熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

壽初春大歌舞伎・・・「金閣寺」「蜘蛛の拍子舞」「一本刀土俵入り」

2015年01月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   祇園祭礼信仰記の「金閣寺」は、幸四郎や團十郎などの重鎮の舞台で、雪姫も玉三郎と言った頂点を極めた女形の舞台を観て来たのだが、今回は、一挙に、役者たちが若返って、松本大膳が染五郎、此下東吉が勘九郎、雪姫が七之助と言う陣容で、溌剌とした舞台を見せていた。
   後の「蜘蛛の拍子舞」で、坂田金時で豪快な押戻しを演じた染五郎が、ここでも、中々堂に入った大悪の大膳を、スケールの大きさを感じさせる素晴らしい演技で、新境地を見せてくれた。
   それに、東吉の勘九郎の風格と言い、雪姫の七之助の初々しさと言い、多少、若さを感じるのだが、初春の素晴らしい幕開けを演じていて素晴らしい。
   軍平の男女蔵、鬼藤太の廣太郎の面白さ、それに、存在感を示した直信の笑也、慶寿院尼の門之助などの脇役陣の活躍も見逃せない。

   随分前に、幸四郎の茂兵衛、雀右衛門のお蔦で、長谷川伸の「一本刀土俵入り」を観たことがあるように思う。
   上州勢多群の駒形を故郷とする侠客がモデルだと言われている物語だが、しみじみした人間味が全編に流れていて、味のある芝居である。

   渡世人となった茂兵衛は、幸四郎の本来の役どころなので違和感がないのだが、冒頭の空腹でふらつきながら登場する朴訥そのもので誠実一途の取的は、イメージをはるかに超えた風貌ながら、中々、雰囲気が出ていて魅せてくれる。
   それに、魁春のお蔦が、正に、直球勝負で、あばずれ酌婦の哀愁を漂わせながら情の深さと人の良さ優しさを滲ませていて、最後に普通の妻母に戻る姿を、淡々と演じていて素晴らしい。
   博労の親分波一里儀十の歌六と、お蔦の夫船印彫師辰三郎の錦之助は、正に、地で行ったような適役で、本領発揮と言うところであろう。

   水戸街道の取手の茶屋旅籠・我孫子屋の二階の窓にもたれて酌婦お蔦が酔いをさましているところへ、空腹でふらふらしながら取的の茂兵衛が通りかかる。
   総てを失って天涯孤独となった茂兵衛が、破門された相撲の親方のところへもう一度入門をゆるしてもらおうと江戸へ向かう途中で、亡き母に報いようと誠心誠意の茂兵衛に心を打たれたお蔦は、持っている金全部と櫛、簪まで茂兵衛に与えて立派な横綱になるようにと励ます。茂兵衛は、この親切を生涯忘れないと誓って江戸へと旅立つ。
   十年後、渡世人となった茂兵衛が、お蔦を尋ねてやって来ると、あの時お蔦が歌っていた小原節の歌声が聞こえたので、居所を知る。
   細々と暮らすお蔦と娘のお君のところへ、行方知れずであったイカサマに手を出して追われている夫の辰三郎が帰って来ており、そこへ、博労の親方・儀十たちが乗り込んでくる。

   茂兵衛が、お蔦家族をかばって、博労たちをたたきのめして、「お行きなさんせ、・・・仲よく丈夫でおくらしなさんせ。」と促して、
   「お蔦さん、棒切れを振り廻してする茂兵衛のこれが、十年前に、櫛かんざし、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見て貰う駒形の、しがねえ姿の、土俵入りでござんす。」

