第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.8 「3月1日の歌」

8、『3月1日の歌』

 お話のあと、三尾館長さんの展示館からの退職のお祝いに、花束を贈らせていただきました。そのお礼にということで館長さんは、見学者の前では初めて歌うという『3月1日の歌』を歌ってくださいました。


『3月1日の歌』

ぼくたちの仲間がひとり 灰をかぶって死んだ
ぼくたちの仲間がひとり 灰をかぶって死んだ
灰をかぶったその日   海の幸とったその日
3月1日

ぼくたちの仲間よみんな 団結し平和築こう
ぼくたちの仲間よみんな 団結し平和築こう
戦争のないその日    我らの幸とるその日
3月1日


 歌の意味をすべて理解できた子はいなかったようですが、歌の心を感じて、みんな館長さんの歌声に聞き入りました。

 長い間、静かに戦ってきた館長さんのもとへ訪問した最後の小学生が、第五福竜丸に最も近い江東区の子ども達であったことに、不思議な深い意味を感じられてなりません。きっと未来にわたって「第五福竜丸」のことを世界に伝えていけるのは、江東区の子ども達なのでしょう。また、そうであってほしいと願います。  (平成13年3月)

※この連載は以上で終了します。

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.7 「人類の未来を示している第五福竜丸」

7、人類の未来を示している第五福竜丸

 第五福竜丸は、放射能に汚染されて焼津の港へ帰ったあと、東京に移され、文部省が買い上げ、東京水産大学の練習船に改造されました。そして長い間、遠洋漁業に従事(じゅうじ)しようという学生さんの訓練に使われることになりました。
 10年ほど使ったあと、この船はもう練習船としても使えなくなってしまった。そういうことで江東区の夢の島、今みなさんが腰をおろしている所に、この船はつながれることになりました。ゴミの中に、この大きな船を捨ててしまうことになりました。

 しかし、この近くで働いているいろいろな人たち。木場のいかだを運んでいる人たち。職人さん。また石川島播磨という工場の人たち。みなさんの辰巳小学校や扇橋小学校、南砂西小学校の人たち、学校の先生たち。区役所で働いている人たち。江東区の多くの人たちが、なんとかこの船を保存したいということで、富岡八幡宮に行って募金をしたり、そんな活動を毎日毎日やりました。

 江東区の深川に住んでいた島田轍之助さんというおじいさんが、この船が水に沈みそうになっていると聞き、毎日毎日通って、水をかい出して、この船を守ってくれました。私もその活動に参加しました。何回も船に通って水をかい出しました。
 どうしてそんなことをしたのでしょう。

 この船は、名前も「はやぶさ丸」という名前に変えられていましたけれども、「第五福竜丸」であるということが、みんなの調べによって分かりました。この船は沈みそうになっていましたけれども、私たちに「何とかしてほしい、ぼくの声を聞いてもらいたい。」そういうふうに言っているように聞こえたからであります。

 たくさんの人々の努力によって、今から25年前(1975年)、この船は展示館におかれることになりました。この船の母港は、いわば東京都夢の島にあるわけです。そしてこの船は、原爆や水爆のない未来をかけて、世界の人々に「核兵器をなくそう」「核兵器を廃絶しよう 」「使わせてはいけない」と呼びかけています。

 この第五福竜丸のできごとがあったとき、有名な宣言がひとつあったんです。それは「ラッセル=アインシュタイン宣言」というものです。哲学者・ラッセル、原子物理学者・アインシュタイン、日本の物理学者・湯川秀樹といった、ノーベル賞を受賞した科学者たちが署名しました。
『今、人類は、「ヒト」という自らの種族(しゅぞく)に終止符(しゅうしふ)を打たなければならないのか?
 それとも、原爆や水爆をなくし、戦争のない平和な未来を切り開いていくことができるのか?
 ふたつにひとつの時代に入ったのではないか。』
そういうことを呼びかけた宣言だったのです。

 この船は、そういう意味で、人類の未来を示している。そのことをみなさん、ぜひ考えていただきたい。そして、みなさんの「郷里の船」が世界に向かって、そのことを呼びかけている 。これをぜひ誇りに思っていただきたい。ぼくはそれだけをお願いしたい。 今日は、みなさんが来てくれてお話を聞いてくれたことを大変喜んでいます。

