であろうか。

   あのプラトニック・ラブ(Platonic love)だが、今では、「肉体的な欲求を離れた、精神的な愛」と言うことになってはいるが、元々は、「プラトン的な愛」と言うことで、男同士の愛で、
   ウイキペディアによると、プラトンの時代にはパイデラスティアー(paiderastia、少年愛)が一般的に見られ、プラトン自身も男色者として終生「純潔」というわけではなかった。プラトンは『饗宴』の中で、男色者として肉体(外見)に惹かれる愛よりも精神に惹かれる愛の方が優れており、更に優れているのは、特定の1人を愛すること(囚われた愛)よりも、美のイデアを愛することであると説いた。と言うことで、洋の東西を問わず、男色趣味が普遍であるのが面白い。
   義満と世阿弥、信長と蘭丸の男色関係は、有名である。

   話が脱線して長くなったが、能の「藤」だが、旅の僧(ワキ/森 常好)が、越中の多祜の浦の岸辺に爛漫と咲き乱れる藤の花を眺めながら古歌を詠ずると、美しい女人(シテ/里の女 梅若万三郎)が現れて、万葉集などの藤に因む和歌を語るうちに夕映えの花影に消えて行くと言う幻想的なシーン。
   月の出とともに、藤の花の精が美しい姿で現れて、四季の移ろいと花の美を語りながら序ノ舞を舞って、曙の薄明かりに消えて行く。
   藤の花を飾った天冠を頂き、藤色の装束に黄色い綺麗な衣を身につけた幽玄な能面の藤の精の美しさは格別で、序ノ舞の優雅さも感動的である。

   さて、次は、半蔵門で下りて、国立演芸場だが、時間があったので、どうしても、何時もの習慣で神保町で沈没して、書店めぐり。
   膨大な新しい本が出ているのだが、興味のある本のコーナーは決まっていて、判で押したように、同じルートを辿っている。
   買った本は、
   経営イノベーション50研究会編「競争に勝つ条件」
   藤原帰一著「戦争の条件」

   少し時間があったので、スターバックスよりマックの方が空いていそうだったので、マックに入って、読書しながら、小休止。

   さて、国立演芸場は、満員御礼で、何時もの、上席、中席の日とは違って、場内は一杯で、開演前まで、外で時間を待った。

   月に最低一度くらいは、落語を聞きに、この演芸場や他の演芸場に行っているのだが、まだ、それ程、年季が入っていないので、初歩の初歩と言うところだが、この頃、噺家は、実に話が上手くて、飽きさせない話術の冴えに吃驚している。
   関西にいた時には、漫才が主体だったが、東京は、演芸場では殆ど落語だし、まだ、面白い漫才を聞いていないので、最近では、落語の方に魅力を感じている。
   本題の古典落語の面白さもそうだが、落語の演題に合ったまくらも面白いのだが、カレント・トピックスをアレンジしたり、自分の経験や思いを適当にあしらって語るまくらの面白さも興味津々で、全く、他愛無くて、毒にも薬にもならない無駄話が多いのだが、それはそれで、一幅の清涼剤となって楽しめるのである。

   
   女性初の真打だった古今亭菊千代が、西行の歌道の旅での噺で「鼓が滝」
   信用金庫で働いていたと言う柳家〆治は、千葉のお大尽を嫌って会わない花魁が死んだと言って若い衆にお墓に行かせるのだが、いい加減な墓ばかり案内して、どの墓だと言われて、よろしいのをお見立てを、と言う「お見立て」
   面白いのは、「井戸の茶碗」を語った金原亭伯楽が、柳家小三治が、18人抜きで真打に昇進した時に、抜かれた18人が可哀そうだと言うので、次の会長が全員真打を乱発して、追加で真打になったのが、自分と林家木久扇だったと言って、その内幕本を書いたのが自分で、売店に並んでいると紹介。次の休憩時間に、売店に並んだ客に、「小説・落語協団騒動記」のサイン本を売っていた。
   柳亭小燕枝は、「万金丹」。江戸で食い詰めた二人の風来坊が、俄か坊主になって、住職の留守に葬式を行って、戒名が欲しいと言われて切羽詰って、万金丹の袋を渡して、言い逃れる話で、あの「ちはやぶる・・・」の話の類である。
   もう一つは、翁屋和楽社中の「曲芸」。