   「蜘蛛の拍子舞」は、玉三郎の独壇場の舞台。
   源頼光と家臣四天王たちによる妖怪土蜘蛛退治を題材にした舞踊劇で、能の「土蜘蛛」に登場する胡蝶を土蜘蛛に変えたような妖艶な舞台であり、玉三郎の美しい白拍子妻菊から恐ろしい女郎蜘蛛の精へと変身を遂げる素晴らしい舞姿が、見所であろう。
   渡辺綱の勘九郎と源頼光の七之助が華を添え、坂田金時の染五郎が、豪快な押戻しで荒事を見せる。

   もののけが現れるという廃墟のようになった御所の検分にやって来た源頼光と綱たちの前に、美しい白拍子妻菊が現れて、頼光たちを色仕掛けで誑かそうと一緒に踊るのだが、実は、蜘蛛のもののけで、オドロオドロシイ蜘蛛に変身して暴れ回ると言う話。
   1時間ほどの舞踊劇で、華麗な踊りの後の立ち回りと押戻し、ストーリー性は全くないが、見ていて楽しい。

   正月なので、歌舞伎座全体が明るく華やかな雰囲気だったが、観劇途中に、体調不良で運び出されたり退出する人が出ていたが、これも、社会全体の老齢化の象徴であろうか。
   私など、歌舞伎や文楽に行けば、能や狂言、落語やシェイクスピアにも行くと言った節操のない観劇愛好家にとっても、歳の所為か、4~5時間続く歌舞伎の舞台は、演目によっては、多少、ダレを感じることがある。
   相変わらずのマンネリ舞台とは違って、文楽のように、斬新なシェイクスピア戯曲の新作などが、出て来ると楽しいのだが。
   
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国立演芸場・・・小三治の「時そば」

2015年01月08日 | 落語・講談等演芸
   初笑いと言うことで、国立演芸場での「新春国立名人会」の千穐楽の日に出かけた。
   7日なので、まだ、新春の松飾も鮮やかに装いを凝らした玄関口も、華やかで面白い。

   正月なので、太神楽曲芸協会の寿獅子が演じられて、目出度さを演出。
   落語は、三三、雲助、文楽、市場、そして、トリに小三治と言う錚々たる面々で、その間に、紫文の俗曲、猫八子猫のものまね、松旭斎すみえの奇術、正楽の紙切りが入り、興味深い芸が続き、楽しませてくれる。

   事前に落語の演目のタイトルが明らかにされていないのは、まず、まくらで、お客さんの反応をマーケットリサーチして、その日の噺を決めるのだと、三三が、語っていた。
   三三が「一目あがり」、雲助が「粗忽の釘」、文楽が「六尺棒」、市場が「花筏」、小三治が「時そば」なので、古典落語であり、いずれも、噺家は、違うが、これまでに聴いていて知っているので、丁度、ベートーヴェンの「交響曲第5番 運命」を聴いているようなもので、反芻しながら、そのバリエーションを楽しむと言った感じであった。
   

   「一目あがり」は、無教養な八五郎が、隠居に、「結構な賛でございます」と掛け軸を褒めれば尊敬されると教えられて、知り合いのところへ出かけるのだが、「蓮斉先生の詩(シ)だ」、「一休禅師の悟(ゴ)だ」とあしらわれて、「サン、シ、ゴと来て失敗つづき。今度は先回りしてやろう」と意気込んで、「結構なロクですなぁ!と言うと、いや、七福神の宝船だ」と言われ、次に、「古池や 蛙とびこむ 水の音」に、結構なハチで」と言うと「芭蕉の句だ」と言われる話。
   掛け軸について薀蓄を傾けた話を、馬耳東風で聞く職人の八との落差が面白い。