 どうもありがとうございました。

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.6 「沈めてよいか、第五福竜丸」

6、沈めてよいか、第五福竜丸

 ここに『沈めてよいか、第五福竜丸』という文章が書いてあります。これは朝日新聞の読者の投稿欄に載せられたものです。この投稿から、第五福竜丸を保存して平和のために役立てていこうという運動が活発になりました。


『沈めてよいか、第五福竜丸』  武藤 宏一

第五福竜丸。

それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。
決して忘れてはいけないあかし。
知らない人には、心から告げよう。
忘れかけている人には、そっと思い起こさせよう。
今から14年前の3月1日。太平洋のビキニ環礁。
そこで何が起きたのかを。

そして沈痛(ちんつう)な気持ちで告げよう。
いま、このあかしがどこにあるかを。
東京湾にあるゴミ捨場。人呼んで「夢の島」に、このあかしはある。
それは白一色に塗(ぬ)りつぶされ、船名も変えられ、
廃船(はいせん)としての運命にたえている。
しかも、それは夢の島に隣接(りんせつ)した15号埋立地に
やがて沈められようとしている。
だれもがこのあかしを忘れかけている間に。

第五福竜丸。
もう一度、私たちはこの船の名を告げあおう。
そして忘れかけている私たちのあかしを取りもどそう。
原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう。
いま、すぐに私たちは語り合おう。
このあかしを保存する方法について。
平和を願う私たちの心を一つにするきっかけとして。
        (朝日新聞 1968年3月10日 「声」欄より)

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.5 「大気の流れにも乗って広がった死の灰」

5、大気の流れにも乗って広がった死の灰

 そして、もっと細かい粉は海に落ちることなく、空に広がっていきました。それは大気の流れに乗って、5月中旬くらいに日本の上空に達しはじめました。そしてそれは、雨が降った時に、その雨にまじって強い放射能の雨となって、日本全体に降ってきたのであります。

 京都地方に降った雨の中からは、毎分8万数千カウントの高い放射線が計測されたこともありました。マグロは100カウントの放射能が測定されたものは捨てたといいますから、どれだけ高い放射能の雨が降ったかということがわかると思います。お茶の葉っぱや水道水や井戸水からも放射線が出ました。野菜や牛乳からも放射能が検出されました。

 この事件があった時に、私は小学校の4年生でしたが、帽子をかぶった上にレインコートをすっぽりかぶって、カサもさして学校に行かなくてはならなかったことを覚えています。そうしないと、髪の毛がぬける病気にかかってしまうからです。
日本の上空に水爆のチリが達し、放射能の雨が降ってしまった。これがビキニ事件のもうひとつの被害であります。

 4000kmもはなれた所で行われた実験でしたが、その影響が日本国民全体の生活や命をおびやかすことになってしまったのです。広島の原爆とちがって、広島の原爆以上に、今度はそれがもし兵器として使われたら、落とされた所だけの被害では終らないんだということを示してくれたわけですね。

 放射能をふくんだチリ、それは「死の灰」と名づけられましたが、それがいたる所にまき散らかされるのではないかと、風に乗って地球全体にまき散らかされるのではないかという、地球上のすべての人類の生存がおびやかされることになるかもしれない。これが第五福竜丸事件の持つ重要な意味だったのです。

 みなさん、放射能は目でも見えませんし、耳でも聞こえませんし、口でも味わえませんし臭いもしません。この船にしみこんでしまっているわけです。放射能の持つ一番恐ろしい点を、みなさん方に感じ取っていただきたい。これが展示館で働く私たちがみなさんにうったえている大事な点なのであります。

 ここには「死の灰」も、小さなビンに入って展示してあります。これは今でも弱い放射能を出しています。この「死の灰」は、久保山愛吉さんらの命をうばいました。そして、その後退院した乗組員の身体も、ずっと傷め続けたことも忘れないで下さい。
 久保山さんが亡くなってから21年もたって、ひとりの乗組員がガンにかかって亡くなりました。今日までに久保山さんをはじめ11人の方が、この灰によって命をうばわれました。ひとりの方をのぞいて、みんな肝臓のガンによって亡くなりました。