   最後は、大御所の柳家小三治の十八番とも言うべき「やかんなめ」。
   出囃子に乗って登場した瞬間から、観客の熱い期待と緊張感で場内は熱気を帯びるのであるから流石である。
   まくらは、同窓会の話から、「僕誰だか覚えている?」と言って来るのが一番困るんだと言いながら、本題が、「やかんをなめれば、癪が治る」と言う「癪の合い薬」の話であるから、ひとしきり、合い薬など薬の話などをするのだが、あっちこっち脱線して、本題に入ったのは、終演予定時間間際で、20分以上もオーバータイムの熱演で、流石に、日本一の噺家だと思って、話術の巧みさに聞き惚れてしまった。

   この話は、向島に梅見物に出かけた大家の奥様が途中で癪を起して七転八倒。この奥様の癪の合い薬は「やかんなめ」で、あいにくやかんはなかったが、通りかかったお侍の頭がやかんそっくり。決死の覚悟で、侍に頭を舐めさせてくれと頭を下げる女中と、無礼打ちだとカンカンになって怒る侍、笑い転げる侍の連れ、この錯綜した息詰まるような一部始終を、小三治は、舞台で頭を擦り付けたり仰け反ったり、百面相の表情よろしく、熱演の限りを尽くして感動ものである。
   仕方なく許した頭を、奥様は、侍の頭にしがみついて必死になって舐め回してかぶりつき、
   後で、侍の頭がヒリヒリと痛むので、連れの者に見させると頭に歯形がくっきり。「キズは残っていますが、漏(も)ってはいません」。と言うのがオチだが、とにかく、凄まじい。

   この話、侍ではなく、二人連れの江戸っ子と言うバージョンもあるようだが、やはり、侍だからこそ、面白いのであろうと思う。
   家に帰ったら、11時を回っていたが、面白かった。

 



   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリス・アンダーソン著「メイカーズ」

2013年06月04日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のタイトルの「メイカーズ THE MAKERS」は、製造業一般をさすのではなく、「デジタルツールを利用して画面上でデザインして、デスクトップの工作機械でものづくりを行うメイカーズで、次に、ウェブ世代のこのメイカーズは、当たり前に自分の作品をオンラインでシェアする。モノづくりのプロセスにウェブ文化のコラボレーションを持ち込むことで、メイカーズは、これまでのDIYに見られなかったほどの大きな規模で、一緒になって何かを創り上げて行く。」のだと言う。

   すなわち、メイカーズは、DIY(専門業者に任せず自分でものを作る)ムーブメントをオンライン化することで、オープンソースによってパブリックの場でものづくりを行うことで、巨大な規模のネットワーク効果を生み出す、デジタル・マニュファクチュアリングとパーソナル・マニュファクチュアリングが一体となって起こる第三次産業革命ともうべき、メイカーズムーブメントの産業化であって、これが、次代の製造業の大きな潮流となると説く。

   まだ、製造業としての段階ではプリミティブだが、CADで作成したデザインを、3Dプリンタやレーザーカッター、CNC装置で作成して、製品として、インターネット販売すると言った総てICTデジタル・システムで成り立つメイカーズムーブメントが、小規模ではあるが発生している。
   これは、序の口だが、10年後には、このオープン・ビジネスを基にしたデジタルDIYものづくりが、当たり前になると言うのである。
   インターネットが、出版、放送、通信を民主化した結果、あらゆるデジタル活動に人々が参加するようになり、参加者の裾野がが爆発的に広がりビットのロングテール現象が起こったが、同じことが、個人が自分でものを作って発信すると言う製造の分野でももののロングテール現象が起ころうとしているのである。

   また、個人的に、高度な3Dプリンタや製造機器がなくても、CADファイルをアップロードすれば、見積もりを取ることが出来、世界で最高の製品を最安値で調達することが可能になっている。
   アマゾンの創始者ジェフ・ベゾフが関係するMFGドットコムは、世界最大のカスタム製造委託会社で、50か国に20万人以上の会員を持ち、これまでに1150億ドルを越える取引をしており、その取引品目は、日用雑貨から高度な製品まで多岐にわたると言う。
   製造業のサプライチェーンのすべての参加者が、CADから電子機器まで、総て同じファイル形式を使っているので、同じ言語で共通のプラットフォームを形成しており、情報伝達ロスもなく、取引コストはぐんと下がる。
   MFGは機械工場向けのサイトだが、中国のアリババ・ドットコムは、このモデルをあらゆる人のためのあらゆるものへと拡大しており、今や、世界のどこからでも、自分のデザインした作品を製造して、世界へ販売できるルートが整ったとと言うことなのである。

