首都圏大手私鉄営業用車両最後の釣掛式電車にして、個人的には神奈川県からわざわざ末期の7800系に乗りに行った中学生時代の思い出と切っても切り離せない東武5000系列。そのさよなら運転が今週末に迫っており、いやがうえにも惜別の念が強まらずにはいられません (-_-)。当日都合がついて訪問可能な場合のプランについては策を練りつつあるのですが (日光で装着される懐かしのHMとやらが楽しみ……予想は「快速たびじ」!)、それとは別に、東武釣掛式電車の永きにわたる活躍を讃えるべく、数回シリーズで懐かしの画像をアップして行きたいと思います。
まずは割と最近の画像から……数年前の野田線です! まだまだ10編成近くの5070系が活躍していた頃、5070系の音を楽しむべく柏か春日部のホームで待っていますと、それほど待たずして5070系が入れ替わり立ち替わり現れ、お手軽に釣掛ショート・トリップを堪能出来たものです。しかも、車両・台車ごとの音のバラツキを聴き分けるという奥の深い楽しみ方も可能でしたね (*^_^*)。個人的には、横綱=モハ5380、大関=モハ5277・5278・5279といったところですが、特にモハ5380の大宮寄り台車の上に乗っていると、この世のものとは思えないほどの低音から高音へのハーモニーに激しい振動が加味された壮大なシンフォニーを味わえたものです……!
そんな5070系が割と頻繁に行き交っていた頃の野田線では、ホームはもちろんのこと、昭和の残り香を漂わせたいろいろな駅前の商店街あたりをちょっと散歩していますと (古い街並み見物も趣味ですので ^^;)、遠くから釣掛の音が聞こえて来て……それがだんだん大きくなって黄昏の街並みの空気とほどよく混ざり合い……温かく懐かしい余韻を残してまた釣掛の音が小さくなって行く……というひとときを味わうことが出来ました。黄昏の光の中で、沿線の人々の暮らしを乗せながら、釣掛式電車がいつも地道に首都圏の北辺を走っている……そんな安心感、そして何よりもナナハチの魂が今でも生きていることを繰り返し確認したくて、それこそ仕事が行き詰まったときなど、何十回も野田線の5070系に乗りに行ったものです (^_^)。それも早いもので今や2年以上前の話。たったの2年前ではありますが、もうだいぶ遠い昔のように思えるのは何故でしょうか。
その後館林が陥落し、間もなく新栃木も陥落……。時の過ぎ去り行くさまは、あらゆる存在を猛烈なスピードで過去へ過去へと押し流して行くかのようです。