 放射能の被害。これはゆっくりゆっくり身体をむしばんでいくんだということを、この「死の灰」が、いまだに放射能を出していることを想像して、感じ取ってください。

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.4 「原爆マグロの被害」

4、原爆マグロの被害

 東京の築地の大市場に運ばれたマグロは、あわてて放射能が測定され、全部捨ててしまわなくてはならなくなりました。
 このできごとの持つ非常に重要な意味を、みなさんぜひ考えてください。その一番大事な点、ビキニ事件と言われる被害の重要な点は、この第五福竜丸だけの被害で終ることのなかったという点にあります。

 当時の厚生省が調べて発表した数字だけで、この第五福竜丸という船以外、18もの港の検査で、856隻という信じがたいたくさんの船が、また、約500トンというマグロが調べられ、捨てなくてはならないという事件に発展したできごとでもありました。

 「原爆マグロ」「爆マグロ」といって、マグロが食べられなくなってしまいました。おすし屋さんなどは、どんどん倒産(とうさん)してしまうということも起こりました。マグロだけではありません。しだいにお魚を食べなくなってしまいました。魚市場は閉鎖(へいさ)され、お魚屋さんは開店休業に追い込まれました。当時、日本国民はお魚から貴重なタンパク質をとっていたわけですから、これは国民の生活、命をおびやかされたできごとでもありました。

 どうしてそういうことが起こってしまったのでしょうか? 想像していただきたいと思います。これは水爆実験によって海が汚染されてしまうということを引き起こしたからであります。

 ビキニ環礁(かんしょう)の3月1日の実験を皮切りに、この海域(かいいき)で合計6回の水爆実験が行われています。

 アメリカは第五福竜丸が日本にもどって、被害が明らかになるにしたがって、危険海域というものを少しずつ広げました。しかし、残念ながら、危険海域だけに放射能はとどまってくれなかったのです。
 ビキニ環礁の近くに大きな海の流れがあります。北赤道海流(きたせきどうかいりゅう)というものです。太平洋を渡って、和歌山県から銚子の方に流れていく黒潮の流れにつながっているのですが、その流れに放射能を帯びた海水が広がって、その流れのある海域全体を汚染(おせん)してしまうことになってしまったのです。放射能を帯びた粉は、海の流れに乗って広がっていったのです。

 ビキニ環礁(かんしょう)の近くに、ロンゲラップ環礁といったものがありますが、当然ながらその島の島民も、死の灰をあびて被爆(ひばく)し、今なおその後遺症(こういしょう)で苦しんでいるのです。


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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.3 「世界で初めての水爆被害者・久保山愛吉さん」

3、世界で初めての水爆被害者 久保山愛吉さん

 船は一目散(いちもくさん)に静岡県の焼津という漁港を目指して、1週間かかったんですが、全速力で、みなさんが自転車をこぐくらいのスピードしか出ませんが、なんとかたどりつきました。

 病院へ行って、みんな死んでしまうかもしれないほど大変な状況の放射線障害(ほうしゃせんしょうがい)だということがわかりました。 今度はみんな、東京の病院へうつされました。治療に1年2ヶ月もかかりました。身体の中に入った放射能物質がゆっくりゆっくり身体の外に排出(はいしゅつ)されるのを待つ。あとは輸血(ゆけつ)といった手段で治療を行うしかなかったといわれています。

 第五福竜丸の被害(ひがい)というのは、広島や長崎の原子爆弾の被害(ひがい)とは少しちがいます。
 広島の原子爆弾は、高さ580m上空で爆発しました。爆発によって生じた火の玉は、広島の地面にはほとんどとどかなかったんですね。火球からくる爆風、熱線、衝撃波(しょうげきは)、そして放射線。この被害を広島の人々は受けたわけです。
 第五福竜丸の場合は、それが広島の1000倍もの水爆だったとはいえ、160kmもはなれた場所で、熱線とか爆風を浴びたわけでもなく、放射能だけの被害。死の灰による被害だけを受けたことになるわけです。

 東京の病院では、ある乗組員は白血球が500とか600まで減少しました。懸命な治療にもかかわらず、この船で無線長であった久保山愛吉さんは、わずか200日ちょっとで、世界初の「水爆の被害者」として亡くなってしまいました。


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