   このメイカーズムーブメントによって、デスクトップの制作機械と製造請負サービスが手軽に利用できるようになったおかげで、アイデアさえあれば、誰でも本格的な製造業を始められるようになり、また、ウェブのお蔭で、こうした製品をグローバルに販売できるようになった。
   物理的なモノづくりの世界での参入障壁が、急速に著しく下がったので、起業を促進する環境が生まれたことになる。

   しからば、次は、資金調達だが、アンダーソンは、サポーターや未来の顧客が商品の製造に必要な資金を援助する「クラウドファンディング」について紹介している。
   面白いのは、「キックスター」と言うシステムで、支援者が、一定以上の金額を、プロジェクト立ち上げ時に支払って、商品を予約する形式で資金を集めるやり方で、既定数に満たなければプロジェクトはポシャるのだが、非常に重要な利点は、初期段階に資金が調達できるのみならず、顧客をファンのコミュニティに変えると同時に、市場調査が必要がないと言うことである。
   ここで、興味深い記述は、ソニーが新製品のスマートウォッチを販売しようとした時に、キックスターが、先を越して、
   ほんの数人のメイカー的な起業家が、デザインでもマーケティングでも価格でも、世界最大手のエレクトロニクス企業の上を行く製品を作ったのだと紹介していることである。
   大きな車は回りが遅いと言うよりも、はるかに優れた逸材をグローバルベースで糾合出来るオープンビジネス、オープンイノベーションの勝利と言うべきだと思っている。

   このメーカーズムーブメントが、大企業を変えると言う章で、自動車産業と言う製造業中の製造業の雄である巨大産業を換えつつあるとして、このメイカーの原則に則って経営されているUSAのローカルモーターズを紹介している。
   自動車デザイナーがアイデアを公開し好きなデザインを選ぶサイトを立ち上げて、デザインをクラウドソーシングして、既成部品もほぼ同じように選ばれる。アイデアはオープンで特許で守らないので、他者がその上にアイデアを積み上げて全員で改善してゆき、また、在庫を持たず、買い手が頭金を支払って製造日を予約した後に、部品を買い付けて準備する。トヨタがジャストインタイム方式で部品を供給するサプライヤーたちの生態系を変えたので、必要なものはほぼ市場で調達できるようになったので、顧客の住む場所に近い工場で組み立てられる。

   
   更に、アンダーソンは、デジタル工作ツールで何でも内製する宇宙開発のスペースXシステムを自動車に応用しようとしている、多目的型のKAKUロボットが活躍している殆どオートメのテスラ社についても紹介していて、次代の製造業が如何にあるべきかを示唆していて非常に興味深い。
   デジタルマニュファクチュアリングが進行すればするほど、そして、クリエイティブ時代に突入して、多様化と更なる価値の創造が求められる傾向が強くなってくると、従来のマス・マニュファクチャリングが機能不全となり、分散化・民主化が進むと考えられる。
   このことは、ネットショッピングなどの商業やサービスやメディアなどソフトの世界で起こっていることが、正に、ハード、すなわち、ものづくりの世界で、起ろうとしてしていると言うことであろう。

   今日、産経電子版に、”「3Dプリンター」広がる期待と不安 “夢の工作機械”下請けに危機感”と言う記事が出ていたが、既に、メーカーズムーブメントの大きな潮流が、日本経済をも揺さぶり始めている。
   ICTデジタル革命によって、前述したように、個人も中小企業も、大企業と同列でメイカーズを営める時代になったのであるから、産業構造が大きく変わらざるを得ない、謂わば、下克上の時代に突入したと言うことである。

   アンダーソンは、このメイカーズムーブメントの進行によって、労務費等人件費の比重が低下して、グローバル経済が、コスト平等に近づくので、中国など恐れるに足らず、USA製造業にも未来があると語っているのだが、いずれにしろ、このメーカーズムーブメントの新しい潮流に、どう対応して行くのか、企業のみならず、国家としても考えなければならないことであろう。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマト・プランター栽培記録2013(7)イタリアントマトを植える

