第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.1 「西からあがった太陽」

これから掲載する資料は、東京都江東区夢の島にある「第五福竜丸展示館」で開館以来20年間にわたり館長を務められた三尾喬英先生のご退職直前に、私の教え子たちを前にして話して下さった講話をそのまま起こしたものです。

このお話は三尾先生の20年以上にわたる「第五福竜丸」「平和」に対しての深い思いが込められています。今、このブログ内にもご紹介させていただくことで、お一人でも福竜丸の史実を心に刻んでもらえるのではないかと思い、公表することにしました。

8回の連載になります。
教育にたずさわる方には必読の連載です。
どうぞお見逃しなくゆっくりじっくりお読み下さい。

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1、西からあがった太陽

昭和29年、第五福竜丸でマグロをとっていて被害(ひがい)にあった漁師さんたちは、自分達がどういう被害(ひがい)にあったかを日記や手記(しゅき)で残しています。

 その漁のときは、マグロをとる「はえ縄(なわ)」というのを船のうしろの方に、2時間ぐらいかけて 、スーッと流し終わって、これから朝ごはんを食べようとしていました。マグロがかかるのを待つことにしたんです。まだ夜が明けていませんでしたが、とつぜん、空が、海が、パーッと赤く、黄色く輝いたように感じたんです。光がザーッと走った。それはしだいしだいに空全面をおおうようになってしまった。

 赤く輝いたような情景(じょうけい)は、なかなか消えようとはしませんでした。びっくりして空を見上げた乗組員の目の前に、大きな火の玉が輝いているのが見えました。左舷後方(さげんこうほう)、水平線20度くらいの位置に、大きな火の玉が輝いているのを見たそうです。 どんな火の玉を見たのでしょうか?

 空は夕焼けのようになりました。この火の玉を見た乗組員は、「太陽が西からあがってしまった!」とぼう然と空を見あげておりました 。音はまったく聞こえませんでした。シーンとした中で、火の玉はしだいに赤くなり、紫色になって、しだいしだいに消えていったのです 。

 その後、3~5分後、海の底からおなかに突き上げるようなドドーンという音が聞こえたのです。海底火山が爆発したのか!それともこれはアメリカの原爆実験にぶつかってしまったのかもしれない!そう直感したと日記には書いてあります。大きな火の玉を見て、大きな音を聞いて、そう感じたと書いてあります。マグロはかかっていませんでしたけど、あわてて「はえ縄」を漁船に引き上げ始めました。

火の玉が消えたところからは、何か真っ黒で大きな雲が立ち上がるように見えました。それは、しだいしだいに広がって、第五福竜丸の上に おおいかぶさるように迫ってきたそうであります。そして、その雲から雨が降ってきました。しばらくすると雨にまじって、白い粉のようなものが降ってきました。マグロを引き上げ始めてから3時間くらいたったころです。

 そのころになると空も晴れてきて、雨もやみました。しかし今度は、白い灰のようなもの が、まるで雪が降ってきたように船の上に降りそそぎはじめました。甲板は真っ白になって 、足跡がうっすらとつくほどに降り積もったのです。
 この灰は、なんだかよく分からなかったけれど、非常にザラザラしていて、自分たちの髪 の毛、頭、おでこ、鼻の頭、ほほ、首の間、何だか痛いように付着(ふちゃく)しはじめた 。そのジャリジャリする粉を、かんだり、味わったりしてしまった乗組員もいたそうです。

 乗組員の体に、痛いように雪が降り積もるように付着(ふちゃく)したその白い灰は、サンゴ礁のかけらでした。しかしそれはただのサンゴ礁(しょう)のかけらではありませんでした。あとでわかったことですが、これは強く放射能(ほうしゃのう)をあびたチリでもありました。



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