   「粗忽の釘」は、引っ越して来た亭主が嫁に「箒を掛けるための釘を1本打ってくれ」と頼まれて打った釘がめり込んで、隣宅の奥の間の仏壇の阿弥陀様のすぐ下から釘の先が出たと言う話だが、亭主が、謝りに向かいの家に行ったり、隣家に行って用事を忘れて夫婦の馴れ初めの話など関係のない話をして油を売る頓珍漢な受答えが面白い。
   この話は、上方オリジンのようで、結構長い話で、端折るなど話にもかなりバリエーションがあって、噺家によるその違いにも面白さがある。
   「六尺棒」は、放蕩息子の孝太郎が真夜中に吉原からほろ酔い機嫌で帰って来るのだが、親父が門口を閉ざして開けないので、火をつけようとする。怒った親父が六尺棒を持って外に出て追っ駆けるのだが、先に家に入った孝太郎が、親父を締めだして、攻守逆転する噺。
   

   「花筏」は、相撲の興行を請け負った親方が、部屋の看板力士・大関花筏が病気なので、体型も顔も良く似た素人の提灯屋の七兵衛に、顔を見せて座っているだけで良いと言って、代理で連れて行く話。
   しかし、素人ながら玄人を倒して無敵の網元のせがれと対戦させられることとなるのだが、相手の目と鼻の間に提灯屋の指が入って倒して、
   提灯屋だから、張り(=貼り)手が良いと言うオチ。
   これも上方落語のようだが、話に無理があって、一寸奇想天外を否めない話だが、相撲の呼び出しなど名人肌の市場だから、非常にテンポが小気味よく面白い。
   まくらで、相撲甚句に乗せて祝い唄を、素晴らしい美声で聞かせて愉しませてくれた。

   トリの小三治の「時そば」は、主な持ちネタの一つのようで、非常に面白く楽しませて貰った。
   YouTubeで、もう少し若い頃の小三治の「時蕎麦」が聞けるのだが、この方は、もっとテンポが速くて、江戸っ子の威勢の良さが心地よい。
   しかし、魅力的なのは、小三治の蕎麦を食べる仕草と口調などその表情で、録音では聞えてこない蕎麦をススル音の微妙なニュアンスまで醸し出されていて、びっくりするほどリアルで、正に、脱帽である。

   尤も、この噺は、代金を、小銭で払う時に、ひーふーみーと8文まで払って、今何時だと時間を聞いて、九つで!と応えたので、この分の1文の勘定をごまかす男と、それを横で聞いていて感心して真似る間抜けを描くのが主眼である。
   そのために、時間を違えて行った間抜けが、8文まで払って、今何時だと聞いた時の答えが、「四つで!」、いつ、むー、なな・・・。
   これが、オチ。過払いである。

   その上に、先の客は、蕎麦屋を、サーブの速さから、割り箸、器、香り、味、本物のちくわなど褒め上げるのだが、間抜けの方は、これとは総て全く逆で、どうしようもない蕎麦屋に遭遇して、無理に言い訳しながら蕎麦を食べなければならない、その哀れさが、何か、人生を象徴しているようで、その泣き笑いに、身につまされながら聞いていた。

   小三治のまくらは、SUICAの話。
   蕎麦屋の掛け声も、中々の美声で、非常に味わい深い素晴らしい話ぶりで、しみじみとした人情味豊かな語りを楽しませて貰った。

   名人会の千穐楽と言うことで、小三治と他の出演者が、手拭い撒きを行った。
   偶々、三列目に居たので、珍しく、私の膝のうえに、「御手冨貴」が転がり落ちて来た。
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ネットショッピングの面白さ

2015年01月05日 | 経営・ビジネス
   孫におもちゃを買おうと思って、近くの店に出かけたが、考えていた商品がなかったので、何でもあって配送料無料で、翌々日くらいには発送されてくるので、何時ものように、アマゾンをクリックして、そのおもちゃを探した。
   ビックカメラやヤマダ電機などでは、20%ディスカウントくらいで売っているので、そのくらいだろうと思ったのだが、驚いたことに、もっともっと安いのである。
   参考のために、同じようなおもちゃの他の商品を調べてみたら、ビックカメラ並の値段の商品が多いのだが、ものによっては、特に、大きくて複雑な高いものでは、80%くらいのディスカウント商品がある。
   アマゾンだけが安いのかと思ったら、楽天もヤフーも、アマゾンほどではないけれど、同じような傾向であり、それに、店舗によって、大きく値段が異なっているのである。

   恐らく、おもちゃは、カメラやテレビなどのコンシューマー・エレクトロニクス商品以上に、需給関係と言うか市況を反映して、売れなければ、どんどんディスカウントされて売られているのであろう。
   この同じ商品を翌日クリックしてみたら、一挙に値上がりしていたので、見合そうと思って、数日後にクリックしたら、また下がっていて、乱高下が激しい。
   こうなると、高い時に買って後悔することがあるのだが、他より安いので諦めがつく。

   アマゾンが直接販売したり、そうではなくマーケットプレイス出店店舗が替わって持ち回る場合があるので、もっと複雑だが、いずれにしろ、おもちゃは、アマゾンで買うのも手ではないかと思っている。
   楽天やヤフーだと、同一商品で沢山の店が列挙されるので、適当な店を探すのに困るが、アマゾンでは、一発なので便利で良い。

   もう一つ不思議なのは、例えば、カメラなど、夫々のメーカーに、ソニーストアやキヤノンオンラインショップと言った「メーカー直販店」があって、インターネットをクリックして色々なページを見ていると、結構、クリックした商品広告が飛び出してくる。
   そして、ユーザー登録していると、頻繁に広告宣伝ダイレクトメールが送られてくる。
   ところが、当然のこととして、価格コムで表示される価格より、そして、多くの量販店よりも、いくら特価であっても、かなり高いのである。
   何故、直販店があって、ディスカウントながらも高い価格で売り続けて、その高い価格を、ぽんぽん、ポップアップするのか、分からない。
   

   いずれにしろ、賢く買えば、実店舗でものを買うよりも、ネットショッピングで買う方が、遥かに、安く買えることは事実であって、ネットショップをウインドショッピングするのも、結構気晴らしになって面白い。
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ポール・クルーグマン:Twin Peaks Planet

2015年01月03日 | 政治・経済・社会
   クルーグマンが、新年早々、ニューヨーク・タイムズに「Twin Peaks Planet」と題するコラムを書いている。
   ピケティの「21世紀の資本論」で、先進国での益々進行する経済格差拡大傾向が認知されたとして、
   ニューヨーク市大のBranko Milanovict の、「a remarkable chart of income gains around the world 」 を引用して、「Twin Peaks Planet」論を展開していて、非常に興味深い。

    ピケティ論は、一国経済の話だが、ブランコ・ミラノヴィッチは、ベルリンの壁の崩壊後、超富裕層の所得拡大に加えて、中国やインドなどの中間階級の、いわば、グローバル・ミドルの経済的台頭が著しく、この新興国の所得拡大が、もう一つのピークを形成していると指摘している。
   

   多くの新興国の何億と言う貧民層が経済的恩恵に浴したことは良いことなのだが、
   悪いことに、この超富裕エリートと中国の中間層のtwin peaks (双子峰)の間に、the valley of despond(落胆の谷)が形成されて、高失業率や賃金上昇の停滞や緊縮経済政策などの直撃を受けて所得の伸びない、先進国の労働者階級が呻吟していると言うのである。

   新興国との輸出競争のために、先進国の労働者の賃金が圧迫されるのに加えて、もっと、重要なのは、前述の双子峰の所得拡大のために、多くの国家の経済資源が振り向けられて、逆に、これらの労働者階級には、多くの分野で、賃金カットやベネフィットの縮小や組合つぶしなど圧搾要因が働いて、格差が拡大する。
   更に、クルーグマンは、エリートが、赤字財政に強硬に反対したり、福利厚生を圧搾するなど、経済政策に利権拡大の圧力をかけて不均衡にしており、このelite prioritiesのために、益々、「谷」が深くなるのだと指摘している。