2013年06月02日 | トマト・プランター栽培記録2013
   偶々、ケーヨーディツーで、イタリアントマトの苗を見つけたので、衝動買いして、6種類1本ずつプランターに植えた。
   サントリーの苗木とは違う種類のようだが、味が淡白で、サラダなどに向くのが、イタリアンの良さで、ヨーロッパ時代には、結構楽しんだので、どんなトマトか、確かめもせずに、植えてみることにした。
   同じく、小玉だと言うので、カゴメのももことトマトベリー・キューピットも1本ずつ植えてみた。
   この段階では、どんなトマトが出来るかと言うよりは、変わったトマトが実れば良いと言う興味本位の栽培である。
   今月2歳になる孫が、大小色々なトマトを面白がって食べてくれれば上出来だと思っている。
   
   
   

   さて、一番最初に植えたピンクのミニトマトだが、3番花房まで結実し始めて、第5花房から第6花房まで見え始めて、順調に育っている。
   このあたりで、2メート以上になるので、摘心しようと思っている。
   
   
   
   
   

   フルーツルビーEXなど他のトマトも、結実して、大分大きくない始めており、タキイの虹色トマトシリーズのトマト苗は、夫々の個性があって、成長は、まちまちだが、トロカデロが一番順調なようである。
   桃太郎ゴールドは、電動歯ブラシの受粉サポートが功を奏したのか、結実し始めたようである。
   
   

   サカタのアイコは、レッドもイエローを結実して、あの独特の長円形の実を表し始めた。
   とにかく、生育旺盛で、どんどん、脇芽が出るので、取り忘れた脇芽を摘むのも可哀そうだと思って、2本とも、2本仕立てで育てることにして、一番日当たり良い場所へ移した。
   昨年も、2本仕立てで育てて問題がなかったので、大丈夫だと思っている。
   
   

   植えて1ヶ月経つので、結実して大きくなり始めた苗から、追肥をしようと思っている。
   今のところ、梅雨も足踏み状態のようなので、病虫害の被害もなく順調であり、早ければ、月末あたりから、収穫できるトマトもありそうである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルチル・シャルマ著「ブレイクアウト ネーションズ」

2013年06月01日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   BRIC'sの時代は、過去のもの。次にブレイクアウトして快進撃する成長国家はどこか。
   そんな問題意識を持って、殆どの新興国を踏破して、モルガンスタンレーのプロのインベストメント・ディレクターの視点から、BRIC'sのみならず、新興国や発展途上国を撫ぜ切りにレポートしたのが、このシャルマの非常に興味深い本である。
   ゴールドマン・ザックスのジム・オニールのBRIC'sやネクスト11とは、一味違った次の成長国家の分析であって、非常に、主観的な分析が先行している部分もあるのだが、政治経済社会などあらゆる分野に亘ってカバーしており、米国人的な視点からの各国の将来展望が興味深い。

   これまで、このブログで、BRIC'sの四か国については、シャルマの見解を紹介しながら、私なりのコメントを記して来たので、今回は、シャルマの見解を象徴している部分だと思うので、この本の終幕に近い第13章「宴の後の後片付け――コモディティ・ドットコムを越えて」に絞って、考えてみたいと思う。

   中国やその他の新興国が猛烈な勢いで成長し、「コモディティのスーパーサイクル」を今後も引っ張り続けると言う確信が、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリア、カナダなど、コモディティの輸出に頼って生きている多くの国々の将来に対する楽観論の主な根拠だが、シャルマは、これは幻想だとして、「コモディティ・ドットコム」と呼んでいる。
   このコモディティ・ドットコムと言う時代は、かってのハイテクブームのドットコム・バブルよりも、はるかに大きく、原油や生活必需品などのコモディティが値上がりすると、企業や消費者に負担がかかり景気に深刻なダメージを与えるので、はるかに悪い影響を世界経済に及ぼしていると言うのである。

   コモディティ・ドットコムが、ウォール街を魅了して、コモディティの金融商品化を実現して、超低金利で市場に溢れている大量の資金が殺到し、原油や銅そのたのコモディティ価格が、実需とは乖離して一斉に上昇を始めた。
   低金利の資金で景気を刺激しようと言う努力が、最早、効かなくなり、その資金が向かったコモディティ価格の高騰が、景気の首を絞めている。

   コモディティ・ドットコムのもう一つの背景に、中国の強力な成長がある。と言う。
   しかし、欧米日の凋落によって、世界経済に占める製造業のシェアは、この20年間で、23%から17%に急落しており、中国は、縮み行く池の鯉であって、原油やその他のコモディティに対する世界的な需要がいつまでも続く筈がなく、中国とコモディティとの関係も、そのうちに間違いなく崩壊すると言うのである。

