ここのところ関東・関西の私鉄ネタを中心とした話題が続いておりますので、たまには気分転換として外国の話題を少々……。最近、新聞やネットを見ていますとしばしば、標高5000m超 (確か5072m) の世界鉄道最高地点を走ることになる中国・青蔵線が7月に正式開通の見込みである云々……という記事が目につきます。そこで、その部分開通区間を今から10年前に乗ったときの記録をちょっと回顧してみたいと思います。
中共政権が1970年代、「チベットは中国の不可分の一部分である」ことを強調したいがために、冷ややかな国際的視線をよそに建設を始めたこの鉄道は、青海省の西寧から「世界の屋根の仏教都市」ラサまで約2000kmを結ぶものです。そして、とりあえず80年代中頃に、青海省西部の巨大塩湖のほとりにある砂漠の街・ゴルムド(格爾木)まで開通させたものの、そこから先は酸素が平地の6~7割しかない永久凍土帯において莫大な費用と技術を注ぎ込む余裕がないということで、私がショボい貧乏バックパッカーとしてフラフラと乗った90年代には建設が凍結されていました。
その後、ラサまでの建設が再開されたのは、外資流入によるバブルに次ぐバブルで下手に自信らしきものを抱いた民族主義者たちが「中国は本来世界一の大国だ! 中華の威光を輝かせるのだ!」などという怪しい文句を叫び始め、そんな表現が当たり前のようにメディア上であふれるようになった2001年になってからです。それから僅か5年、あっという間のイケイケノリで完成し試運転が始まっているようですが、人口密度が極めて低いだけに (沿線の大部分は無人地帯)、ほとんど国威発揚のため、そして「鉄道技術でも日米欧を真っ青にさせるのだ」という意図のためにわざと造っているような路線としか思えません。それゆえ、果たして莫大な建設資金を将来回収できるのか (そもそも回収しようという意図すらあるのか?) といった点でも興味深いですね (笑)。あと、高山の永久凍土上を重量級の列車が頻繁に往来すると熱で路盤が融けるという問題があるらしいのですが、それを果たしてクリヤしきれているのかどうかという点も……。
それはさておき、90年代中頃当時、西寧~ゴルムド間の所要時間は、2日に1本運転の急行が19時間 (今では毎日3往復で所要13~4時間)、毎日運転の鈍行が24時間でした。
乗った当時は個人的な「撮り鉄・10年のブランク」の真っ直中で、貴重なポジフィルムのほとんどは街並みスナップ撮影や名所旧跡撮影に回していたのに加え、駅や列車などで一眼レフカメラを頻繁に取り出す行為自体が非常に注目を集める時代でしたので、残念ながら鉄道は真面目に撮影していないのですが (スナップ程度 ^^;)、真夜中から明け方の一番寒い時間に、部分開業段階での最高地点 (もちろん7月の全線開通までは中国国鉄最高地点) である南山駅に停車したときには、折角ですので敢えて撮影しました (↑の画像) 。標高は3700mですので、とにかく寒いですが (-_-)、チベット高原ではありふれた草と岩ばかりの風景の中を走ることがお分かり頂けると思います。この駅に隣接するトンネルを通過するときなど、暖房が入らない鈍行に乗ればまさに冷凍庫……。いっぽう、この駅の西側には壮大なループ線やΩ線もあって、なかなか壮観です (まあ、この種の線形は中国各地にあって、それほど珍しくないわけですが)。なお、この程度の標高 (富士山並み) を列車で通過するのでしたら、高山病になることは余りないと思います。
そして列車は終点のゴルムドに到着。多くの客が駅前でラサ行きのバスに乗り換えますが、外国人はこの街の旅行会社で特殊な手続きを踏んでク○高いツアー代金を払い、チベット自治区入域許可を得たうえで指定されたバスに乗らなければ、途中の検問所で引き返させられる運命が待っていますので、面倒なことこの上なかったですね。鉄道全通後、このシステムは果たしてどうなることやら。西部劇の舞台のように枯れ果てたこの街に立ち寄らなくても良くなるとすれば、めでたさ半分、寂しさ半分といったところでしょうか。
ここの標高は2800m。まだ高山病にはなりません。しかし、ここからバスに乗ると一気に4500~5200m台に突入し、それが24時間以上続きますので、「空気がマジで足りない!」という露骨な感覚に始まって、激しい頭痛や食欲不振などなど、高山病は非常に辛かったですね……。まあその試練を受ければ、富士山と同じ高さのラサに着いたあとがとてもラクです。
というわけで、これから恐らく様々なニュースでも取り上げられることになるであろう話題を少々先取りしてみました (^^;)。