   どうすれば、この問題を解決できるのか。
   左派の伝統政党が、ポピュリスト政策を推進すべきなのだが、オランドやミルバンドやオバマたちも消極的で、赤字財政に対する脅迫観念や無責任だと言われるのを恐れて、踏み込めない。

   グローバル財政危機とともに、ギリシャで左翼がブラッセルと対峙し、フランスではナショナル・フロントが、英国では独立党などが台頭するなど、不穏な動きが出て来ている。
   このような事態は、大恐慌時代から二度目だが、あの時は、財政均衡と通貨安定と言うエリート・ディマンドをブロックして乗り切った。
   あの時の再来はないと思うが、政治指導者やオピニオン・リーダーたちが、今のグローバル体制が、誰のためにも有効に働いていないと言う現実を認識して、改めない限り、この反動が起こるかも知れない。とクルーグマンは指摘する。

   現代の政治経済社会動向なり、特に、欧米日などの先進国の経済政策にたいするクルーグマンの警告が、双子山論で、更に、グローバル・ベースに拡大された感じだが、グローバリゼーションによる新興国の経済成長による貧困層の経済的恩恵や中間層の増大については、好感している。
   問題は、一国経済の問題ではなく、このグローバリゼーションが、先進国の労働者層の経済状態の悪化を問題にしていることで、そのためにも、益々、強者への利益誘導経済政策が、危険であり、世界的な反動勢力の台頭を許す下地を作りつつあるので、積極的に改めなければならないと言うことである。
   危機だ危機だと騒がれつつも、どうにかこうにかつけ刃ながらも、強健になった現在の政治経済が、30年代のような極端な大恐慌時代の現象が再現されないので、ぬるま湯的な解決のみで、だんだん、クルーグマンの説くように、悪化の一途を辿るのであろうか。

   
   クルーグマンは、「格差はつくられた」で、C.ゴールディンとR.マーゴが、1920年代から50年代のアメリカで起こった所得格差の縮小、つまり富裕層と労働者階層の格差、そして労働者間の賃金格差が大きく縮小したのを「大恐慌 THE GREAT DEPRESSION」と引っ掛けて「大圧縮 THE GREAT COMPRESSION」と呼んだのを引用して、ルーズベルトの福祉国家政策的な所得格差の縮小が社会と政治を質的に変化させ、1960年代初頭までの、比較的平等で民主的な中産階級社会を生み出したのだが、ニクソン時代からおかしくなり始めたアメリカ経済を、レーガンが、無茶苦茶にしてしまった。と指摘していた。
   特に大幅減税と積極的財政政策を強力に推進して経済成長を志向した「レーガノミックス」が、欧日の政治経済を巻き込んで、経済政策の基調となって、世界経済を、自由放任の弱肉強食の市場至上主義経済に変質させてしまった。
   リーマンショックが引き金となった世界的な経済危機以降も、その傾向は継続しており、権力と財力に恵まれた経済的超エリートが、益々、利益誘導のために、政治経済政策をスキューさせ続けていると言うことであろう。
   

    今年の経済は、どうなるのか。
   クルーグマンの指摘を回避するためには、プラトンの説くような偉大な哲人政治家が出現して、大きく、現在の政治経済を軌道修正しなければならないのであろうか。
   それとも、再び、1930年代のような大危機が勃発して、奈落から再生しなければならないのであろうか。

  
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年末年始をどうして過ごしたか

2015年01月02日 | 生活随想・趣味
   穏やかな新年を、鎌倉で迎えて二年目。
   大晦日の深夜から大変な賑わいだと言う鶴岡八幡宮の世界からも、除夜の鐘が鳴り響く鎌倉中心部からも離れた鎌倉山の閑静な空間からは、殆ど、年の移り変わりは感じられない。
   正月は、菩提寺へ年賀のお参りをすることくらいで、昔のように出かけることも少なくなり、家族と一緒に過ごすことが多くなった。