   この200年間、コモディティ価格は、金を除いて、全体としてみると、着実に下落してきた。
   ある資源の価格が10年間上昇を続ければ、発明家は刺激を受け、在庫を節約するか、効率的に抽出したり使用するか、代替物を発明するなど様々な方法を思いついて、その価格は20年下がり続えるとする「10年値上がり、20年値下がり」サイクルで、主な産業用コモディティ価格は、1800年以降、70%下落した。
   今や、エネルギー効率が向上し、代替エネルギーや代替燃料車への莫大な新規投資も積極的に行われており、まだ、成果は表れていないが、原油価格の急激な値上がりが続いた10年間が終わろうとしており、まさに、これまでのパターンが繰り返されようとしているので、今後下落傾向に向かう。とシャルマは言うのである。

   コモディティ価格が値上がりすると、資源が豊富であるにも拘わらず、工業化や経済発展が遅れる「資源の呪い」と言う問題が深刻化する。
   貧しい国々で石油や貴重な鉱物資源が発見されると悲劇が起きやすい。
   コモディティ価格の急騰による「棚ぼた利益」によって、プーチンはロシア復活の星となったが、コモディティ以外は何のブランドも作り出すことが出来ず産業構造は旧態依然の状態であり、ルーラ大統領もブラジル再興の顏となったが、経済の脆弱性は解消できずオランダ病の弊害が起こりつつある。
   コモディティ・ドットコムの狂気の時代が終わると、ドットコムの時代がそうであったように、コモディティで贅沢三昧を謳歌できた国も企業も、壊滅的な打撃を受けるであろう。
   シャルマが、特に、ロシアとブラジルの将来に対して厳しい見方をしているのは、この辺の事情にもある。
   コモディティ・ドットコムの崩壊は、間違いなく、今後、コモディティ価格は下落傾向に向かうと言うのであるから、尚更である。
   コモディティ投資が有望であると主張し続けているジム・ロジャースと全く反対の見解であるのが興味深い。

   この章で、もっと面白いシャルマの見解は、中国のコモディティ・コネクションが崩れ、また、コモディティ価格下落のトレンドが起これば、明らかに利益を得るグループは、コモディティが値下がりすれば、経済成長の阻害要因になりかねないインフレ圧力が低下するインド、トルコ、エジプトと言ったコモディティの輸入国だろうと言うことである。
   戦後の歴史を見ると、奇跡的な成長を果たした国の圧倒的多数は、製造加工業の国で、コモディティの輸出国ではなくて、輸入国であり、その筆頭は、日本だと言うのである。

   更に、シャルマは、このコモディティ価格急落は、石油やその他の原材料輸入に対する支払いがかなり重く、経済的苦境に陥っている西側経済にも、追い風になる筈だと言う。
   その後、アメリカのIT産業の再ブームの可能性や、テクノロジーやR&D,イノベーションなど先端分野で優位に立ち、オープンイノベーションやライトイノベーション、さらに、ソフトウエアの分野での快進撃で最先端を行くアメリカの可能性について語っている。

   いずれにしろ、ブラジルやロシアのような、最近のし上ってきた国々の光は色あせ、アフリカ、中東、ラテンアメリカの原油輸出に依存している国の独裁者たちによるあからさまな脅威は、流れ星のように消えてしまうと言っており、コモディティ・ドットコム景気に胡坐をかいて、産業構造の合理化近代化など国家発展政策を取って来なかった国に対しては、シャルマは厳しい見方をしている。

   次のブレイクアウト・ネーションとして、トルコやインドネシア、チェコ、ポーランド、韓国、フィリピン、スリランカ、ナイジェリアなどを挙げており、ジム・オニールのネクスト11と比較すると面白いが、要するに、執筆時点のレントゲン写真であるから、現状は刻々と変わっていると考えるべきであろう。
   シャルマは、その国のリーダーの質や実力を非常に重視しており、為政者如何によって大きく国情や発展推移が変わる現状を活写しており、また、ブラジルやインドには、真剣さが足りないと言ったコメントでも分かるように、国家政策や政治経済社会の腐敗ぶりなどにも、国家発展のポイントを置いていて、生き生きとした新興国レポートであり、非常に、教えられることが多い良書であると思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする