先日日光へのさよなら運転を行い、現在も宇都宮線で新栃木への転属車が来るまでの最後の活躍を続けている東武5000系列。その下回りのもとになっているのが、「ナナハチ」こと7800系! 東武釣掛惜別記念として、今回はナナハチを今から22~23年前に撮影した画像をアップしてみたいと思います。
当時の私は僅かな小遣いだけで辛うじて細々と趣味活動をしていた貧乏な中学生であり、小田急沿線から東武沿線まで遠征するだけでもとんでもない覚悟が必要でした。しかし幼稚園の頃に末期の国鉄73系に乗った記憶から小学生時代には国鉄釣掛式電車に深い関心を抱き、さらに身近な小田急1800・4000形や京急400形、箱根登山や江ノ電の旧型車etc..への親しみから私鉄の釣掛式電車にも注目していった中で、ロクサン型のような4扉車でありながら戦前型国電のような (→当時の浅はかな印象 ^^;) ゴツいマスクを持ち、それに鉄の塊そのものと言って良いFS-10台車を装備した東武7800系の存在は、まさに私のハートを打ち抜いたのでした (爆)。「こ、こんな、如何にも重々しそうでシブい電車が首都圏でもまだ走っているんだ……」と思うと、もういてもたってもいられません (^^;)。
しかも、国鉄釣掛式電車の世界は、私が親から個人旅行を認めてもらえるようになった中学生時代に入るや否や、富山港線や可部線の73系 (遠い……) を残して崩壊してしまいましたので、ほとんど飢餓感と喪失感に近い思いを抱きつつ、半鋼製釣掛式電車への関心を私鉄電車に集中することにしたのですが、そうとなれば東武ナナハチは絶好のターゲット!
しかし、そんなナナハチも、まさに私が中学生となる前後の時期に急激に5050系・5070系へと更新されて行き、その撮影はまさに時間との戦いになったのでした……。東武を訪れたのは83年秋冬から84年5月の時期に集中していますが、このタイミングは東上線・越生線の末端部や本線系準急でナナハチを辛うじてそれなりの頻度で目にすることが出来た最後の時期で、既にナナハチの初期ロットである7800形や当初トイレ付きで登場した7890形、そして全金属製だった7860形はほぼ運用から離脱して5000・5050系に改造済、またはメーカーに部品を送って改造中という状況でした。そして、手許にある資料 (RP誌85年11月号「釣掛式電車特集」所収「5000系のプロフィール」) によりますと、その直後、84年6月から1~2ヶ月に1本のペースで5070系へと更新されて行き、もう85年秋になると東上線に予備車として6両が残るのみという状況に追い込まれます……。
そんな中、ただでさえ撮影がヘタクソだったうえに、AEが壊れたフルマニュアルのコンパクトカメラという、今のデジカメ全盛の時代からは想像も出来ない貧弱な機材で撮ったため、ロクな出来映えのカットがないのですが (鬱 →今回アップした画像はかなりトリミングしています)、ナナハチの最期の時期にこれだけ乗って撮ることが出来て本当に良かった……と改めて痛感しています (^^)。
それでも後悔せずにはいられないのは、駅撮りで編成を大きく撮影したカットがロクにないことです。何故なら、中学生だった当時「鉄道写真とは雑誌に載っているようにそれなりの風景の中で横がちに走行写真を撮るのが王道」と思っており、いろいろな視点から撮っておこうという発想が働かなかったから……(-_-;;)。
ともあれ、この頃はナナハチの車体を失った5000・5050系を見かけると「ク○5000」と文句を言っていたものですが、そんな5000系列ですら今は愛おしいわけですから、人間とは身勝手なものですね (^^;
ちなみに、1枚目の画像は野州平川~野州大塚~壬生間 (どちらの駅間かは忘れました ^^;)。図らずも5050系の最期は宇都宮線となりましたね……。
2枚目の画像は西大家~川角間。入間川の鉄橋の脇に放牧場があり (今もあるのでしょうか?)、青空&牛とからめてみました。しかし、シャッターを押すタイミングを間違え、線路脇に生えていた灌木の枝がナナハチの顔にかかってしまいました (号泣)。それをごまかせるようになったのはレタッチソフトのおかげです (^^;