   さて、今まで、どのような年末年始の過ごし方をして来たのか、不思議にも、何故か、あまり鮮明な記憶がない。
   京都や奈良の古社寺を訪れていたのも、もう、何十年も前の話だし、あっちこっちに行っていたので、どこでどうだったのか、正月だったのか、春だったのか秋だったのかえも思い出せなくなっている。

   しかし、かなり記憶に残っている年末年始は、異質であった故なのか、海外でのことである。
   最初に海外で元旦を迎えたのは、フィラデルフィアのビジネス・スクールに留学していた頃で、クリスマス休暇中なので、旅先での正月であった。

   初年度は、学生団体が主催したフロリダ・バス・ツアーだったので、マイアミで迎えた。
   大晦日の夜に、ホテルでパーティを開いていて、真夜中の12時の合図とともに、皆が歓声を上げて乾杯をして抱き合ったり、派手なパーフォーマンスで新年を迎えた。

   翌年は、これも、ヨーロッパの留学生たちがチャーターしたパリ往復のチャーター便の空席を利用して、家族とともに、ヨーロッパ旅行をした時で、ウィーンで元日を迎えた。
   大晦日は、昼、コンサートに出かけて、その夜は、日本料理店に行って、大晦日特別メニューを頂いた。
   娘が小さかったので、私だけ出かけたのだが、偶々、ウィーン国立歌劇場前で、都合がつかなくなった人が、2枚チケットを処理したいと言って来たので、アメリカのビジネスマンと喜んで買い求めて、大晦日恒例のシュトラウスの「こうもり」を鑑賞する機会を得た。
   客の殆どは、タキシードとイブニングドレスで盛装してやって来ていたのだが、私とアメリカ人は、旅先なので、背広姿だったが、良いと入れてくれた。
   休憩の時には、あの美しくて宮殿のようなロビーや広間を、盛装した男女が列をなして、散策する姿は、映画のシーンを見ているような感じであった。
   その夜、12時の合図とともに、あっちこっちで、爆竹が炊かれたのか、響き渡っていた。
   ホテルは、ワーグナーも泊まったと言うホテル カイザリン・エリザベート。モーツアルトの旧居跡もすぐ傍であったが、その後も、宿泊した。
   グラナダでもそうだったが、他のヨーロッパでも、新年の幕開けとともに、爆竹の音が響いていたように思う。

   ところで、もう、何十年も前になるが、ブラジルのサンパウロでは、NHKの紅白歌合戦が、特別チャンネルで放映されていた。
   時差があるので、元旦の午前中、それも、真夏の真っ最中、と言っても、それ程暑くはないのだが、陽光の照りつける中で、見るのだから、全く感じが出ないのである。
   日本人街があったので、何となく、日本を味わうことが出来たのだが、ダイレクトの日本の雰囲気は、異国では、格別であった。

   大分経って、ヨーロッパに移った時には、アムステルダムではなかったが、ロンドンでは、日本語放送で、やはり、紅白歌合戦が放映されていた。
   冬休みは、旅に出ていて、アムステルダムやロンドンで、過ごすことは殆どなかったので、これは、録画していたのだが、伝送されてきた讀賣新聞なども発売されていたし、ロンドンは、比較的、日本の情報には、恵まれていた。
   
   いずれにしても、クリスマス前後は、ヨーロッパもお祭り気分が横溢していて、繁華街の街路や高級店の飾りつけやイルミネーションが美しくて楽しめたが、正月は、殆ど平日同様で、何の変化も感慨もない感じであった。
   元旦は休日であっても、2日からは、歯車がフル回転し始める。
   

   歳を取ると、新年を迎えると、目出度いと言う気持ちよりも、今年も元気で新年を祝えられたと言う有難さの方が強くなって来る。
   どんな年になるのか、日々を噛みしめながら、味わい深く過ごして行きたいと言う気持ちである。
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