大田生活実習所の「萩中祭」に参加

私は大学を卒業してすぐに「東京都立城南養護学校」に赴任し、高等部の担任となった。1年目は高等部3年生クラス。2年目から4年目までは高等部1~3年まで持ち上がる。その後、大田区立徳持小学校に異動した。


今日は大田区にある障害者福祉施設「大田生活実習所」の『萩中祭』に参加した。
18年前に私が城南養護で担任していた卒業生がここに通所している。その卒業生から熱いメッセージが届き、これは何とかして時間を作って行かないならないと、たった30~40分くらいだったがお邪魔してきた。

懐かしい方と何人もお会いすることができ、元気に暮らしていらっしゃることを確認して安心した。


教え子本人との再会は当然嬉しい。
彼女は実習所の中心人物となって、今回の文化祭の実行委員として頑張っていた。
障害が重く、生活していくのはけっして楽なものではないと思うが、いろんな方に支えられながら自分の人生を楽しく送っていることが分かった。

「進路は生きるみちすじ」である。自分自身を見失って悶々としている健常者が少なくない時代である。彼女は障害が重くて仕事に就くどころか、介助がなければ自分一人だけで生きていくことすら難しい。そんな中で、自分のやりたいことや楽しみを見つけて生き生きと暮らしていけることは素晴らしいと思う。


さて、この萩中祭では「ソーラン節を踊るからぜひ見てください!」と頼まれていたので楽しみにしていた。代表の何人かで踊るんだろうなぁと思っていたら、イベントの最後に全員が踊ってくれた。そうか!このノリノリの「南中ソーラン」をいつもみんなで踊って楽しんでいるんですね。楽しいもんね、ソーラン節!



また、教え子との再会も大事だったが、ママさんとの再会も私にとっては大切にしたかったことなのだ。
なぜなら、私はこのママさんに育てられたといってもおかしくないからだ。
無鉄砲な若手教員であった私は、たびたびお宅に呼んでいただき、また自分からもお邪魔し、夕食をいただくことしばしば。
「みっちゃん先生(このころはそう呼ばれていた)、今日は松茸ご飯を作ったから召し上がってね。」
まるで弟のように温かく育てていただいた。


私はつくづく恵まれた新人教師時代を過ごせたと思う。ご家族の中にドップリつからせていただきながら、同じ方向を向いて子どものために行動する。こういう姿勢は養護学校にいたから経験できたんだと思う。

18年の時がたって、お互いに年を取った感は否めないが、気持ちは18年前と同じ。まるで昨日も会っていたかのような気がした。それだけの強い心のパイプが通っていることをしみじみと感じた。

「いつも思うんだけど、すごく若いですよね。その若さを保つ秘訣は何なのですか?」
と聞いたら、
「そんなことないわ、もう5年前くらいからダメなのよ。」
と言っていた。いえいえ、お年から考えて全然若いです!
この秘訣を教えてもらいに、またお邪魔するしかないですな(笑)


この頃の記事はすでにブログ内に書いてあるのでリンクしておきます。

半分教師 第2回 「目を開かれた新任時代」

半分教師 第3話 「平均年齢20代」

半分教師 第5話 「障害者スポーツ大会」

半分教師 第6話 「進路は生きるみちすじ」

半分教師 第7話 「学年主任と進路対策委員長」

半分教師 第8話 「くまさんマン」

半分教師 第9話 「教職員集団作りマニュアル」

半分教師 第10話 「あなたが一番わかっていない」

第10話までリンクしました。しかし第20話までは城南養護学校のことを書いてあります。あとはさがしてみてください。カテゴリー「半分教師」の中にあります。



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