体罰は、なぜいけないのか

なぜ今、このようなことを書くのか。それはアメリカの軍事行動が始まったからです。今からその共通点を私なりに明らかにします。

「同時多発テロ事件」
暴力によって何かを分からせてやろうという思想から行動している。
「報復攻撃」
暴力によって何かを分からせてやろうという思想から行動している。
「教育上の体罰」
暴力によって何かを分からせてやろうという思想から行動している。

みんな根っこは同じ。土の上に出てくる幹が太いか細いかのちがい。たった1度でも体罰で解決することを味わった子どもは、その子が指導者や親になって、せっぱ詰まった時に「体罰」で解決することを思い出すのです。何人もの親がそのことを証明してくれました。「私も子どもの時にそうだった」と言って・・・・・。
この思想を根絶やしにすること以外に平和はないと確信しています。

体罰をする指導者を見たとき、その指導者のことを私は大笑いしているのです。
「ハハハハハ! あの人は自分のことを『私は指導力がありません』と宣伝しているようなものなのだ。」

『体罰をする人間は、実力がない人間。』これが私の信念です。

指導者は「忍耐の鎧」を身にまとった勇者。これが辰巳ジャンプの指導者像です。
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