小学校教育界あるある サンドイッチ

小学校教育には独特の言い回しがいくつもあります。たとえば、低学年の教室は、たいがい横二人が並んでいる縦列が4列あり、列ごとに「1号車」「2号車」「3号車」「4号車」と呼ばれます。
こんな感じ。
1号車 2号車 3号車 4号車
      
      
      
      

これが学級内に定着すると、「1号車の人、プリントを取りに来て」と担任が指示をすれば、1号車列の子供たちが一斉に動き出すということになります。これを高学年でやると、高学年の子たちはドン引きになります。ほぼ「大人感覚」の高学年ですから、「1号車」という電車ごっこなんて無意味になるのですね。私は教員生活の8割は高学年担任だったため、「何号車」という言い回しは1度も使ったことがありません。

そうそう、私のような高学年ばかり任される教員のことを、5,6年担任ばかりやっているという言い回しで、「ゴロゴロ(5656)」と言うこともあります。私自身は「自分は高学年専科です」と自称していました。これまた独特の言い回しです。


今、アンダー10チームの子供たちを鍛えるために、練習中に「サンドイッチ」という言い回しを使うことが多くあります。
この「サンドイッチ」という言葉は、教育界でかなり使われるため、高学年の子供たちにはピンとくるはずなのです。「サンドイッチ」とは両側からはさまれることの例えです。これを小学校の教員は、男女男女と並ばせるときによく使います。

男女男女男女男女男女男女
女男女男女男女男女男女男
男女男女男女男女男女男女

こんなふうに並ばせたいときですね。集合写真を撮るときとか、芸術鑑賞の際に座席に座らせるときに教員が使います。
この目的は、小学生段階では何かする際に、「男子がふざける」割合が高いため、男女交互に並ぶことで、余計なトラブルを避けようとする、安全保険的な教員の意識が働いています。このことを強く意識し、それってどうなのかと疑問を抱く「変な教員」「理屈っぽい教員」「反骨精神ばかりの教員」だった私は、決して「サンドイッチになりなさい」という指示はしませんでした。そのようなことをしなくても、普段から普通にしていられる子供たちのメンタルを育てていたからです。私が担任する子供たちは私の日頃からの指導をきちんと理解していたので、「この場面ではこういう行動をすればよい」といつも分かっていたから、別にサンドイッチという物理的な仕分をしなくてよかったということです。「すばやく自由に並んでね。」「あとはよろしく。」と言うだけでした。ですから、「サンドイッチ指導」を教員がした瞬間に、私の頭の中では、「もう一歩進んだ指導、先手を打つような指導を、日々していれば、今ここで余計なことを言わなくても済むのにな。」と思いが浮かぶわけです。しかし、それを言葉にしてしまったら、一生懸命指導している教員がかわいそうなので黙っています。

さて、アンダー10チームを育てるために、「サンドイッチになりなさい。」という私が使わなかった指示を、今あえてしています。レシーブ練習をする際に、オーバー10の子供たちの間に、入部したばかりのアンダー10の子供たちをサンドイッチにすることで、アンダー10の子供たちに「こういうふうに練習をするんだな」という理解を促しています。そしてオーバー10の子供たちにも、目の前にアンダー10の子がいることで、「お手本になろう」という意識と「アンダー10の子が上手になるためにはどうしたらよいだろう」という試行錯誤を促しています。子供たち全員にプラス効果があると確信したため、私の信条として使わずにきた「サンドイッチ」という言い回しを使いました。

指導者、教育者は、自分自身の固定概念にしばられることなく、目の前の子供たちがどうしたら成長できるのかを考えて、柔軟な発想をしていくこと。これが最高に面白いので、バレーボール指導者をやめられないのです。
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