高校生の取材に協力する

今日は大田区内にある高校の生徒の取材を受けました。高校のキャリア教育の一環として、 自分が将来目指す職業をしている人の 取材をするという授業に協力したということになります。

今、個人的には周年行事の取り組みや、校長会の仕事など、結構多忙を極めているのですが、将来がある高校生に、何らかの魂の炎を植え付けるという意味では、この取材は受けなくてはならぬと思ったのです。

そもそも私が校長になった理由の一つとして、未来ある有望な教員を育てたいということがありました。ですから教員志望の高校生の若くて柔軟な頭脳に、私が40年間、教員として培ってきた財産を伝えていくということは、校長になった目的の一つを実現するという意味があるのだと思っています。

今日校長室に来たのは高校1年生の男子です。高校生であっても、一人の人格者として丁寧に答えてあげることが、その子の人生に、きっと大きな節目として役立つに間違いありません。
彼のインタビューに1時間答え続けました。彼にとって、私から聞いた話は、初めて聞くような話ばかりだったのではないかと思っています。

私が教員になることを志したのは、よくある子供達が好きだからなどという、浅い気持ちではありませんでした。多くの人達の期待を一身に背負い、君のような人が教員にならなかったら誰が教員になるのだと言う声、そのような使命感のようなものをら担任の先生をはじめ、たくさんの人たちから植え付けられました。

私が中学生の頃には、学校は校内暴力の嵐でした。私自身、下校中に後輩に待ち伏せをされて危険な思いをしたりもしました。小学校の頃も中学校の頃も、学校が大好きだった私は、こんなひどい学校の状態は何とかしなくてはならないと、毎日のように思っていました。ですから、子供が好きだということもありましたけれども、それ以上に、このようにひどい状態の学校は、自分が教員になって何とかしようという思いが強くあったのです。そのようなことをはじめとして、それはそれはたくさんの思いが私にはこの仕事にはありますが、今日の取材でその一端は、未来ある高校生に伝えられたのではないかと感じています。

意欲ある若い子供たちの夢や希望を広げてあげることができたら、校長としての役を 果たしたことにもなるのかなと思っています。
願わくば教員を志すような人たちは、みんな一度は私のところを訪れてほしいなと思っています。必ずや教師の魂となるような燃える思いを、心の中にしっかり刻み込ませていきたいと思っています。
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